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浮かれポンチ 。誰が言い出したのか、なかなか素敵な言葉だ。 肯定的にとるか否定的にとるかは状況次第だが、本人の状態をとても上手く表現している。

Lineのスタンプ「楽くん」を6種類ほど出している。

お察しの通りまったく売れていないので困っている…いやもうそこも通り越して呆れてしまっているのだが、一般人がやってもよほどのことがあってバズりでもしない限りそう売れるものではない。ということである。とはいえ、「RENCLUB」で検索すると出てくるのでお中元に、お歳暮に、遠足のおともに、ビールのおつまみに、是非ともよろしくお願いしたいところである。

そのLineの最初のスタンプがリリースされたときのこと。

「リリース」と口で言うのは簡単だが、全然簡単ではなかった。とはいえ、首で言おうとしたり、腰骨で言おうとして簡単じゃなかったと訴えているわけではない。承認に辿り着くまでには困難があったということだ。

申請しても申請してもあっちが悪いこっちがおかしいとそのたびにリジェクトされた。いつもなら結構早めにあぁもうや~めたとなるのだが、その時はすでに30幾つもイラストを作ってしまっているのだから、そう易々とは諦められなかった。

しかし何度めかの挑戦で俺は承認を得た。
俺のこの嬉しさが分かっていただけるだろうか。

やったーっと叫んだかもしれない。
そして俺は絵に描いたような浮かれポンチになった。

また運よく、なのか運悪くなのか、地元チャツウッド(シドニー北部有数の商業エリア)で光の魔術、Vivid Chatswoodがスタートした。
街中がキラキラして俺を祝ってくれているような錯覚に陥る。
俺の浮かれポンチに輪がかかる。

普段だとその曜日には店を出していないたこ焼き屋台のColotakoさんも、イベントとあって夜間営業。思いもよらぬ形でお好み焼きまでゲットできた。
もう俺の浮かれはポンチどころではなくなっていた。

「この世をば 我が世とぞ思う望月の かけたることもなしと思えば」
こういうとき教養が出ちゃって困るが、道長くんのイケイケの歌だとされる。道長くんも浮かれポンチだったのだ。

ただ、今から遡ること1000年ほど前のその時代に浮かれポンチという言葉があったかどうかは分からない。ただ文字としてのカタカナはとっくに存在したので文脈とは一切関係ないけど一応記しておく。

さて藤原道長をふじわら「の」みちながと呼ぶけれど、
それは「藤原」が一族を表す「氏(うじ)」だからだ。氏姓制度の氏。

「源平藤橘」つまり「源」「平」「藤原」「橘」を氏の代表格みたいなものだとすると、源頼朝や平清盛にも「の」が入る。

例えば新田氏や武田氏などは本来は源氏である。
新田義貞や武田信玄だって、本来は源義貞だし、源信玄だ。
この場合、読むときはやはり「の」が入る。
じゃあ、新田や武田は何なのかっていうと、それは苗字。
この場合は読むときに「の」は入らない。

ちなみに、小野小町は小野氏。ののの二つ目ののは氏なればこそだが、
おのののかはこれにあたらない。おののののかなら小野氏の出かもしれないが彼女の本名は宮田 真理愛なので全く関係ない。

ちなみにやのれんもやののれん。とは言わない。
やの「の」は氏ののとはまったく関係ない。

そんなこんなでポンチが浮かれてやらかしてしまう。
うっかり鍵をオフィスに忘れてきてしまったのだ。

この時期の夜はもう結構寒くて、小雨ぱらつく中でオフィスにも入れず、家にも帰れず。震えながら時を過ごした記憶がよみがえってきた。あつあつだったお好み焼きも、徐々に冷めたピザに…。

浮かれすぎに注意しましょう。
ポンチにも注意しましょう。(ポンチって何?)

そうだな、浮かれポンチはよくない。
でもまあ、浮かれポンチになるくらいの話題も欲しいものだ。
もちろん、浮かれポンチになってしまっては良くない。
浮かれポンチ、ああ浮かれポンチ。

何回言うねんっ!

浮かれポンチ。
誰が言い出したのか、なかなか素敵な言葉だ。
肯定的にとるか否定的にとるかは状況次第だが、
本人の状態をとても上手く表現している。

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