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歩きながら聴きながら、「音声」のこと考えてます

ここ最近、通勤するのは週に二度もしくは三度。
これだと運動不足ですね、当然。
そんなこともありまして、最近は行き帰り、一駅手前で下車して、一駅分歩くことにしています。これで運動不足解消!となれば良いわけですが、そうはいかないですね(嗚呼、もうすぐ人間ドック、、、)。

一駅分歩くとなると、およそ15分か20分。その間、音声コンテンツを聴くようになりました。家を出るのが8時過ぎ。最近はこちらを聴いています。

みずPさんの #こたつラジオ  です。

スゴいことに、毎日ずっと続けられて1年超え!
日替わりのゲストの色んな声が聴けて楽しいです。
とか書いていますが、実は、、、


最初から最後までフルサイズで完聴したことがありません。
家を出るのが8時15分くらいで9時ちょっと前には目的地に着いちゃうので。
完聴ゼロですが、歩きながら聴くにはとてもいい感じです。

先日お聴きした(ごめんなさい、完聴ではありません、それから、歩きながらではなくてアーカイブを途中まで)ゼロの紙さん。

こたつラジオのことで記事をつくられていて

声、文字の違いを知りました。なるほどなあ、と。

何がなるほどなあ、か、というと鳥井弘文さんがこんな記事をつくられていました。

知らない人だからという理由で、すぐにスクロール(離脱)してしまわない。

こたつラジオの場合、みずPさんの進行の巧みさもあり、聴いちゃいます(でも、完聴はゼロです←しつこい!)。

そのこたつラジオ、なんと週末に6時間スペシャルだそうです。

もちろん、完聴は無理だなあ。土曜日だしなあ。
ともあれ、スゴいチャレンジです。

↑の鳥井さんの記事に戻りますが、こんな指摘もされています。

テキストよりも音声のほうが人柄も含めて理解されやすいという点もあるのでしょう。

テキストよりも音声のほうが人柄も含めて理解されやすい

この「仮説」、どう思われます?

音声でも、たぶん、とりわけ対話形式がより当てはまるのだろう、

って思っています。

味スタに向かう道中、よく聴いているのがドングリFMだったりするのですが、面白いなあ、って感じます。最近は全然聴いていないのですが、以前よく聴いていたFMの福山雅治さんの番組、今浪さんがいい味出してた、とか。

人柄が理解できているか、となると、どうなんだろ?。でも、テキストよりも音声の方が掴めている、感じ取れているんだろう、とは思います。

独り語りだとどうだろうか、と。伝統的なラジオ番組はDJが一人でも「お葉書」がありましたよね。「お葉書」があると、その「むこう」に送り主がいるかのようで、対話になる。その種の仕掛けがあんまり無いなかの独り語りは難しい。



歩きながら聴きながら音声コンテンツ「音声」のこと、色々と考えたりする今日この頃です。

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