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アンジェラ・アキ氏の手紙は結構、酷?

皆さま、こんにちは。
さて、既投稿「「言い分け」はいいわけ?」にてアンジェラ・アキ氏の「手紙~拝啓 十五の君へ~」について「見方によっては、酷な手紙の内容であるようにも感じます。」とお伝えしました。
(念のために断っておきますが、私はこの歌が大好きです。)

今回は、どこが酷に感じるのか、
またそう感じないように、解釈を考えてみたい
と思います。

「拝啓 十五の君へ~」のどこが酷だって言うんだ!?

まず、15歳の僕は「負けそうで泣きそうで消えてしまいそう」なくらい悩んでいるのです。
「誰の言葉を信じて」いいのかわからない状態です。
未来の僕なら信じられるし、解答を知っているに違いないからと回答を求めているのです。
それに対して未来の僕は「問い続ければ見えてくる」と返信してきます。
言い換えますと「悩み続けろ」ということになります。

そうすると、15歳の僕は更に疑問が浮かぶはずです。
「一体、いつまで?」と。

この回答に未来の僕は明確には答えてくれません。
未来の僕は「大人の僕も傷ついて眠れない夜もあるけど、苦くて甘い今を生きている」と告白しています。
このことから察するに、未来の僕は確たる解答を得ていない年齢(状態?)で返信したと思われます。少なくとも15歳の僕はそう思うはずです。
(このセリフ自体がフィクションの可能性がありますが、その場合の解釈は次回以降に廻します。)

この返信をみた15歳の僕は当然のことならがらショックを受けます。
「あのーすみません。未来の僕は一体、おいくつですか?
その年齢になっても、まだ僕は悩んでおられるのですね?
そうであれば、悩みが解消されたお歳になってから、返信を頂きたかったな・・・」
と。

未来の僕にも事情があったのかもしれません。
未来の僕はこう思ったのでしょうか。
「このままではいけない。死ぬまで答えが分からなかったら返信しないことになってしまう。そうであるなら、今、返信すべきだ。」
決断ですね。これなら合点がいきます。

もう一つの可能性として考えられるのは、未来の僕は、実は結構なお歳なのかもしれないということです。
結構なお歳だと感じられるのは「いつの時代も悲しみを避けては通れない」という一節です。
この一節をただのセリフとしてではなく、肌で感じて知っているということならば、いくつもの時代を過ごしてきたということになります。
もしかしたら動乱の令和初期を過ごした経験を物語っているのかもしれません。

もう一つ、歴史好きという可能性がありますが、未来からの返信に、わざわざ過去の歴史のことを書くでしょうか。今回この可能性は除外しておきます。

「手紙~拝啓 十五の君へ~」が皆さまの心に響く理由

さて、「手紙~拝啓 十五の君へ~」が名曲と言われるゆえんがだんだんと分かってきたように思います。

15歳の僕が次のように感じているからだと言えそうです。
未来の僕」=「一番心配してくれているであろう、とても信用・信頼できる他人」

他人ではなく、未来の僕だと気づいてしまえば、前述のとおりにショックを受けてしまうことになります。ここが「酷」だと感じる理由です。

酷に感じない解釈は数多ある

ここからは、本当に未来の僕からの手紙だったとした場合、この手紙が酷に感じずに励ましのメッセージであると解釈する方法を探してみたいと思います。

解釈の仕方を大きく分けると、
「①言葉のニュアンスから感じ取る解釈」、
「②量子論から導き出される多世界解釈(コペンハーゲン解釈ではない方)」がある、と思われます。

酷に感じない解釈(その1)

今回は「①言葉のニュアンスから感じ取る解釈」の中から1つを選んでみます。

おそらく「苦くて甘い」に鍵となる言葉が潜んでいるものと思われます。「苦い」&「甘い」です。

15歳の僕は悩んでいることを「苦い」と感じていたのです。
「苦しい」のです。

このSOSに対して、未来の僕は15歳の僕に「今も悩んでいるけど、それは苦くて甘いよ」と伝えていると言えます。

「悩んでいる」ことを「甘いとも感じる様になったので心配いらないよ」と伝えていると解釈することができます。

身近なもので例えるなら「悩むこと」≒「苦くて甘い(うまい?)地ビール」です。
ピルスナービールです。

若い頃には「こんなに苦い飲み物を大人はなんで好んで呑んでいるのだろう?」と思っていたピルスナービール。
それがいつの間にか「苦くて甘い」と感じる様になるのです。
ピルスナーと同じく大人になれば「悩むこと」も「苦しいだけでなく、深い味わいを感じる様になるよ。」とでも、未来の僕は言いたげです。

また、未来からのメッセージ「問い続ければ見えてくる」で重要なのは「続ければ」かと。「時間が解決してくれる」というメッセージが秘められていそうです。
もし、「悩むことをやめてしまったら将来深いコクを味わえなくなる」と言っているかのようです。
例えるなら
「(ピルスナービールを)呑み続ければ(旨味が)見えてくる」ということです。

