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想いは、届いて。

こんにちは、Reiraです。前回の投稿から、かなり時間が経ちました。今日は、思いがけず前回の投稿の続きを書くことになりました。
前回の投稿はこちら ↓ 

この記事を書いた後、私は想いを言葉にしたことで自己満足し、また慌ただしい日常に戻っていました。そんな中、10月末に突然夫が

「お世話になった社長のお墓参りに行きたい」

と言い出したのです。夫も私も共にお世話になった社長ではありますが、在職していたのは10年以上前のことです。彼は別の会社に転職していましたし、社長のお葬式(社葬)以来、私達の間でこの方の話が出ることはほとんどありませんでした。・・・私がひとり心の中で、この方から頂いた大切な言葉を思い出すことはあっても。

私は9月に社長を偲んでnoteを書いたことも、その中で改めて当時を深く思い出したことも、一切夫に話していませんでした(そもそもnoteのアカウントを持っていることすら知らない)。今再び仕事を変え、慣れない仕事に集中している彼を、思い出話で過去に連れて行くような余計なことはしたくなかったのです。しかし、そんな新しい挑戦をしている彼自身を内側で支えてくれていたのも、気づけばこの社長の経営者・人間としてのあり方だった、というのです。

そこでお互いのかつての同僚や上司に墓前に参りたい旨をお話しし、墓苑の場所を教えていただくことができました。そして先日、娘も含め家族3人で手を合わせに行くことができたのです。

秋晴れの穏やかな日、平日の午前中とあって墓苑は私達3人だけ。お花を手向けお線香を焚き、心ゆくまで手を合わせて感謝を伝えることができました。

紅葉した葉が時折舞い落ちる、そのかすかな音さえも聴こえるほどの静寂。「想い」に時空など関係ないのだと、こんなにも自然に体感したのは初めてでした。

もう届かないはずの想い。それでも、言葉という形にすることで想いが羽根をつけ羽ばたくことが出来るなら・・・そんな奇跡を願いながら。

私自身、奇跡と書いているとおり、まさか今になってこのように感謝をお伝えする時間が持てるとは本当に思っていませんでした。でも、こうしてあまりにも自然に、奇跡は現実となったのです。「あなたの想いは届いたよ」というメッセージとして、このようなお墓参りの機会が与えられたとしか思えませんでした。

想いを言葉にすることの力、想いは時空を超えるということ。
それをあらためて体感しなさいというメッセージ。加えて私がこの事を通して受け取ったのは、「学び」も時空を超えられるのだ、という感動でした。今どこにいる存在であろうとも、問いかければ答えはこんな風にリアルタイムで受け取ることができるのだから。

経営者という立場もあったかとは思いますが、本当にご自身の発する言葉の重みを肚で分かっているような方でした。言葉の持つ力を知り、大切にされていた、この方ならではの導きだったのかなぁと感じます。お墓参りを思い立ってくれた夫にも、深く感謝したいと思います。

役目を終えたものは過ぎ去り、これからの自分に本当に必要な、新しい何かが始まっていく。彼も私も、人生何度目かのスタートラインに立ったばかりですが、これからもお互いにこの彩りある人生を楽しみ尽くしていきたいと思います。

このような想いを言葉にする素敵な場所を与えてくださり、noteのスタッフの皆さまと、noteに集まり大切な想いを表現されている方々に、今日は心からの感謝を伝えたいです。ありがとうございます。

本日もお読みいただきありがとうございました。
どうぞ皆さまが素晴らしい一日を過ごされますように。
感謝をこめて。




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