SFTにおける友達論 「友達」から「フォロワー」へ

まず初めに、これを書いているのは
北大という僻地にて、友達の少ない人間が
友達の多い人に対して嫉妬で書いているという偏見の元に読んでください。

それでもこの記事に対して不満をもったりやイラッとした人は

まさに私がこの記事で扱う「友達」を作ることに躍起になっている人だと思います。

STUDY FOR TWOは全国50支部、700人のメンバーが存在します。
支部にいる時はこの700人を感じることはまずありませんが
いざ全国合宿や地区活で支部の外に出てみると
この暴力とも言える人の波に誰もが目を疑うでしょう。

特に、初めての合宿なんてそれは顕著でしょう。

人は新しいコミュニテイに入る時、1番多く初めての人に会い、
1番新しい友達が増えることになります。
これはまあ、当たり前のことですが
大学生にとってこの経験の刺激というのは蜜のように甘い経験となります。

高校までの狭いコミュニティから、大学で新しいコミュニティを形成して
これが大学なんだと実感している頃でしょう。

夏合宿での「友達」との出会いはさらにその世界を押し上げて、
自分は高校の同級生の中で一番友達いるぞ!しかも全国にだぞ!

なんて、勝手に「友達」が増えることに対して誇りを持ち
SFT内で生まれた「友達」という存在に依存するようになります。

ここでいう「友達」とは誰か一人を差して使う言葉ではありません。
SFTで全国に出た人が囚われやすい「友達」神話を指すものです。
つまりは
「俺は人より友達いるんだぜ!しかも全国に!」
として思いあがるその心に依存していくのです。

こういった人はその後どうなるのでしょう。

「友達」に縛られた人は全国に「友達」を求めます。

それはなぜか?すでにそんなに「友達」いるならよくない?
これを読んでいる「友達」に囚われなかった人はそう思うでしょう。

そもそも「友達」に囚われている人は
友達についてコンプレックスを持っています。根はインキャなんです。
だから、自分より友達の多い先輩をみると
悔しい。その人よりもの友達を増やしたい。そう思って
さらなる「友達」を求めるのです。
全国で「友達」を作ることに躍起になるのです。
全国で名を挙げて、有名になってさらに「友達」を作る為に
「友達」を作りたがるのです。

しかしその人は気づいていません。
その先輩は別に「友達」が多いわけではないのです。
「フォロワー」が多いのです。

さて、ここで話を整理しましょう。
ここまでウダウダ「友達」を欲する人たちの陰口を叩いてきました。

じゃあ、めっちゃ友達が多いように見えるあの先輩やこの先輩は
なんなの?あれは「友達」じゃないの?

きっと陰口を叩かれた「友達」を欲する人は
怒りながらこう聞きたいでしょう。

しかし、上をちゃんと読んでください。
それらの先輩が多いのは「友達」ではありません。
「フォロワー」です。

ここで「フォロワー」について説明しましょう。

SNSにおける、自身のことをタイムラインにいれてくれる
あのつながっている人のことではありません。

「フォロワー」とは自分をリスペクトして
その活動についてきてくれる人のことを指します。
友達をこういうのもなんですが
この「フォロワー」という友達は、
その人の自己実現のためのツールでしかありません。
どんなに仲良くても、どんなに信頼している相手でも
「フォロワー」は「身内」と「他人」の二元論で語れば他人です。

しかし、「友達」論者は違います。
「友達」は目的であり、その為に妥協と忖度の元に友達を増やします。
「友達」が目的ですから、そのツールとして「自己」を使います。
そしていつの間にか
「友達」と「自己」を同一化して考えるように
友達がいないという自分の状態は、
自分が否定されてるとさえ思えるのです。

自分に欠けがあると考えてしまうのです。

こんな友達はいりません。
100メートル走を走ることが目的であり
「フォロワー」と競争してより良い記録を競うことと
100メートル走を友達と走ることを目的にして
遅い人も速い人も「友達」と手をつないで一緒にゴールすること

どちらに意味があるかは明白です。

先ほど「フォロワー」はツールである。
そう述べました。この部分でこの
「友達」論改め「フォロワー」論

に対して嫌悪感を示してしまう人がいるかもしれませんが
これに関して、私は一切の否定をするつもりはありません。

あくまで他人は他人です。

確かに他人にも他人なりの人生はあるでしょう。

しかし、あなたの人生はあなたのものでしかないのです。

あなたの人生の主人公はあなたでしかないのです。

あなたの人生の中のあなたに利益を与えるもの、害を与えるもの
それらは全てツールなのです。

だからこそ、うまくその他人を
「フォロワー」をうまく使えるようにならないといけません。
「フォロワー」を増やせるようにならないといけないのです。

「フォロワー」はツールです。
ツールはあなたの人生に対し干渉し、助けてくれます。

それは、「フォロワー」はあなたをリスペクトし賛同し
時に間違った時には道を正してくれるツールなのです。

間違っても「自己」と同一化した「友達」なんかではありません。

さて、流石にフィロソフィー的な部分に話が振れすぎたので
SFTに話を戻しますが

私はこの文章を通して、読書の皆さんに
SFT内に尊敬できる友達を作って欲しいのです。
そして同じ目標の下、お互いに高めあえる友達を作ってて欲しいのです。
ではどのようにして先輩のように「フォロワー」を増やせるのでしょうか。
その時こそ自分と先輩を比べる時なのです。

先輩は「友達」の量を比べるものではありません。

確かに先輩は、友達が多いと思います。
それはなぜか。簡単な話です。
団体に貢献しているからです。
先輩の年の功が増やすのは「友達」ではありません。

実績であり、功労です。

先輩の友達はそれを見てきています。
だから先輩は「フォロワー」が多いのです。

「友達」に囚われている暇があったら、
団体に功績を示して「フォロワー」をふやしませんか?

余談ですが、私が最近ツイッターやSlackをよく動かし
団体について発言、提言、発信するのは
この「フォロワー」を増やす為です。
北海道という僻地にいると如何せん、活躍の場が少ないから
こうして自己ブランディングをしてアピールしないといけないんですよね笑

そして、私はこの「フォロワー」を増やして
やりたいプロジェクトがあります。
だから今「フォロワー」を増やす努力をしています。

これを読んで共感してくれた人はぜひ僕の「フォロワー」になって
一緒に新しいプロジェクトに参加してください。

最後に看護学生らしく
なぜこのような「友達」に陥る人が生まれるのかを説明します。
これはエリクソンが提唱したものですが
大学生という青年期の持つ自己同一性(アイデンティティ)の障害という発達課題に由来します。
青年期で人は自己以外の人物と多く触れるようになり、「自己とは何か?」
という問いに悩まされます。
そしてこの問いから早急に逃げる為に、自己を他人に求めてしまうのです。
自己とはその悩みや二面性などが全て見える為に立体で捉えてしまい、
これまで面でしか人を捉えてなかった人はどれが自己であるかを見失います。
その中で他人というのは依然としてその人の1面しか見せないので、
そこに逃げ込んでしまうのです。そしてそのわかりやすい面を重ねて
自己を作り上げようとしてしまうのです。
そうしてこのような事象が生じます。

だから、これを根本的に解決するには
立体で存在する自己を自己と認め他人と自己を区別する必要があるのです。


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