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たとえ明日世界が終わるとしても今日リンゴの木を植える

うまくいかない。がんばったけど、結果だけ見たらうまくいってない、そういうことがある。
今日まさにそんなことがおきた。

はぁ…なんだったんだろう。
無駄ではないけど、トホホとおもうようなこと。

その後、運動して、おいしいもの食べたらスッキリしたけれど。

そんな時思い出す言葉

お守りになる言葉をストックしている。
そのひとつ。

たとえ明日、世界が終わるとしても今日私はリンゴの木を植える

Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.

宗教家のルターの言葉だそう。

「明日世界が終わるとしても、りんごの木を植える」

明日世界がおわるのに、りんごの木を植えること自体はあまりに不毛だ。果実を手にすることもできないだろうし、あまり意味があると思えない。

だけど、植えること自体が、希望であり、望みであり、祈りであり、その行為そのものが、まさに成果なのだということ。
その心もちが大事。
きっとそんなメッセージのある言葉なのだろうな。

明日世界は終わるよと言われても

それがほんとでもほんとでなくても。
今日1日をどうすごす自分でいたいかは、自分が決められる。

まあきっと、今日のこの一歩も、私にとってりんごの木を植えること、なんだろーな。
自分の心の真ん中を大切にしてればきっと大丈夫。

そして今日も世界のどこかで、みんながそれぞれのりんごの木を植えているのね。
みんなみんなおつかれさまです!

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