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36歳で高齢出産 ~心の軌跡~

私の出産備忘録として書き記したnoteです。

仕事が大好き、でも子供ができると環境が激変して仕事が出来なくなるかも??と不安をお持ちの方にエールを贈る気持ちを込めてこのnoteを書きました。

このnoteが少しでも何かの参考になれば、光栄です。

自分のココロの軌跡を全部さらけ出して書いてみました。

息子にこのnoteを読んでみたところ、一生懸命聞いてくれました。特に、コメントもなかったけど、「息子を産んで本当に良かった♬」

と言う気持ちはしっかり伝わったと思います。

私は、結婚してから13年間仕事が楽しくて子供が欲しいとは全く思いませんでした。

海外旅行、趣味、習い事を十分楽しんでいたし、子育てについて悩んでいる友人の話を聞いて

「大変なんだな・・・子育てって・・・」

となかば他人事、自分が母親になるなんて考えたこともありませんでした。
家庭教師に行った日に、ちょうど息子さんがお母さんにキレていてお母さんを殴る、蹴るしている修羅場を目撃してしまうという事件がありました。
それがトラウマになってしまったのも子供が欲しくなかった一因です。

もちろん父母、祖母、親戚、友人から「子供は?」「寂しくない?」
等々山ほどアドバイスを受けてきました。

母親からの圧力も精神的にきつかったです。

第1章:家族からの猛烈な攻撃

第2章:心の内は?

第3章:つわりで苦しむ

第4章:36時間続いた微弱陣痛

第5章:まとめ~そしてこれから~


第1章:家族からの猛烈な攻撃

旦那は「子供こそ人生」「子供は宝」「子供にしっかり愛情を注いでいけば必ず良い子になる。」「僕たちが生きた証が子供なんだから子供を産んでほしい」と言われ続け気付けば、いつの間にか36歳になっていました。

出産するならもう今しかない・・と思ったのでしょう。周りからの圧力のすごさに反発しきれなくなってきたのです。

最後の極めつきの父親からの言葉は自分の胸にぐさっと刺さりました。

父親の言葉は「男は本当に子供が欲しかったら、よそで子供を作ることもできるんだぞ」というものでした。

今まで聞いてきたどんな道徳的な言葉よりはるかに自分の心に突き刺さりました。

「そうなんだ」「子供が欲しい場合は男というのは、ほかに子供の大好きな女性を見つけてその人に妊娠してもらって私を捨てる・・・」

「そんな恐ろしいことも起こる可能性があるんだ」

私は「産むしかない」「周りの家族の期待に応えるしかない」と腹が決まりました。

それからは旦那に子作り宣言をし妊活に励みました。

第2章:心の内は?

