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カウンター席にて

地元にある寿司屋に行くとき、私はいつもカウンター席で食べる。前からあるお店だけど初めて行ったのはせいぜい3,4年前で、それまでお寿司といえば100円の回転寿司であった私には、父親の「お寿司はカウンターで食べておすすめを握ってもらうのがいいんだ」という言葉は随分と気取って聞こえた。

初めてそのお寿司屋に行ったとき、父親の発言は紛れもなく真実なのだと思った。新鮮なネタを一番美味しい食べ方で握ってくれるから、何を食べても美味しいし、苦手な食材でさえも食べてみると本当はこんなに美味しいものなのだという発見がある。自分では注文しないようなネタとも一番良い食べ方で出会うことができるし、ランダム性もまた楽しい。
また、カウンターという場所は、一種のコミュニティを形成している。普段レストランに行ってもなかなか店員さんと話すことはないけれど、カウンターでは寿司屋の大将とその日のネタのことや近隣のイベントのことなど色々な会話が生まれる。稀にしか行かない私たちにも大将は話しかけてくれるけれど、常連客のような人もいて、そこには私たちとはまた違う安定した空気が流れている。この手の人たちはむしろそんなに大将とは話すことはなく、お寿司よりもおつまみなど好きなものをぶっきらぼうに頼み、一人で思い思いの時間を過ごすのだけど、しかし何か信頼感のようなものが感じられる。今日もこの店に行ったけれど、近隣の花火大会を兄が動画で中継しているんだとか言いながら花火の動画を再生して寿司を食べている人がいた。自由だな。
以前私たちが店を訪れたときは、必ず「先生」と呼ばれる人が店にいた。店を訪れて2,3回目まではいつも先生がいたけれど、それから久しぶりにお店を訪れると、大将が別の客と、先生の一周忌の話をしていたことがあった。その先生がいつも店にいたのも、先生の死を分かち合える人々がいたのも、きっと先生や他の客がこの店の食と雰囲気を愛し、ここで交流を深めていたからなのであろう。

昨日の夜も、恋人と職場の近くの割烹のカウンター席で食べた。昨日は仕事に忙殺されて本当に目も開かないしクラクラするし気力がなくなってしまい、仕事の合間だったけれどもうこれ以上無理だ、あの店にいかないと、と思い、以前恋人と行って牛タンや馬刺しが感動するほど美味しかったそのお店に行くことを自ら提案した。
私たちがその店を訪ねたのは一回だけだったけど、大将はちゃんと覚えていてくれて、店に入るや否やすぐに気前よく歓迎してくれた。大将は以前訪れたときもにこやかに接客してくれたけれど、今回はより大将と話すことが多く、むしろ恋人と2人で話す時間はほとんどないくらいだった。以前よりもさらに明るくもてなしてくれた大将は、「ここのお店は、『これが食べたい』って言ってくれたら何でも出すよ」と言って、リクエストをしたら店にあるものを利用して似たようなものを何でも作ってくれるということだった。話を聞いていると大将は以前パスタ屋で働いていて、その店で惚れ込んだパスタの味を自ら再現できるようになってから店を辞めたとのことだったので、パスタを作ってもらった。割烹には似つかわしくないトマトパスタではあったけれど、あっさりしつつも少し辛い味付けのパスタは、和食の締めにもふさわしい味だった。

どちらの店も味そのものからしてすごく美味しいし雰囲気を加味すると尚更最高だと私は思っているのだけど、食べログで調べると評価は実に普通なのである。地元の寿司屋はそもそも訪れる人が少ないのかもしれないけど、職場近くの割烹のレビューを見ると昼に訪れた人が多いらしく、昼にサクッと海鮮丼を食べただけではこの店の魅力は分からないと思う。
そして、むしろ最近食べログで3.5超えの店を調べて行っても、ちょっと期待し過ぎてしまったなと思うことが増えた気がする。今日も3.5超えTOP5000入りのフレンチに昼行ったけどちょっと過大評価では?と思ってしまった……。
食べログ3.5超えで不味いことはなかなかないと思うけれど、真に美味しいものと出会えるか・感動できるかと聞かれたらそうとも限らないのが難しい。むしろ、3.5を下回る店でもすごく好きな店と出会えることがあり、結局ネットの匿名情報だけでは好みかどうかわからない。そうやって試行錯誤しながらも、好きなお店と出会えると非常に嬉しい。
働かざるもの食うべからずだけど働くものは食うことしか楽しみがないんだわ。またここに行きたいと思える店を、これからももっと探していきたい。

#日記 #エッセイ #食 #寿司 #割烹 #食べログ #カウンター

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