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技術と魂と人間性。鈴木雄斗に期待を持たざるをえない2017年末のある話

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【KEYWORD】
「2015年の後半はスーパーだった。"殻を破る”とはああいうことだなと。J1にはあと1年早く言っても良かったと、僕は思う。」
(エル・ゴラッソ水戸ホーリーホック担当・佐藤拓也)

2012年の平塚にて

自分にとっての“初体験“の場所に、彼はいた。

2012年4月27日の金曜日のことだ。エル・ゴラッソにおける湘南ベルマーレの担当記者をやっていた自分は記者人生で初めて、“担当チームの敗戦“を味わった。

その年の湘南は曺貴裁監督1年目のシーズンで、下馬評を覆す快進撃を見せ開幕から9戦負け無しを記録する。4勝→1分→4勝、と。ちなみに開幕戦はその年の元日に行われた天皇杯で準優勝を収めた京都サンガだった。久保裕也や宮吉拓実、中村充孝にチョンウヨン、そして工藤浩平らがいた京都はその年の優勝候補筆頭だった。

誰もが胸スポンサーもついておらず、ベテラン選手+反町監督が抜けた湘南の敗戦を予想していたと察するが、何とここで沼南は逆転勝利で京都を下し、そこから首位を突っ走ってくのだ。

しかし、それもいつかは途切れる。この記録を破ったのが水戸だった。ホームで湘南は2−1の敗戦を喫した。そしてその後、この試合も含めて8戦勝ちなしという泥沼にはまる。5試合連続ドローなんてこともあった。

この負のスパイラルの入口となった試合において、水戸でJ1初スタメンを飾ったのが当時18歳の鈴木雄斗だった。

4−2−3−1の頂点だったと思う。これといってインパクトがあるプレーを示した訳ではないのだが、そのフォルムと縦への積極性で好感を持ったのを覚えている。「この選手、18歳なのか」と思った。

その後もちょいちょい試合を見ていたのだが、自分の中では渡大生(徳島→広島)と共に"知られざる秘宝”という存在であった。ポテンシャルは感じていたし、下手したら代表にいける逸材だと。

そんな選手が、J1王者の川崎フロンターレにやってきた。


アタッカーが飽和状態も飽和状態にあるこのチームに来た経緯はまだ取材しきれていないのでわからない。だから、それはまず置かせていただき、本項では彼がどういったサッカー人生を歩みて成長してきたのかを伝えると共に、そしてチャンピオンチームである川崎Fでどういう役割が求められるかを考えていこうと思う。

今回の記事を執筆するにあたり、在籍したモンテディオ山形、水戸ホーリーホックの両サポーター数名と、水戸の公認webマガジンである「デイリーホーリーホック」やエル・ゴラッソで執筆をしているライターの佐藤拓也さんに協力をしてもらった。

水戸の“高卒戦略”の象徴的存在

鈴木雄斗のプロ生活の最初は水戸なのだが、彼の出身は横浜FM・Yで、熊谷アンドリューと同期である。トップ昇格ができなかったがサッカー選手であった父親である鈴木康仁氏の影響からか、プロの志望度は高かったらしい。

そして水戸へ入団したのだが、彼がこのクラブへ入った理由は主に2つある。
当時の監督と、クラブが持っていた選手獲得の方針だ。

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