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自分は何に反応し怒るのか?

最近、イラッとすることが
連発する日がありました。
私はその出来事を
一時的なものとして流すことができず、
だらだらだらだら考えてしまいます。
そして、イラッとしてしまった自分の
心の狭さにも苦しくなってしまいます。

ですが、どうせ考えてしまうのなら、
どうしたらそのイライラを
手放すことができるのか
とことん考えてみようと思ったのです。


よく言う対応策としては
①怒りの対象と距離を置くこと、
②他人を変えるより、自分を変えること
ですよね。

今回の怒りの出来事のうちのひとつは
職場の後輩についてなので、
距離を置くことはあまり現実的ではないと思い、
自分の心の持ちようを変える他ない
という結論に至りました。


つい先日その後輩に対し、
“なんて配慮のない物言いなんだろう”
“その言葉のニュアンスは受け入れられない”
と感じる出来事がありました。


HSPだからか、
数秘術でいう“11”の人間だからか、
私はコミュニケーションにおける
言語そのもの以外の情報に
かなり敏感なことを自覚しています。

ニュアンスであったり、声のトーンであったり、
表情であったり、相手と自分の立場であったり
それはそれは様々なことです。

また、昨日たまたま
個性認識学というものに触れる機会があり、
自分は「智」の人間だと知りました。
「智」の人の誤解しがちな聞き方の傾向として
“馬鹿にされた”と感じてしまうことがあるそうなんです。

私は今回の怒りについて
まさにこれだな、と感じました。
後輩のあの言葉、あのニュアンスは
私を馬鹿にしたように受け取れたので
イラッとしたのです。


“私は言葉を選んで接しているのに”
“なぜその言い方をされなければいけないのか”

という気持ちから怒りになったのだと思いました。


ですが、
その後輩は本当に私を馬鹿にしていたのか?
と考えると、
もしかしたら私の勘違いなのかもしれない…
と思えてきました。
私を見下しているのならば、
普段の言動からも逐一感じ取れるはずです。
ですが、それはないのです。
たまたまその時、単純に、
配慮のない物言いをされた“だけ”なのだと
思うことができ、心がとても軽くなりました。
その瞬間、
だらだら怒りに引きづられていた気持ちが
すっきりと晴れました🌞


怒りというのは二次感情なので、
その根本的な原因に気付くことができると
かなりスッキリします。

怒りを感じてしまった自分を
責めることもなくなります。

ムカムカした気持ちを
放置しなくて良かったと思いました𓂃 𓈒𓏸
ちゃんと考えることができたからこそ、
後輩を嫌いにならずに済んだし、
また自分を知ることにも繋がりました。
それに、相手の振り見て我が振り直せ、で
自分は先輩に対して失礼な言い方していないかな?
後輩に優しい物言いができているかな?
と振り返るきっかけにもなりました。

一つの出来事を深ーく考えてしまうことを
これからも自分の能力として活かしていこうと
思う出来事となりました ⚘˖*

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