雨を憂う
雨が降っている。静かに、音を飲み込んで雨が降っている。
この部屋に移り住んで気付けば3年が経っていた。この1年のことはほとんど覚えていない。僕は雨が嫌いだ。嫌でも思い出してしまう。
君と一緒に移り住んだ日もちょうど雨に見舞われた。2人で濡れながら荷物を運んで。それでも幸せだったあの頃。
毎日が新鮮だった。
毎日が刺激的だった。
こんな日々がずっと続くと思っていた。
どんなに仕事で疲れても、家に帰れば君が笑顔で迎えてくれた。
『おかえり』
その一言で僕は癒された。その言葉だけで充分だった。
家に帰ったら誰かがいると言う安心感はきっと他の何にも変えられないものだったんだろうって今なら思える。
二本の歯ブラシ、お揃いのお箸にペアの食器。今でもこの家はあの頃と何も変わらない。
ずっと時間は止まったままで。
僕の歯車は一年たった今でも動き出せずにいる。
『ただいま』
って、君がふと帰ってくるんじゃないかって。
雨が降っていた。稀に見る大雨で、視界も悪く傘が意味を為さない程だった。
コンビニに行ってこようかな。
この大雨だよ?
んー近いから大丈夫でしょ
そっか、気をつけてね。
何度も何度も反芻されたこのやりとりは、いくら繰り返しても変わることはなく。
止めればよかった、自分が行けばよかった。君との最後のやりとり。
横断歩道を渡っていた君に突っ込んできた車は、雨で信号がよく見えなかったと言っていた。飲酒運転だった。
この一年のことはよく覚えていない。あの頃と何も変わらない部屋、生活。
何も感じられず、ただ生きてきた。眠れない日々も続いた。
今もそれは変わらない。
でも、ふとしたときに
今にも君が戻ってきそうな気がして。
そんなことはあるはずもないのに。
行ってきます。
誰もいない部屋に静かにその言葉だけが響いて。
雨が降っていた。静かに、音を飲み込んで雨が降っていた。
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