旦那の「もし半年経っても妊娠しなかったら産婦人科を受診しよう」という言葉に旦那の子供が欲しい気持ちの強さに圧倒されました。

私はその頃、家庭教師でたくさんの生徒を抱えていて「今、妊娠したら受験生を何人も抱えているのに困るな・・」としか思えませんでした。

ただ、子供が生まれたら大好きな海外旅行もできなくなるし、好きな家庭教師の仕事も出来なくなるし寂しいなあと思ってました。

「私は本当に優しいお母さんになり、子供に愛情を注いで立派にお母さん業をこなしていけるんだろうか?」

ただただ、不安でいっぱいでした。

子育てに全然自信が持てなかったからです。

全く興味のわかないPTA活動、ママ友付き合い、いろんなことを考えたら喜びはなく不安でいっぱいでした。

「子育てに全く憧れがない自分が果たして生活が激変して妊娠して出産して母親になって大丈夫なのか??」と考えれば考えるほど怖かったからです。

子供が生まれる前にやって良かった2つの事

*旦那とシンガポール旅行に子作り旅行に出かけたこと

*デパートのホールでやっていたラッセン展を見て衝動買いで80万円もするラッセンのkissing dolphin の絵を貯金をはたいて現金払いで一括購入したこと

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出典:ラッセン kissing dolphin

なぜこんなに高価な衝動買いをしたのか今でもわからないです。絵を買うなんて頭に浮かんだ事がなかったからです。

今はkissing dolphin は我が家のリビングに飾られており自分の心を癒してくれています。

自分が一番大好きな絵です。

心癒される優しい心にしてくれる絵です。

第3章:つわりで苦しむ

妊活を始めて6か月後に何となく気分がムカムカして体がだるくなって、なんか、いつもと違う、もしやと思い早速、薬局へ走り妊娠検査薬を買って検査しました。

結果はブルー線が入っていたので妊娠していました。

私はとても冷静で「妊娠したんだ」ただそれだけの気持ちで嬉しくて飛び上がったという気持ちはなかったです。

ただ旦那に知らせなくちゃと思い仕事から帰ってきた旦那に知らせました。

するとあまりの喜びようにこちらが驚きの気持ちが隠せませんでした。

旦那は嬉しさのあまりデジカメの妊娠検査薬のブルー線の写真をとっていました。
「旦那は本当に子供が欲しかったんだなあ」と改めて気づかされました。

それからしばらくして、ひどいつわりが始まりました。

菓子パンとお好み焼きしか食べれなくなったのです。

料理のにおいもダメになり仕事以外の時間はほとんど寝ていました。

ただ仕事の時間になると、きちんと化粧して準備して出かけて行きました。

ただご飯が作れなくなってつわりの3か月間は旦那にはスーパーの弁当を買って食べてもらいました。

私はほとんど食欲がありませんでした。

つわりは、体験しないとわからないですが、本当に気持ち悪いですね。

体に異物が入ってきて体が拒否反応を示してこんな状態になると本で読みました。

つわりがない人もいるそうですが、つわりがずっと続いていて本当に体調の悪くなる人もいるので人それぞれ千差万別のようですね。

私は3か月過ぎあたりからつわりがおさまり少しずつご飯が食べれるようになりました。

36歳という年齢も気になったので葉酸やタンポポコーヒーなど子供に良いと言われる食べ物、飲み物は積極的に摂取するようになりました。

健康で元気な子供が生まれるようにと祈りながら生活していました。

仕事は執念でぎりぎり出産2週間前まで続けていました。

家庭教師の仕事は頭は使うけど体はじっとした状態を保てるのでそんなにしんどくはありませんでした。

お腹の中に赤ちゃんがいるので母子一体でどこへ行くもの一緒なので非常に不思議な気がしました。

体がどんどん変化していくので不思議でたまりませんでした。

お腹がどんどん大きくなってお風呂に入る自分のおへそが見えなくなったり風呂釜に足をかけてまたがるのさえ大変になってきて雪だるま体系になっていく自分に驚きでいっぱいでした。

