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経歴紹介 中前友宏とは?

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当NOTEの著者であり、結婚相談室リライオンの代表でもある中前友宏。 大学進学を機に香川県から大阪へ、そこで出会ったイベントの仕事、そしてカップリングパーティとの出逢い。その後2… もっと読む
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記事一覧

天職(使命)だと感じた瞬間

私が本気で出逢いの仕事に向き合うようになったきっかけ 「中前さんがいなければ、この子はこの世にいません。本当にありがとうございます。」 この言葉は、約25年前、私が出逢い業を仕事として真剣にとらえるきっかけとなったものです。 当時24歳、とあるイベント会社で年間約800回、毎日のようにカップリング(お見合い・婚活)パーティを開催し多くのカップルを誕生させていました。 しかしながら自分たちの認識は、クラブやレストラン、ホテルの宴会場などで、あくまでもイベント・レジャーと

私の経歴⑮まとめ

長々と私の経歴をお読みいただいた皆様、ありがとうございます。 もっと簡潔にまとめろよ。と思われた方も多いと思います。 さすがに28年は長いですね。 本当はこれの何倍もお伝えしたいことや書きたいこともありましたが、 これはまた、聞きたい!という変わった方いらっしゃいましたらご連絡いただきますと、個別でいくらでもお話させていただきます。 長くても面白ければいいのですが、なにせ文章を書くのも得意ではないので読みづらい部分も多かったと思います。 振り返ってみると、RELYON

私の経歴⑭名称決定

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 コンセプト・ターゲットが決まりいよいよ相談所名を決めないといけません。 当然ですが、子供の名づけと同じ、コロコロ変えることができるものではありませんので真剣に考えました。 真剣に考え、真剣に考え、色々調べて、色々調べて・・・ なかなかいい名前が決まりません(泣) そこで、家族を使うことにしました。 ある日、家族を集めて、 「これから結婚

私の経歴⑬開業にむけて

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 「俺がやる」 そう思い、いよいよ開業に向けて準備に入ることになります。 まずは、連盟に登録しようと思いました。 この仕事は個人で立ちあげ運営することはもちろんできますが、データベースを共有することでより効率よく仕事(お見合いなど)ができるようになります。(不動産や中古車業界なども同様のビジネスモデルのようです) しかしながら、一番の目的は

私の経歴⑫結婚相談所業界を調査

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 いつまで自己紹介しとんねん、と怒られそうですがもう少しだけお付き合いください。 約3ヵ月かけて結婚相談所業界をもう一度見渡して調べてみました。 そうすると以前私がやっていたころと比べて以下の違いが見えてきました。 ・業界の勢力図に変化 ・コロナによるビジネス形態が変化 ・仲人のレベルに変化 ・婚活者の状況に変化なし ・業界の勢力図の変化

私の経歴⑪まさかの就職まさかの退職

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 先輩の紹介で、とある会社を経営しているオーナーとお会いする機会をいただきました。 そして私のやっていること、オーナーがやっていることなど色々な話をさせていただいている中で、非常に面白いなと思ったことがありました。 それは、そのオーナーの言葉で 「私はマーケットを作りたい、今それを作ろうとしている」 「不特定多数を特定多数に変えたい」 とい

私の経歴⑩南大阪結婚倶楽部

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 中前恋愛相談室は、途中結婚情報サービスに働きに行くなど紆余曲折はありましたが、ありがたいことに順調に運営することができ、2年ちょっと過ぎたあたりだったと思います。 相談所のコンサルをやるというのは、確かにビジネスモデルとしては理想的ではありましたが、どこかに「他人のふんどしで相撲を取っている」という感覚がありました。そもそも事務所もなく(今は

私の経歴⑨大手結婚情報サービス

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 これまでに多くのパーティを開催し、恋愛相談を受け、結婚相談所のコンサルもやるようになって個人的には充実した毎日で、よかったのですが、あることを考えてしまいます。 「もっと多くの方の成婚をするためにはどうすればいいのだろう?」 「個人でどれだけ頑張っても日本の少子化は救えない」 (当時少子化問題がニュースになっていたので) これは出逢い産業に

私の経歴⑧中前恋愛相談室

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 カップリングパーティの会社を退職し、借金だけは残りましたが無事に無職になりました。 とりあえず生活をしないといけないので、何かしようかと思っていたところ、(このあたりの記憶はあまり定かではないのですが)誰かに「もう自分でやったら」みたいなことを言われ、確かに、私の性格を考えると、人に雇われるのは嫌い、人を雇うほどの責任感はない、という完全なわ

私の経歴⑦コンハウス退職

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 カップリングパーティとプライベートパーティの両軸を行っていましたが、パーティ業界の流れが少し変わってきたのが、ちょうど21世紀に入ったころだと思います。 端的に言いますと、コンハウス自体の業績が悪化していきます。 ・参加者のパーティ離れ ・東京の業者の参入 ・会社の方向性のブレ 簡単にいうとこの3つが要因として大きかったのと、それを食い止

私の経歴⑥コンハウスパーティ

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 コンハウスパーティに関してもう少し。 様々なパーティを企画運営する中で、やはり時代の移り変わりとともにニーズも変わっていきます。 ひとくくりにパーティといっても 真剣なものは イベントパーティ →カップリングパーティ →お見合いパーティ →婚活パーティ カジュアルなものは イベントパーティ →コンパセッティングサービス →街コン →マッチ

私の経歴⑤コンハウスパーティ

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 コンハウスパーティ。関西在住の40歳以上の方であれば名前を聞いたことある、という方も多いかもしれません。 私が入社したコンハウス株式会社のメイン事業でもあり、④で紹介したあんずBOXパーティも傘下に持つ当時関西最大級のパーティ会社でした。 ちなみに、コンハウスは日本で一番最初にカップリングパーティなるものを開催した企業で、当時 ・ねるとん

私の経歴④あんずBOXパーティ

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 カップリングパーティは当時関西では大手5社と呼ばれほぼ市場を独占するような状況でしたが、その中で最大級の規模を誇っていたのがコンハウスパーティでした。 そのコンハウスの社長が買収したのが(関西の50代以上の方なら知っている人いるかもしれません)「IT2001パーティ」というパーティブランドで、倒産寸前のようでしたが、なくなると市場バランスが崩

私の経歴③コンハウス株式会社

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。 世の中にカップリングパーティなるものがあることを知りましたが、その時の印象は、 「あ、割と普通の人が多いんだな」 というものでした。 何となく、モテない人たちの集まりかなと思っていたのですが、そんなこともなく、後に私も「どんな人が参加しているの?」聞かれたら普通に梅田や心斎橋を歩いている人たちに独身者だけがかかるバサッと大きな投網をかけて集ま