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トランスジェンダー役を当事者が演じること。映画界のキャスティングをどう思う?|REING NIGHT

Creative Studio REINGでは隔週の火曜日に『REING NIGHT(リング・ナイト)』というイベントを開催しています。主に広告・表現についてジェンダー的観点からお互いの意見や感じ方を対話するオンラインコミュニティです。

💜 REING NIGHTとは?
日本のジェンダーイシューについて視点を掛け合わす場、REING NIGHT。身の回りに溢れるTV番組、雑誌、広告、映画等、コンテンツにおける表現に触れることで、誰しもが知らず知らずのうちに「性別」によって、人としてのあり方や生き方を想定してしまっているかもしれない。これまで長い歴史の中で築かれてきた「男性として」「女性として」こうあるべきという見せ方や表現について、私たちは何をどう捉え、考えていけばいいのだろう。


映画界の裏側、シスジェンダーとトランスジェンダーとの間にある待遇の違い


今年7月頭、アメリカの俳優ハル・ベリーが、新作映画で演じる予定だったトランスジェンダー男性(FTM*)役について「男性になった女性」などと表現したことに批判が殺到するというニュースが話題になった。その後、ハル・ベリーは役の降板を発表。

*FTM=Female to Maleの略。トランスジェンダーと総称される人たちのうち、女性として出生し性自認が男性である人のことを指す

「トランスジェンダー男性は『男性』であり、ベリーは誤った認識をしている」と指摘する声が相次ぎ、更にはシスジェンダー*であるハル・ベリーにトランスジェンダーの配役がされてしまったことや、そもそもトランスジェンダー俳優にシスジェンダー俳優と同等の配役機会が与えられていない、といった業界やキャスティングにおける問題点についても多く声が挙げられ、大きな議論となった。

*シスジェンダー=生まれたときに割り当てられた性別と性同一性が一致し、それに従って生きる人のことをさす

2020年8月4日のREING NIGHTでは、

・当事者が当事者役を演じることの重要性
・映画演劇業界でのジェンダーギャップ、トランスジェンダーにも同等の機会が与えられるようになるためにはどうしたらいいのか

といった議題を軸に、一見華やかに見える映画・演劇業界の裏側における実態をどう捉え、どうすれば良くなるのか?業界関係者には何が求められているのか?について話し合った。この日の参加者は12人。Purple Screenメンバーも含む、普段から幅広い映画を鑑賞しているメンバーや、演劇経験のあるメンバーなど、メディアそのものに関心を寄せている人が集まった。

議題元となったハル・ベリーについては、本人の知識不足、トランスジェンダー役を演じる者としての責任感の欠如が問題であると意見が合致したなか、演技・配役そのものや、映画をはじめとしたメディア業界に対して様々な意見が飛び交った。

🗣当事者しか当事者役をやってはいけない。賛成?反対?

・当事者が当事者役を演じることがベストであるとは思うが、絶対にそうである必要はないのではないか。制約を設けることで「演技」における表現の自由、演じることの魅力を半減させてしまうのではないか。
役柄に付随した “人格” を捉える事と、役柄に付随した “ジェンダー” を捉える事とでは、レイヤーが違いすぎる。マイノリティとされる役柄を非当事者が演じることについてはずっと問題視されていた。
・例えば、韓国人や中国人の俳優がまるで本当の日本人であるかのように日本人役を演じているのを見て私たちが抵抗感を覚えるように、当事者からすると、当事者以外が当事者役を演じていることに抵抗感を覚えるのではないか。当事者をも唸らせる演技が出来る俳優だったらOK?クオリティの問題なのか?
当事者役を、有名な非当事者俳優が演じることは、当事者に関する認識を拡めるため、可視化するためにはとても有意義なことだと思う。実際、トランスジェンダーという役回りが少しずつ増え始め、認識や理解が広まりつつある気がする。だが、完全には理解しきれない部分を飲み込んだ状態で一つのメディアとして一般化させるのは無責任ではないのか。当事者が演じていないことで間違った認識が拡まってしまう危険性もある。


🗣そもそもトランスジェンダー俳優の席が用意されていない。まだ受け入れられていない、知る機会が少ない。

日本の映画界・俳優業界をざっと思い返してみたとき、日本人トランスジェンダー俳優が全く思いつかないことに気づくメンバーが何人かいた。ミニシアター系映画をよく観るというメンバーも、思い付かないという。

・日本の映画界ではトランスジェンダー俳優をキャスティングするというアクション自体が無いのか、それとも日本にはトランスジェンダー俳優が全くいないのか。絶対数が少なく、ただでさえ実態が見えづらいのに、日本は抑圧が強すぎて、トランスジェンダーが俳優という職業を目指すこと、トランスジェンダーが俳優になる道のりがそもそも用意されていないのだろうか。
・演劇のキャスティングでは、若年層の役者が年配の役を演じるように、自身のジェンダーとは違うジェンダー役を演じることは実はよくあること。自分ではない誰かを演じるという楽しさがあり、擬似体験を通して理解を深めることも出来るから、そういった多様性こそ魅力と感じるが、日本では特にトランスジェンダーという役自体がとてもアングラな存在にされていて、表に出てきていないように感じる。
受け入れる体制が整っていない環境で、マイノリティが真摯に声をあげ、正論を伝えていくことほど辛いものはない。トランスジェンダーの人が自信をもって活動できるように、まずは非当事者のなかに理解者を増やし、応援し、受け入れる体制を率先して作り上げるべき。


