私と仕事とプライドと。③

前回、復職期間中~復職の壁について書いていたら思わぬ長さになってしまい、まさかの3部作となりました。
本日の更新は自分の退職に至るまでの経緯を綴ろうと思います。

私と上司の認識違い

2度目の復帰の時、半日から仕事に慣らさせてもらって2週間が経ったので1日勤務に移ろうという頃でした。
このタイミング辺りは、自分の元職場では繁忙期に当たる時期でした。
1日出勤になって、確か次の日休んでしまった時だったと思います。
その頃、私の職場では朝が早い職場で電話での連絡が間に合わない為、メールでまず連絡を入れることが原則になっていました。
なので、課全体を纏めている上司(職場調とは別)に休みの連絡を入れたところ、自分には信じ難い返信がありました。
『おはようございます。
 休み癖からなんとか脱却したいですね〜️。
 ○月は課内の別所でのリハビリをお勧めします。』
ほぼ原文ママです。私はそれまで自分の中ですごく、すごく頑張っていたと思ったのに『休み癖』の一言で片付けられてしまったのです。
確かに、客観的に見ればそうなのかもしれません。でも、自分は休みたくて休んでいるわけでもなく、何より自分の努力を知ってくれているはずの上司に言われるとは思いもしませんでした。
あまりのショックにこのメールに、こんな返信をしました。
『休み癖………なんですかね。
休みたくて休んでるわけではなかったので、ちょっとショックでした。でも、やはり周りから見るとそう見えるということですね。
よく分かりました。現実を見ることも大事ですものね。周りに甘えすぎてたと思います。すみませんでした。』
そしたら、まさかの返信をいただきました。自分はこれで終えるつもりだったのでしたが、これがまた自分にはとてもショックで。
ここからメールでの言い合いのような事に発展してしまいました。

上司からの返信『> 休みたくて休んでるわけではなかった
というと何故お休みしてるのでしょう?体調が悪いから休みたいんですよね。
まずはそこをしっかり自覚しましょう。
復職はお休みしていた状況から、まずは出勤することに意味があると思います。』

私の返信『>まずは出勤することに意味がある。
もちろん私もそう思っていて、そうしてきたつもりです。
自分の中で、最大限できる限り。
それが、意識が低過ぎるということですね。
「休み癖」ということは、私には、復帰してから今までの否定にしか受け取れませんでした。
確かにあまり実績はつめていないので、意味がないかもしれませんが…。
必要とされていなければ、生きている意味が無いと感じるような人間なので、私には大事なことでした。
きっと周りからみれば、私なんか些末な人間だとは思いますが、それでも必要としてもらえるならと生きてきました。
なので、つい「休み癖」という単語に噛みつくようなメールをしてしまいました。
お休みいただいているのに、不快にさせるようなメールをしてしまい申し訳ございませんでした。本当にごめんなさい。すみませんでした。』

と、この後も色々やり取りがあったのですが、結果的に産業医面談を行って、気持ちの整理が自分はつけられなくて、3ヶ月お休みをもらうことになりました。
ただ、この事件は結果的にしこりを残して、この後復職をした後も自分を苦しめる結果になってしまいました。
大好きだった職場にも足を運ぶことができなくなってしまいました。

鬱状態から双極性障害Ⅱ型へ

この1ヶ月後、私は鬱状態という診断から双極性障害Ⅱ型に診断が変わりました。
今思えば、上司とのやり取りもそうですが、出勤が安定しなかったのも自分の病気をしっかり把握し、管理できていなかったからなのだと思います。
もっと早くに気が付いていれば、自分の頑張りの出力を絞るとか、もっと上司への理解を求めるとか、そういったことができたのだと思います。
すぐに対応できたかと言うと、それは無理だっただろうと思います。
そして、特に会社も診断が変わったからと言って対応が変わるわけでもなく、粛々と対応をされ、この後も2回ほど休職して、結果的にちょうど双極性障害Ⅱ型に診断変わって1年後くらいに、退職を決めることになるのでした。

退職の決め手

退職の決め手となったのは、変わっていく仕事、職場、それを見ているのが辛くなったことが大きな要因でした。
元々大きな会社では無かったところが、大きな会社に買収されて…
そこから大きく変わることは元の職場はしばらく無かったのですが、ついに合理性を理由にテコ入れという名の業務改革が始まってしまいました。
ちょうどそのタイミングで、傷病手当金も貰えなくなること、仕事についていけなくなってきていること、それからやはり、メールでやり合った上司は替わっていたのですが、色んなことが自分の中でしこりとして残っていること…これらが重なって『辞めよう』という決断に至りました。
私は、自分が仕事をする限りはプライドを持って仕事をしてきました。
そのプライドは、仕事をするなら責任を持って、自分ができる限りの最善を尽くすというのが私の『仕事に対するプライド』でした。
でも、それがだんだんと変わっていき、自分の手の届かないところにいってしまって、私は必要とされてない…もうここに拘る必要が無いんだなって思ってしまったんです。
結局は私は、自分の仕事とプライドが捨てられなかったんです。
私にとって、前の職場は本当に恵まれていて、みんなが大事で仕事も大好きで…テコ入れが無ければずっと同じメンバーで仕事していたかったです。

これが、自分が休職から退職に至った理由です。
決して病気が全て悪いという理由では無く、自分が病気への理解が足りなかったこと、仕事へのプライドが捨てられなかったこと、金銭面的な理由で休職を続けるわけにいかなかったこと、全部がタイミングだったと思います。
私のように少しでも後悔するような辞め方をする人がいなくなってくれるといいなと思って書き始めたシリーズでしたが、双極性の場合だと躁で攻撃的になってしまったり、自棄になってしまうこともあると思うので、一旦その判断や考えは置いておいて、冷静になって考えてみて欲しいと思います。
これで、このシリーズは終わりとなります。
ここまで続けて読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

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