自分がわかっていることは、相手もわかっているか?

こう見えて私は(どう見えているかはわかりませんが)、

子供の頃から、理屈っぽかったのでした。

理屈っぽかったのに、自分がわかっているから、他の人もわかっているだろうという前提で話をするので、相手の人は、

「ちょっと何言ってるかわからないんですけど。」

ってなることが多くて、

それでもこちらは、

「なんでこんなことがわかんねーの?」

というような、ヤな感じの子供だったなぁ。

と今になって思います。

その当時に経験した、何故自分が、「ヤな感じ」の子供になったのか、

そして、ヤな感じだった為に、怒らせてしまった話を、

聞きたくなければ、このままスルーでお願いします。


ヤな感じになる前の自分は、それこそ、

天使のような子供でした(気がする)。

誰からも好かれる、素直で可愛らしい子供でした(としましょう。)

自分には3歳上の姉がいたのですが、あまり仲良くはなくて、からかわれたり、よく泣かされたりしてました。

思えば、その辺りから、ヤな感じになって行ったのかもしれません。

今でも仲が悪いわけではないので、だいぶ経ってから、姉と子供の頃の話になったとき、姉としては、

「それまで自分一人、周りから可愛がられていたのに、ある日突然、弟が現れて、みんなが可愛がるから、アンタの事がキライだった」ということでした。

「んー、そうだろうなー。」と薄々感じてましたが、それは大人になってからのこと。

子供の頃に言われたことで、今も思い出すのが、小学2年のかけ算の練習をしていたとき。

7の段を、一生懸命呪文のように唱え、覚えようとしていた時、やはりどうしても間違えたり、つっかえたりしていたら
、当時5年生の姉が、

「なんでそんな簡単なこともわからないの?!」

と、勝ち誇りながら言い放ちました。

先に経験して覚えているんだから、わかっているのは当たり前だし、出来ない人を見て、こんなふうに馬鹿にする人には、なりたくないなぁと、

天使のような自分は心で思いながら、とりあえずいつも通り泣いてました(笑)。

そこから、かどうかはわかりませんが、だんだん知恵がついてくると、口も達者になり、次第に理屈で相手をやり込めるようになってきていました。

誰かが困っていて、それに対して、
「こうすればいいじゃないか」と意見を言うと、
出来ない理由を話してこられると、出来るようにするにはどうすればいいか、考えるのですが、
それを相手に伝わるような言葉を選ぶこともなく、
相手の出来ない状況を推し量ることもなく、
自分の思いをただ、相手にぶつけていくようになってました。

そんなことを繰り返しているある時、

母と二人で晩ご飯を食べに行くことになり、
お店に入って食事をしているうちに、話がだんだんとエスカレートしていき、
いつも通り、自分の主張を相手に押し付けるような感じになっていきました。

はじめは「また始まった」という感じでやり過ごしてくれていた母でしたが、
その時は、母の限界だったようで、母が食べ終わったと同時に、

「あんたの話は、もう聞きたくない❗️

と言って、伝票を持ってさっさと店を出て行かれました。

その時でさえ、

「えー、なんでぇー?」

まだ、自分のしていることに気がつかないで、
「いや、こちらの言ってることが正しいじゃん!」と思いながらも、

母の本気の怒りに触れて、

「あー、やっぱりいけなかったのか…。」と、反省する機会をもらうことが出来ました。

それからというもの、心を入れ替えた(はずの)私は、何度か同じような失敗をしかけながらも、皆様に支えられて、ここまで来ることが出来ました。

でも、あの時、真剣に怒りを示してくれた母に、感謝するべきですね。

ありがとう、母ちゃん‼️。

母ちゃん、forever‼️。

最後までお読み頂き(頂いたんですよね?)、ありがとうございました🙏。


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