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【アートとデザインと僕と。】

(はじめに。毎日書いているこのブログは一筆書きで、あまり読み直しません。で、昨日の分を読み直してみたのですがかなり誤字を発見しました。ごめんなさい!ぎょじらないよう気をつけます!!)

絵を描き始めてから3週間程度が経ちました。本当に全く絵の経験がなくて、ひたすらに模写(コピー)をして、速いとこ絵を描くことに慣れようとしている毎日です。アートの畑に足の親指の先っちょだけ突っ込んだ僕の独り言として捉えていただけるとありがたいです。

今一度、僕はアートにもデザインにも造詣があるわけでないのですが、定説となっている区分けにこんなものがあると聞いたことがあります。

アート=「問題提起」
デザイン=「問題解決」

すごくわかりやすいです。例えば、英国議会のソードラインを境にして両側に座っているチンパンジー達の絵を知っている方も多いと思います。バンクシーの有名な作品です。バンクシーなりに世相(問題提起)を表した意味も含んでいると思います。先ほどの区分けでいうと、これはアートにカテゴライズされると思います。

一方、非常口のあの緑色のやつはどうでしょう。どこかへ向かって走っている人を描いているということは一目でわかると思います。信号機もそうかもしれません。色彩の持つ意味(赤は向かってくるように感じ、青は吸い込まれるように感じる)に加えて、あそこに描かれている人も止まっている(赤)のと歩いている(青)のとで明確に分かれています。

これらはデザインと言えると思います。非常口で言えば、緊急時の逃げ場としていざという時の「目印」になる。信号でいえば(自明ですが)進むべきなのか、止まるべきなのかをデザインが解決してくれている。

こんな棲み分けができると思います。

そこで、です。

僕は冒頭で模写をしまくっていると書きました。毎夜毎夜何かしらをそっくりそのまま描いている(最近はディズニーキャラクターにハマっています)。が、僕が絵を始めた理由は「発信」の幅を広げるためです。以前のブログで、発信の手段は大きく「言語」と「非言語」があると書きました。これまでやってきたブログ(文字)や写真を介した発信よりも、絵を使ったビジュアルとしての発信の方が情報量が多いことに気づき、始めたというわけです。

であれば(アート=問題提起に目が向けられているのであれば)、僕は模写なんてしている場合じゃないのかなと思ったりするわけです。だって、絵は上手くなくても『視点』が評価されているアーティストはたくさんいるので。

今日、Norrのミーティングがありました。最近はザ・ミーティングといった感じではなく、ざっくばらんに近況報告をしたり、時々Norrのことについて議論したり。すごく楽しいです。

その中で、Norrデザイナーのメンバーと「絵」について話しました。そこで彼と僕が描く絵が違うことに気づきました。彼はアートよりで、僕は、、「何よりだろう?(アートでもデザインでもない)」

彼は僕を褒めちぎります。僕は天狗になります👺そして、彼は言います。「模写(デッサンなども含む)は答えがあるから苦手で、それより視点に重心が置かれているアートの方が好きだな」と。彼が好きな海外のアーティストを見てみると、決して絵は上手いとはいえないです(上手くはないけど、好きです)。

なるほど、僕は思いました。確かに毎夜ディズニーキャラクターを描いては、それがいかにお手本に近似しているかを見比べてニヤニヤしています。これはきっとアートではありません。漢字の書き取りドリルと同じです。悪くいえば作業です。「上手いね」と言われるための承認欲求です。

これこそが僕が抱える葛藤です。「発信」を目当てとしているのであれば、絵の優劣ではなく、視点を売っていかなければいけない。

んー考えものです。僕は多分そこそこ几帳面な性格なので、ある程度の絵のクオリティーを求めてしまう。だからこっちに逃げているのかなぁと思いました。当面はまず絵を描くことへの抵抗をなくすために、モシャモシャしてみます。

誰かアドバイス下さいー!!

↓Norrデザイナーインスタアカウント:
https://www.instagram.com/hirokinokyou/

↓Norrインスタアカウント:
https://www.instagram.com/norr.official/

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