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絶対に実母を頼らず育児をすると決めた日の話

昔の自身が子供時代に経験した毒親の話をする前に、大人になり結婚をし子を産んで母親になった私が、これから育児をしていくにあたって、何が何でも実母を絶対に頼らない、と決めた日の話をしようと思います。

(※そもそも妊娠中からほぼ何も頼ってませんが)

あれは産後半年くらいの頃のことでした。
元々わりと深刻な不眠症を患っていた私は、薬を飲まないと全然眠れなくなっていました。
母乳をあげ、数時間おきに泣く我が子の世話を夜通ししても、眠れないのです。眠気が来ても寝付けず、3日4日…とずっと起きている状態でした。
たまに限界が来てプツッと意識が途切れるのですが、それでも1時間程度。また、運が悪ければその時我が子が泣いて、わずかな睡眠をとることさえできず、次第にあちこち具合が悪くなっていきました(もともと産後あまり体調は良くなかったのですが)

ずっと直接母乳をあげるために自分の投薬は我慢していましたが、生後3ヶ月くらいで精神的にも体力的にも限界が来て、産婦人科の先生や心療内科の先生と話し合いをして、断乳をしました(完ミに切り替え)
そしてなんとか投薬を再開したものの、ホルモンバランスが大幅に乱れているせいか、いつも効いていたはずの睡眠導入剤が微塵も効かない…。
薬をもらう→試す→眠れないを2ヶ月ほど繰り返して、とうとう自分で車を運転して病院へ行けるほどの体力もなくなり、寝たいのに眠れなくてメンタル崩壊寸前、体力もゼロのグロッキーゾンビと化していました。
いつもなら夫に頼んでかかりつけの病院へ送って行ってもらえたのですが、その頃どうしても夫の仕事の休みと私の受診日が噛み合わず…しかし夫の休みに合わせて受診を待てるほどの余裕も無くなっていました。
自分で運転できるほどの気力も体力もない、でも薬をもらいにいかないとまずい…となり、仕方なく実母を頼ることに。
生後半年の息子をチャイルドシートに乗せて、実母に私の車を運転してもらって病院へ。
行きの途中で多分私の車だと運転しにくい、こわいなどと言われたからだと思うのですが(この後あまりにも衝撃的なことが起こってそこで感情と記憶がぐちゃぐちゃになってしまったので、経緯を詳しく覚えていない)帰りはグロッキーながらも自分で運転することに。
その帰りの車中での出来事でした。

『体が弱いのに無理して子どもなんか産むからこんなことになったのよ』
と実母が言いました。心配半分、呆れ半分といったところでしょうか。
どうせこんなことになるんじゃないかと思ってたよ、とも言っていました。
あーいつものお小言が始まった、聞き流そう…と思って母の吐き捨てる言葉を運転しつつぼんやりと聞いていたのですが、家に着く10分くらい前でしょうか。
ちょうど信号が赤になり、車を停止させていました。
いつもなら車で好きな音楽を流しているのですが、母がそういうのを嫌うためその日は無音で運転していました。
信号待ちで静まった車内に響いた実母の一言が、鋭い刃物で私の心をひと突きするかのようにグッサリと刺さりました。

『だからアンタは子どもなんか産むんじゃなかったんだよ。』

頭が真っ白になり、息苦しくなりました。
身体中がバクバクしました。
ハンドルを握りしめている手から、汗がでました。
怒りを込めてハンドルを握りすぎて、手が震えていました。

私の座っている運転席の後部座席では、チャイルドシートに乗って寝ている我が子がいるのに。
生後半年とはいえ、子がそこにいるのに。
この人は、なんてことを言うんだ。
まだ生後半年の子だし、寝てるから、何を言ってもいいとでも思ったんだろうか?


私の実母は、一体何を考えている?


別に私は誰かの反対を押し切って勝手に産んだ訳じゃない。きちんと家族計画を練った結果である。
体が弱いのに無理して産んだのは確かだけど、それはもう治らない持病のこともあるので仕方がない訳で。(ただ子を産もうと覚悟するのに3年ほどかかった)

今回のように何か頼んだのは妊娠してから『初めて』だったのに。はっきり言って、そんなことを言われるほどの迷惑をかけた覚えは微塵もないのに。
たった一度私の通院のために力を貸してほしいと言っただけで、こんなことを言われるのか。
私だけでなく、私の子まで傷つけるようなことを平気で言うのか。

だいたい私自身にも『あんたなんか産むんじゃなかった』と何回か言ったことのある母でした。
そのことについても未だに深く恨んでいるし悲しい気持ちを抱えているけれど、まさか孫にあたる私の子に対してまでそのような発言をするとは思いもしていませんでした。

予想ができなかった浅はかな私が、
そんなひどい言葉を平気で吐き捨てる自分の母が、
どうしても許せなくて。
生後半年の我が子にそんな悲しい言葉を聞かせてしまったことが申し訳なくてたまらなくて。
信号が青に変わると同時に、私は大粒の涙をボロボロ溢しました。
大声をあげて泣きたかったけど、運転中だし後部座席では息子が寝ているし、大声を出したら出したで『すぐ感情的になる神経質な子だね』と実母に悪態を吐かれるのはわかりきっていたので、グッとこらえました。
こらえきれない嗚咽が何回も出たけど、なんとかそれで我慢しました。
実母は私がそんな一言で傷つき泣くだなんて思ってもいなかったようで不機嫌そうな顔で『なによ?』と言っただけでした。

あの日、あの瞬間から。
この先何があっても、辛くても。
絶対に実母には頼らず我が子を育てようと決めました。
私は実母が毒親であると今はもうわかっているから、ある程度の諦めもついていましたし、この先何かあっても私だけが傷つくのであればそれでいいと思っていました。


でも違うんだ、と確信してしまったんです。
この人(実母)は無意識に私の子さえ傷つける、と。


毒親の連鎖を断ち切るというのは、とても難しく複雑なことなんだとこの時とても強く思いました。
私自身が毒親にならない努力、日々自分を見つめながらきちんと生きなければいけないのは勿論なのですが、まさか祖母にあたる私の実母そのものからの攻撃からも守らなければいけないだなんて。
心のどこかで孫には違うのかもしれない、と思っていた私がいました。
そんなのは甘い幻想でしかなかったのです。
思い返せば私の毒親である実母の母、つまり母方の祖母も割と毒でした。
それは私の実母に対しても、孫の私に対しても同じでした。うっかり忘れていました。

そうだ、祖母からも守らなければいけないのだ。

我が子には絶対に絶対にあの辛く苦しい思いを…私と同じ思いをさせてはならない。
毒親なんてものは本当に要らないものでしかない。
何の得にもならない、良い影響なんて何一つ与えないのだから。



(ちなみに後日『この間はさすがに言いすぎたかもしれない、ごめんね』と人生初といっていいほど珍しく謝罪されましたが、許すわけがない。)

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