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そろそろ歴史観のアップデートをしよう


 『日本の皇室』(中公クラシックス)という本を読みました。

 著者は歴史学者の津田左右吉(1873-1961)。 
 早稲田大学文学部の教授だった大正時代から昭和初期にかけて『古事記』や『日本書紀』の研究を行った人です。本書の内容も、戦前から戦後にかけて執筆された論文や講演をまとめたものになっています。

 津田左右吉は記紀に書かれた神話や初期天皇に関する記述の内容を疑い、「日本の歴史が万世一系の天皇を中心として展開されてきた」とする皇国史観への批判を行った人物として知られます。
 時代は軍国主義の真っただ中。当然というか、著書の発禁処分を受けたり、大学教授の職を追われるなどの弾圧を受けました。

 ところが戦後は一転して軍国主義に抵抗したヒーローとして脚光を浴び、歴史学界の会長に担がれそうになります。
 しかし津田はこれを固辞します。なぜなら当時の学界は唯物史観、つまりマルクス主義史観が全盛だったからです。

 津田は皇国史観を否定する一方で、共産主義にも反対していました。
 終戦直後の昭和21年4月に発行された雑誌『世界』の誌上で津田は、「『われらの天皇』はわれらが愛さねばならぬ。国民の皇室は国民がその懐に抱くべきである」として天皇廃止論に真っ向から反対しています。

 津田がてっきり皇室批判をすると思って〈期待〉していた人たちは、これを読んでがっかりします。特に戦前は皇国史観に染まっていたのに、戦後ころっと左翼に転向した人たちには煙たかったようです。

 そこで左翼の学者が取った行動は、津田の主張を無視し、あたかも「津田が記紀を否定した」かの如く歪曲することでした。
 そのせいで津田は今も皇室否定、記紀否定の元祖のように書かれることが多いのですが、それは正確ではありません。

 津田の主張をひとことで言うと、天皇は崇拝するが、記紀の神代や初期天皇の伝承には誤りがあると指摘しただけです。
 さらに言うと、神武東征の記述には疑問を呈していますが、神武天皇の存在そのものを否定したわけではないのです。

 この本の〈まえがき〉には、昭和27年8月に「中央公論」に寄稿した一文が載せられています。
「六、七年以来、特殊の主張をもっている一部の人たちによって、日本の歴史に関するいろいろの言議が数多く発表せられている。昔から書かれて来た日本の歴史は、多く虚偽な造作によって真実が蔽われているから、その仮面を剝ぎ去って真実を暴露するのだ、というのである。しかしわたくしにいわせると、そういう人たちが真実として示そうとしたことのうちには、実は、その偏僻な主張に本づいて恣に構成せられたもの、虚偽として非難せられたことよりも、それとは違った考えかたまたは違った方面のことながら、更に甚しき虚偽を含むもの、学術的研究の名を借りてはいるが実は非学術的なもの、などが少なくない。」
 自分の名前を利用して、勝手に「われら津田学徒」と名乗る人々への怒りが感じられます。

 個人的には、津田の「記紀における神話や神武東征などの記述には史実としての資料的価値はない」という主張には疑問を抱きます。
 しかしそれもやむをえないことで、戦前は皇室に対する過度な配慮からろくに発掘調査が行われず、記紀の記述を裏付けるだけの考古学的発見がほとんどなかったからです。

 しかし戦後の地道な発掘調査により、吉野ヶ里遺跡や荒神谷遺跡、妻木晩田遺跡、青谷上寺地遺跡など多くの考古学的発見が為されるようになりました。今もし津田が生きていれば、それら見て考えを変えたのではないかとも思います。
 
 この本が2019年に刊行されたという意味は、戦後70年続いてきた歴史観(唯物史観)もそろそろアップデートが必要な時期が来ている、ということだと考えます。


★見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、motokidsさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。

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