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【古民家】長野・駒ケ根市の「旧竹村家住宅」。国指定重要文化財の江戸時代中期の古民家を訪れる!

駒ヶ根市郷土館に併設された旧竹村家住宅。名主竹村家の旧住宅を移築、復元したもので、駒ヶ根地方の江戸中期上層農家の典型として貴重な民家でもあります。江戸時代中期に建立されたと考えられる「旧竹村家住宅」は、国指定重要文化財も選ばれております。

早速、長野県内にも数少ない大正期の洋風建築で駒ヶ根市役所の旧庁舎「駒ケ根市郷土館」を散策した後(記事はこちら)に、こちらのドライブマップに従い、「駒ケ根市郷土館」からの次の目的地として「旧竹村家住宅」に立ち寄ってみました。

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この旧竹村家は、中沢本曽倉大津渡にあったものを、昭和43年(1968)12月現在地に移築復元されたものです。

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早速、その旧竹村家住宅に入ってみたいと思います。

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竹村家は江戸時代には代々名主(なぬし)(庄屋)をつとめた家柄であります。この家の建立年代は明らかではありませんが、江戸時代中頃(約270年前)と考えられています。名主だけに許された式台を備え、外観も堂々として、これだけの大きさの民家は、当時村に1~2軒しかありませんでした。

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建築年代は明らかでないが、江戸時代中頃(約280年前)と考えられております。

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建物は式台を備え、外観も堂々としていて東日本の民家としては最大級といわれており、旧竹村家はこの地方の江戸時代上層農家建築として重要な存在でした。江戸末期になると伊那地方の名主階級の家は、板葺の本棟造(ほんむねづくり)に変わり、こんな大きな茅葺の家は造られなくなります。旧竹村家住宅は当地方の江戸中期上層農家の典型として、貴重な民家なのです。

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江戸幕府の営中で若年寄が政務をとった部屋「下の間」。

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台所です。

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古民家の台所は土間になっています。ご飯を炊く釜もここにありました。正面大戸口から入ると、広い土間とその上手に板敷の台所がある形になります。

日本の伝統家屋の火の座である囲炉裏。昔から家族や人を集結させる場としての機能を備えていました。

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前回も申し上げたことがありますが、「年をとってから暖まりたいものは、若いうちに暖炉を作っておかなければならない。」。ドイツの諺でございます。

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温まる暖炉がない場合はどうしたらええんやろか。

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土間と台所の間には間仕切もなく、豪壮な梁組(はりぐみ)を見せた一部屋で、いろり・ながしを中心とした日常生活の場所となっています。

昔の「手洗桶」などの台所用品。

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「飯桶(はんつう)」

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読んで字の如く、飯を入れる桶であります。

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母屋背面中央に半間の庇(ひさし)を張り出した構造で、梁は6尺間隔の方眼状の梁組、側回(そくまわ)り1間毎に柱が立てられています。桁は梁の上に通す折置(おりおき)組、中心に大黒柱が立ち雄大な梁組はいかにも名主層の建築を思わせます。

「土臼」。

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土臼は籾殻(もみがら)をとりのぞく作業に使われた道具でございます。土臼は上臼と下臼に分かれていて、側面を竹製の網で巻いた物が一般で、昭和10年代末に籾すり機が普及するまで使われていました。

「うまや」

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馬屋は、たいていの家では、トマグチ(玄関)を入った土間のニワの脇にありました。馬を飼っておく独立した建物や家屋内の馬(ときには牛)を飼う部屋で,〈まや〉とも呼ばれます。

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農耕馬を飼う農家の馬屋と乗馬用の馬を飼う武家屋敷や神社・寺院の馬屋とでは構造が異なります。農家の馬屋は、主屋内にある内馬屋と独立して建つ外馬屋に分かれるが,南部の曲屋は外馬屋を主屋に接続させて成立した形式であることが特徴です。

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農業機械が普及する以前は、農作業は全て人の手と家畜の力で行っていたと考えると、大変な労力であったことが創造できます。

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信州は高原に位置します。ろくな暖房具がなかった江戸時代。雪の日は、「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」と詠まれているように、歯の高い下駄を履きました。しかし、下駄が役立つのは、せいぜい2寸(約6㎝)程度の積雪まで。それ以上になると、足が濡れ、凍えるのを覚悟しなければ外出できませんでした。

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藁(わら)で編んだ長靴のような「雪靴」はなかったのか?と問われれば、確かに地方にはあったそうです。しかし、見栄っ張りの江戸っ子ならば、そんな田舎くさい靴を履くくらいなら、裸足に雪駄履きを選んだんだそう。

「箱膳」。

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日頃は食器を入れている箱であるが、食事の際に箱の上蓋を反対にして食器を並べ膳として用いた箱であります。日本では江戸時代以来、家庭において使われていたが、卓袱台の登場によって衰退し、テーブルの登場によって激減しました。

「足膳」

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食器を載せる食事用の台のことを言います。多く方形の漆器で,猫足(ねこあし),蝶(ちょう)足,茶人金森宗和が好んだという宗和足膳など足付きのものが作られたが,江戸末期から足なしの会席膳が流行,一般家庭でも使用された。宴席用には本膳、二の膳、三の膳などがあり,本膳を正として飯・汁・さかなを供し,二の膳,三の膳にその他の料理を添えられます。

今でもこの本膳,二の膳,三の膳は懐石料理等で見られますよね!

旧竹村家住宅には、「なかべや」や、

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「さんべや」

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「おくべや」がございます。

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徳川幕府の巡検使の宿所にも使われた客殿は当時の雰囲気のまま残っており、建築物としても町の歴史を知る上でも大変貴重な住宅となっています。

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江戸時代中期頃に建てられたと推測される母屋には、名主だけに許されていた式台[しきだい]があり、寄棟茅葺きの堂々とした造りになっています。

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如何でしょうか。

今日はここでお終いです。主・竹村家の江戸時代中期の旧宅を駒ヶ根市郷土館の隣に移築した「旧竹村家住宅」。茅葺き寄棟造りといわれる様式で、伊那谷の豪農の生活を今に伝える貴重な建物でもあります。

皆様も、堅牢な重厚古民家でのんびりとした休日ライフを味わってみては如何でしょうか。

written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方

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