二次方程式の解の公式

今でも金には困っているが、 オーストラリアに住んで数年、学生ビザだったころはもっともっと困っていて、真冬の朝5時半に家を出て電車に乗り、2駅先の寿司工場に巻き寿司作りに通っていた。

仕事のスタートは6時から。10人くらいなのかな、みんなじゃあ張り切って始めましょうか的、というよりは、まだ体の半分は寝ているんだけど時間がきたからやりますか的ずるずる感を纏いながら’巻き’作業を開始。

大学生当時、’食’に関わる仕事をしてこなかったし、立ちっぱなしのアルバイトもそんなになかったので、いろいろと新鮮な経験ではあった。が、苦手なこともあった。

怒鳴られるのだ。寿司工場。
寿司職人、朝から恐いのだ。

仕事を覚えるまでの最初の1週間ほどは本当に毎日毎日怒鳴られっぱなしだった。幼少時から怒鳴られ慣れていない俺は、それが本当に嫌だった。

慣れてしまえばそんなに難しい作業でもないのだが、コツをつかんで上手く速くできるようになるまでは日にちがかかる。

もちろん口答えはできないので、自分の中で解決を図らなければならない。そうでなければストレスで潰れるか、爆発してしまう。

「お前二次方程式の解の公式今ここで言えないくせに。」
「お前円周率下20桁まで今ここで言えないくせに。」
「お前口語文法の形容詞の活用言えないくせに。」

俺がとった自己解決の方法はこれだった。
とにかく自分のできることでその職人のできなさそうなことを並べ、「くせに」という最悪の言葉をくっつけて脳の中で言い放った。あくまで脳の中で、である。

何とも性格の悪さがほとばしってはいるが、とにかく怒られるたびに心の中で呪文のようにそんなこんなを唱えていた。

何とかして自分が優位に立てるポジションを探し、それによって心のバランスをとろうとしたのだ。
でなければキレていたかもしれない。
怒鳴り文句が当時の俺には酷い言い方に聞こえていたからだ。

とにかく見返してやらないと気が収まらないので、ありったけ、と言うと大袈裟だが、まだちょっとあった反骨精神を爆発させて寿司巻きロボットと化す。そして3週間、周囲をごぼう抜きして昇格。指示を出す方に回る。

ごぼうと言えば、太平洋戦争中、オーストラリア人捕虜に対してごぼうを食べさせたのを、食文化の違いから、戦後「木の根を食べさせられた」とBC級戦犯として虐待の罪で処罰を受けた実話があるのをご存知か。

話がそれた。
寿司にはごぼうは使われていないし、ここでは関係なかった。申し訳ない。

早朝からの寿司工場も6週目に入ったところで体調を崩す。高熱を出していろんな人に迷惑をかけながら何日か寝込み、そのままそのアルバイトをやめてしまった。

4週を終わったところで当時必要だった学費の目標金額には達していたから気が緩んだのかもしれない。もしくは馬鹿だから頑張る程度が分からなかったのかもしれない。

今思えば、アルバイトとは言え、怒鳴るパワーを使ってまで俺に仕事を教えてくれたのだから感謝をするべきなのだろう。俺自身が教える立場になれば期待しない者には怒鳴りはしない。そうするパワーがもったいないからだ。しかも昇格までさせてくれたのにあえなく撃沈。申し訳なかった気がする。

どうしてこんなことを思い出したのか分からない。性格の悪さだけが残ってしまった。

しかし怒鳴られるのは本当にもう嫌だな。
今なら返す刀で二次方程式の解の公式を聞いてしまうかもしれない。


英語圏で書道を紹介しています。収入を得るというのは本当に難しいことですね。よかったら是非サポートをお願い致します。