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最後までやり切った結果の8連勝(聖光学院高校OB 内山連希インタビュー)

4歳の誕生日に入団したチーム

――野球を始めたきっかけについて教えてください
 3歳くらいの時に自宅の近くで小学校の野球チームが野球をしていました。そのチームが幼稚園生から入れるチームだったので、4歳の誕生日にチームへ入団しました。

――内山さんは出身が東京ということで高校は越境入学だったかと思いますが、高校を選んだ決め手は何でしたか?
 高校野球では絶対に甲子園に行きたくて、それをもとに高校を選ぼうと思っていました。甲子園に一番近いのは聖光学院だと思い、聖光学院への入学を決めました。

ミーティングを重ねてきた自信

――甲子園出場を目標としていた当時の思いなどについて教えてください
 自分が入学した当時、夏の県大会で11連覇中でした。連覇をしている中でも、それが当たり前ではないということに入学してすぐ気付かされました。そして、今のままの自分や自分たちの学年では甲子園には行けないという小さな衝撃を感じ、「このままじゃダメだ」と思って日々練習に励んでいました。

――甲子園を目指して練習する中で、何か印象的な練習メニューはありましたか?
 聖光学院は特別な練習はなく、他の高校と特に変わらない練習しかしていないのですが、その中でもミーティングには力を入れていました。高校野球をやってきた2年半の間は指導者とのミーティングはそうですし、選手間でのミーティングはどこのチームよりも重ねてきた自信がありました。そういった面では、仲間とのつながりなどを深めることができたと思います。

――内山さんはキャプテンを務められていましたが、キャプテンに指名された当時はどういった心境でしたか?
 自分は日常生活とかではキャプテンをやるようなキャラではなく、2年生になる前までは自分の学年のキャプテンはやっていませんでした。そんな中で外からチームを見て、「こういうところがダメだな」ということにチームの中では気付いていた方だと思っていました。そのため指名されたときは、「やっと自分の番が来たな」という思いでした。

『心の中の甲子園』を目指して

――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
 コロナが感染拡大し、ニュースとかで甲子園中止になることがある程度予想できていた中だったので、中止と決まった時に泣いたりする人はチームメイトに1人もいませんでした。
 でも「甲子園に行きたくてここに入学してきたのに、何のために今まで野球をやってきたんだろう」という思いや、中止は今までの歴史を見てもあり得ないような話だったので「何で自分たちの代だけこうなってしまうんだ」という思い、当時の1日のコロナ感染者が100人とかだったので「野球をやっても大丈夫だろう」といった思いなど、どこかで受け入れられない心境でした。

――そうした中で監督やコーチからかけられた言葉などはありましたか?
 色々な話を言われたのでこれという話はないのですが、部長から「今まで自分たちは甲子園を目指して毎日練習してきたということは、心の中には甲子園がいつもあったわけだから、心の中の甲子園を目指してやっていこう」という話があり、そのことが一番心に残っています。

――内山さんはキャプテンとして、当時チームメイトにかけた言葉などはありましたか?
 独自大会でもし優勝できなかったら、「甲子園があった場合でも、お前ら甲子園に行けなかったじゃないか」と周りから見られると思っていました。だったら甲子園がない中でも、自分たちとしてはやり切って、最後は優勝といういい形で終われるようにやっていこうという話をしていました。

県大会優勝、そして東北大会優勝

――その後、各都道府県で独自大会開催の動きが進みましたが、大会の開催を聞いたときの心境を教えてください
 非常にありがたいという思いでした。ただ正直なことを言うと、独自大会をやってくれるなら甲子園もやってくれよという思いでした。

――県大会では計6試合を戦われましたが、その中でも特に印象に残っている試合はありますか?
 初戦か決勝なんですけど、どちらかといえば決勝ですかね。決勝は自分が打ったからというのもあるかもしれませんが……印象に残っているのはその2つですね。

――決勝戦で勝利し、優勝を決めた瞬間はどういったお気持ちでしたか?
 嬉しかったんですけど、本来であれば優勝して甲子園に行けるという風に喜んでいたはずなので、やり切った嬉しさよりも「甲子園に行けないんだ……」という思いの方が強かったです。

――入学直後のお話で11連覇という言葉がありましたが、独自大会優勝によって14連覇となりました。そういった連覇について感じたことなどはありましたか?
 大会が始まる前から自分たちとしても、指導者からも「連覇というよりも、自分たちの代の初優勝を獲りにいく気持ちでやっていこう」と毎年話していました。そのため、気持ちのどこかでは連覇を続けることができて良かったという思いもありましたが、それ以上に自分たちの代で優勝することができて良かったと思っています。

――東北地方は6県の優勝したチームによる東北大会がありましたが、東北大会の開催を知った時の心境を教えてください
 甲子園がない代わりにそういう大会を行ってくれるということで、県大会で終わらずにそういった機会を作ってくれたことは非常にありがたかったです。

――県大会では磐城高校、東北大会では鶴岡東高校と仙台育英高校に勝利したということで、甲子園交流試合に出場する東北地方の3校を破っての県大会、東北大会優勝でした。このことについてはいかがでしょうか?
 始まる前から甲子園に行く高校を全て倒そうという話をしていて、結果として勝つことができたのでそこは素直に嬉しかったです。ただ逆にそれらの高校を倒した自分たちを甲子園に出してくれと思いました。

――東北大会初戦の鶴岡東戦では内山さんがサヨナラタイムリーを打って勝利したということで、当時の思い出などはありますか?
 野球人生でサヨナラヒットを打つ機会なんてほとんどないと思うんですけど、それを高校最後の大会の一番大事な場面で打つことができたので一生の思い出です。そしてそのサヨナラヒットのお陰で、チームが東北大会最後の日まで野球ができるようになったということで、そのことが本当に嬉しかったです。

――その後の決勝戦でも勝利し東北大会優勝ということで、東北6県の中では唯一あの夏無敗のチームとなりました。東北大会優勝という成績を改めて振り返って、感じることなどはありますか?
 今考えてみたら県大会と東北大会を合わせて8試合あり、8連勝する確率は凄い確率だと思います。トーナメント制の高校野球で最後の夏にそこまで勝ち抜くことができたのは、自分たちが最後までやり切ったということを形として示した結果だと思うので、そういう面では本当に良かったなという思いです。
 そして去年の夏に聖光学院が初めて甲子園ベスト8の壁を打ち破りましたが、自分たちが甲子園ベスト8の壁を打ち破ることができていたのかという思いがあります。

やり切ったからこそ得られた権利

――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
 いつかそういった機会を設けていただけたらなという話は皆でしていたのですが、それがすぐ2年後に自分の代の人が発起人となってやってくれるということに感謝しかなかったですし、すごいなと思いました。甲子園中止になったあの時、自分たちが最後までやり切れていなかったら、優勝できずこういった権利を得られていなかったと思うので、改めてあの時やり切って終われて良かったなという思いにたどり着きました。

――このプロジェクトでの目標について教えてください
 正直、試合に勝ちたいとかは聖光の皆は誰一人思っていないと思うので、もし試合が行われるのであれば、素直にあの頃を思い出して楽しみたいと思います。そして色々な方々がこのプロジェクトに動いてくれているので、そういったことに感謝して楽しんで野球をやりたいです。

――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
 2年前、甲子園がなくなった日から時が経ち、当時の仲間と泥臭く野球をやっていきます。応援よろしくお願いします。
 頑張るぞ!


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