🗣メディアの影響力。これから求められるべき製作陣の姿。

笑い者にされ除け者にされる、いじめられる、人間として扱われない=「可哀想」こういったトランスジェンダーをはじめとしたマイノリティに対する現在のステレオタイプの創造や、非当事者からの扱われ方を助長してしまったのはメディアの影響だと言っても過言ではないだろう。その時々の時代背景が少なからず影響しているとはいえ、まさに製作陣の認識の欠如、理解しようともしていないスタンスがそのまま作品へも現れているはずだ。

・メディアの影響力は偉大だ。それがたとえ全く関心のない事柄であったとしても、鑑賞者の記憶には残り、潜在意識の中に刷り込まれ、何かの拍子にそれが簡単に表に現れてしまうのがメディアという影響力の恐ろしさ。だから間違った認識を肯定して作り上げることはあまりにも危険で、マイノリティをマジョリティとは全く別物として扱ったり、違う人間として描くことを続けていたら、いつまでも世界は平和にならないと思う。
・もはや配役の問題ではなく、監督や脚本家など、製作陣の認識や理解に足る責任感が問われるフェーズまで来ているのではないか。関連する事柄について個々が勉強し続け、学び合うことが重要。知識不足と感じるなら尚更、有識アドバイザーの助けを借りるくらいの誠意を現すべき。
・一つの作品が様々な人へ様々な影響を与えているという当たり前の認識を、製作者はもう1度捉え直すべき。その作品が当事者や、関連した悩みを抱えた人たちの心の拠り所になるかもしれないのだから、当事者そのものの描き方はもちろん、当事者を取り巻く他の役回りにおいてさえも、ちゃんと考えて描き方に気を配って欲しい。


「シスジェンダーから見たトランス像」の押し付け


トランスジェンダーがハリウッドでいかに描かれてきたかを、彼らを代表するオピニオンリーダーやクリエイターらが分析し、それぞれの思いを語るNetflixのドキュメンタリー『Disclosure トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』(2020年公開)はこの問題の理解に役立つ。


メディアがトランスジェンダーのキャラクターをどう扱ってきたのか、ハリウッドが、そして観客が、いかに偏見をもってきていたのかが強烈に語られ、同時にトランスジェンダー俳優がたくさん存在しているという事実も浮き彫りになっている。

実際に、トランスジェンダーたちはこの業界において、「シスジェンダーから見たトランス像」のイメージを押し付けられてきており、それは現場にいる監督やスタッフ、俳優らが全員シスジェンダーであり、誰も当事者の気持ちを理解していない、敬意を払わなければという気持ち自体がないことに起因しているという。


多様なバックグラウンドを持った人々を、”作り手”として迎え入れるために


将来的には誰もがどんな役であっても自由に、そして平等に配役が与えられる環境であってほしい。しかし、そこへ行き着くにはまだまだ先が長い。

ハル・ベリーのニュースを通して浮き彫りになった、そもそもトランスジェンダー俳優へ配役の機会が与えられていないという実態。それは、トランスジェンダーをはじめとしたマイノリティを受け入れる体制がまだまだ整っていない社会構造こそが原因。そんな世の中を変えようと真剣に取り組む人々が少しずつ増えてきているが、その殆どは当事者自身なのだ。多数派の特権で作り上げられたシステムの中で少数派が声をあげていく難しさや辛さは言うまでもなく、何十年も前からソーシャルイシューとして存在していたはずなのに、2020年になった現在でもまだ完全に改善されたとは到底言えない。彼らに手を差し伸べ、同じ立場に立ってその声を少しでも広く拡めること、間違ったステレオタイプを削除していくには、非当事者であるマジョリティの理解と協力が必要不可欠だ。

マイノリティを受け入れられる体制が無いのなら、受け入れられる体制を作っていかなければいけないのだが、その"作る"という工程さえも今はまだマジョリティの特権であるということに私たちは気付かなければいけないのかもしれない。

もちろんお互いに完全に理解し合うことは本当に難しいことで、理解しているつもりでも間違った発言をついしてしまい、無自覚に相手を傷つけてしまうことがあるかもしれない。けれど、それを避けて理解し合うことをやめてしまったら、永遠にこの世界の断絶は無くならないだろう。「100%理解することが目標ではなく、理解しようとする心持ち、お互いに学び合っていこうとする体勢、一人の同じ人間として尊重していきたい」という想いを持つ人が少しでも増えれば、きっと何か変わるんじゃないだろうか。

いつか、トランスジェンダー俳優がランスジェンダーの役を演じることができ、そしてシスジェンダー役をもトランスジェンダー俳優として演じられる映画界の多様さが現実のものとなったら。そう願わずにはいられない。


Writer : Haruko Kubo
Editor:Yuri Abo


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