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『薔薇の葬列』 - 今月のMOVIE REVIEW | Purple Screen Feature vol.1

🎬Purple Screen Features🎬

noteでは今月から新連載「Purple Screen Features」をスタートします。

ジェンダーイシューに興味がある方、イベントに参加はできないけどセレクトされた映画を知りたい方、純粋に映画が好きな方etc...に向けて、Purple Screenメンバーが毎月一本の映画をピックアップして皆さんにお届けします🎁

毎週日曜日に開催しているPurple Screenは、映画や映像コンテンツを「ジェンダー」の観点から議論し、共に考えたり学んだりしたい人たちのためのムービークラブ。詳細はこちら👇

今月はPurple Screenを主催する、REINGのEdoのおすすめです。


🎬今月の映画🎬


『薔薇の葬列』(英題:Funeral Parade of Roses)

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「近年の日本映画は、誰かがガンになってしまうメロドラマチックな青春ラブストーリーや、核家族した日本の家庭にも幸せがあるのだと教えてくてる心温まる家族ドラマを延々と観させられる。しかし、日本映画にもそうではない時代が確かにあった。

松本俊夫監督の『薔薇の葬列(1969)』は、抗争が日常化している1960年代の新宿の混沌とした世界に飛び込んだ作品。ゲイボーイの主人公エディ(ピーター)は、ゲイボーイクラブの若きスターでありながら、当時の異なるサブカルチャーやカウンタームーブメントの間を行き来しながら生きている。映画の中では、エディと彼の友人・同僚たちは「ゲイボーイ」と呼ばれているが、彼らはトランスジェンダーに近い存在である可能性が高い。映画の核心は三角関係を中心としたプロットだが、この物語のポイントを超えたところには多くの問題がある。ドキュメンタリー、インタビュー、ノンリニア編集による時系列をバラバラにした描写は、アイデンティティと私たちの欲望を探求すると同時に、消されたり忘れられたりしがちな日本の歴史にある別の時代のクィア文化を見つめる驚くべきタイムカプセルとしても機能している。『薔薇の葬列』に登場する発言は、トランスジェンダーの人たちが希望と同時に絶望を感じながらも、ただ存在していくために直面する葛藤の中で、今もなお響いている。

この映画は、カルト的・古典的なタイトルを獲得しており、恐ろしくもあり、華やかで美しい。ストレスを感じながらも、信じられないほど愛おしい。現代のほとんどの映画よりも優れていると感じさせ、トランスやクィアとして社会に存在することの複雑さを見事に描き出している。エディが極端に自己嫌悪に陥る瞬間は、突然の軽快なシークエンスに切り替わることで、マイノリティを扱う際に忘れられがちな複雑さが表現されている。私たちの人生は一つの音符ではなく、私たちの問題でもない。クィアなキャラクターは一本調子で描かれることが多いが、本作では彼らが完璧なキャラクターではないからこそ、私たちはエディに共感できる。荻上直子監督の『彼らが本気で編む時は(2017)』のような現代日本のトランスジェンダーの描写と比較すると、『彼らが本気で編む時は』の主役であるトランスジェンダー女性はほとんど人と呼べるものではなく、ミソジニストの理想に沿った理想の女性の戯画だった。一方で『薔薇の葬列』は、その物語を語ろうとしているキャラクターの周りに本当の幅と次元を見せてくれる。社会の声に耳を傾け、問いかけ、目をくらませ、最後には爆発するのだ。」

Recommender: Edo Oliver


ノンリニア編集(Non-linear editing):コンピュータを使用した非直線的(ノンリニア)な映像編集方式のこと。 2台以上のデッキを使いテープからテープへ映像をコピーするリニア編集に比べ、編集箇所を自由に選択でき、映像データを即座に追加・削除・修正・並べ替えることができる利点がある。
トランスジェンダー:生まれた時に割り当てられた性別が自身の性同一性と異なる人をさす
マイノリティ:少数派
シークエンス:映像作品で、いくつかのシーンによって構成される挿話
ミソジニスト:女性嫌悪者



Writer : Ai O’Higgins
Editor:Yuri Abo




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