でも、もし、そうであるのなら、「15歳という多感な時期に哲学的思考はやめておいて、もう少し大人になってから、また問いかけてみたら?」と未来の僕は15の僕にアドバイスしても良さそうです。
「苦いと思うなら、呑まなくてもいいんじゃない?大人になればいつの間にかピルスナーもうまく感じるよ!」というアドバイスです。
いや、そもそも「ビールは二十歳から」というアドバイスが欲しいです。哲学的思考も二十歳からというアドバイスが欲しいところです。

なぜ、未来の僕はそうアドバイスしなかったのでしょう。
おそらく、15歳の僕を経験している未来の僕は、そんなアドバイスを15歳の僕が聞くわけがないことも知っているのです。
多感な15歳の頃を思い出し、15歳の僕が欲しているのは、「信頼できる誰かに「このまま悩み続けても良いですよ!」と太鼓判を押してくれること」だと知っているのです。
誰かに寄り添って欲しいだけだということを知っているのです。

出揃ったようです。まとめます

未来の僕は、15歳の頃の心理状態を覚えていると言えます。
悩み続けることをやめられない多感なお年頃に向かって「悩むのをやめてみたら?」というアドバイスが藪蛇であることが分かっていると考えられます。
特に、そのアドバイスが未来の僕からだったら「えっ、未来の自分って感受性をなくしちゃうの?もう僕じゃない・・・の?」と余計悩んでしまうことも知っているのでしょう。
だからこそ、大人になってピルスナービールがおいしく感じるようになっているのに、15歳の立場に寄り添って「苦いよね。。」と共感しているのです。
しかしながら、反発を受けない程度のアドバイスを共感とともに伝えたいという未来の僕は言葉を濁しながら「苦くて甘い」と表現していると言えます。

以上が歌詞の行間から読み取ったメッセージです。

いかがでしたか

今回の解釈により、未来の僕が15歳の僕に、如何に寄り添っているか、如何に細心の注意を払って言葉を選んでいるかが見えてきました。

皆さまにはありませんか。
「意見を求めているんじゃなくて、ただ「うん、うん、そうだね。」ってうなずきながら聞いて欲しいの!」というとき。

それなのに、「うん、うん」ばかりだと、「ちゃんと聞いてるの!?」と憤りを感じるというとき。

未来の僕の回答はこのあたりを見事にこなしています。
相談回答の熟達者であるとお見受けします。

未来の僕は令和初期の動乱を生きた?

未来の僕がこの令和初期の動乱の時代を生きていたのであらばと想像すると感慨深いものを感じます。
この名曲のリリースは2008年9月18日です。その当時15歳だった僕は令和2年度初頭には11年半の年月が流れています。今は26歳くらいですね。
(とすれば2011年3月11日も過ごしてきたとも言えます)
未来の僕にとって令和初期は、悩みの「種」どころではなかったはずです。
それなのに、返信の冒頭は「拝啓 ありがとう」から始まっています。
感謝の言葉なのです。達観しておられます。
もしこの状態をピルスナービールの様に苦くて甘いと感じられるということは、さらに年齢を重ねており、令和初頭のことを古い思い出として回答している可能性が高いと言えます。すなわち動乱が収束した後に返信をしたということです。
もしかしたら、悟りの境地に達したからこその回答だったのかもしれません。
令和初期の動乱を生きた者からの回答と思って今一度新たな視点から歌詞を見直してみて下さい。
多くの方は15歳視点で歌詞を読んでおられることでしょう。
未来人の視点で読んで下さい。

如何でしょう。感慨深くありませんか。

しかし、気になるのは、「いつの時代も」です。
このフレーズは令和初期の後にも動乱があることを示唆していると解釈出来ます。
それでも人類、少なくとも僕は「笑顔を見せて今を生きていこう」としている。
未来の僕は「笑顔を見せて生きていかなければいけない」ことを必ず同じ運命を辿る15歳の僕に言葉を選んで伝えているのです。
そのために「いこう」という誘い文句なのです。

(なぜ人類といえるのか。それは、この歌がリリースされヒットしたことにより、個人のみ知る曲ではなく多くの方に共感を得ているからです。)

なぜそれを伝える必要があったのでしょうか。

令和初期の動乱、それ以降の動乱期にも僕が希望を見失わないための布石と考えれば辻褄が合います。すなわち未来の僕は、過去の僕と未来の僕を連続体と見做していたということになります。
未来の僕は、過去の自分のためだけではなく、未来の僕自身のためにも過去の自分に言い聞かせているということです。
過去の僕も未来の僕も希望を見失わない様に「笑顔を見せて今を生きていこう」と。

それでは、また。
よい一週間をお迎えください。

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