本当に女性の体は子供を産むために様々な変化をしていくのですね。

この時期,様々な音楽を聴いてなるべくストレスをためこまないように気をつけました。
正直わくわくという感情は沸いてきませんでした。

知り合いに「私は母性本能があるかどうかわからないから不安だ」と相談したら「大丈夫よ」と優しく励ましてもらい、何とか自分の心のバランスを保ちました。

元気な子供を普通分娩で出産するために旦那と近所の公園を毎日1時間仕事の合間に歩きました。

自分をだましだまし生活していたように思います。急に陣痛が始まったら大変、と思い遠出はひかえるようになりました。

予定日が10月19日だったので秋風がふいて気持ちがよかったので、毎日の散歩は出産日当日までずっと続けることができました。

第4章:36時間続いた微弱陣痛

10月18日午後11時ころ陣痛が始まりました。

旦那は夜勤なので私は実家に駆け込みました。

あまりの苦しさにのたうち回りました。

こんな痛みは生まれてこの方感じたことがありません。

苦しくて苦しくてどんな体制になっても痛みがとれないんです。

あまりの痛さに産婦人科に連れて行ってもらいました。

看護師さんにまだ陣痛が始まったばかりなので、自宅で様子をみてください、と言われ自宅に帰りました。

その後は痛みに耐えながら夜を過ごしました。

次の日の朝9時ころ産婦人科に入院しました。苦しくて苦しくて病院でも思考停止状態でした.。

「なんでこんなに苦しいんだろう、子供を産むことは人生最大の試練だ」と強く思いました。

「あ~助けて」「もう耐えられない」「苦しい」陣痛の苦しみは想像をはるかに超えるものです。特に初産の私にとっては何もかも初めての経験で苦しみの大きさは並大抵のものではありませんでした。

どのように時が流れたかは痛過ぎて思い出すことが出来ません。

痛みはずっと続き、いきんでもいきんでも生まれてこず旦那と父母に出産に立ち合ってもらい体をさすってもらい、手を握ってもらいました。

痛くて痛くて意識がもうろうとしていました。

もうだめだ、もうだめだと何度も思いました。

結局、微弱陣痛は36時間も続きました。あまりの痛さにのたうち回ること36時間。
さすがに限界がきていました。

もう極限状態です。もうだめだ、その時です。

産婦人科の先生に言われました。

「もしこのまま子供が生まれなかったら産道で赤ちゃんが酸欠になって脳に障害が残ってしまうかもしれません。」

「どうされますか?帝王切開という方法をとりましょうか?」

私は即決で「帝王切開にしてください」と頼みました。

するとしばらくして部屋を移され帝王切開する時に打つ麻酔薬をぶすっとお尻あたりに注射されました。

普通ですと、そんな薬を打たれると相当痛いはずですが、その時はまるで反対で陣痛の苦しみから解放されまるで天国にいるような感覚を覚えました。

それから分娩台にのぼりお腹を切られているんだな。・・という感触を味わいました。

もちろん麻酔薬をしているので痛くはありませんでしたが、少しずきっとしました。

看護師さんが普通に世間話をしているのを聞いていると、みんな当たり前の感じでたんたんと仕事をしておしゃべりをして私は不思議な感覚にとらわれました。

それから急に赤ちゃんの泣き声が聞こえて看護師さんが赤ちゃんを見せてくれお腹の上に赤ちゃんをのせてくれた時、涙が止まらなくなる程の嬉しさがこみ上げてきました。

やりきった感でいっぱいになりました。

幸せでたまりませんでした。私はこれで役目を無事果たしたから、もう死んでも何も悔いはないとまで思ったのです。

こんな感情がわいてきたのは生まれて初めてでした。

不思議な気持ちでいっぱいになりました。

それからは看護師さんが赤ちゃんを病室に連れてくるたび赤ちゃんの可愛さに胸がキュンキュンして「私の赤ちゃん」「可愛くてたまらない」と幸せに包まれました。

今まで全く子供が欲しくなかったのに赤ちゃんの顔を見た瞬間180度自分が変わったことに驚きが隠せれませんでした。

メロメロで完全な親ばかになってしまいました。

自分にも人並みの母性本能があったみたいです。(笑)

それからは赤ちゃんにメロメロです。子供を産んでから10年経ちました。

この10年間は子育てに無我夢中でした。

家庭教師の仕事も夜中ということでどんどん減らしていきました。

だんだん仕事一番の人間から子育て一番の人間に変貌していきました。

36歳の時無事出産でき本当に良かったです。

私は普通分娩と帝王切開の両方の苦しみを味わいました。

どちらも痛くてたまりませんでしたが、1人しか子供を産んでいないですが、両方の痛みを経験でき本当に良かったです。

帝王切開の後は切り口がじくじく痛み回復まで時間がかかりました。

性交渉も半年できなっかたのです。

看護師さんにおっぱいマッサージをしてもらったお陰で母乳がたくさんでるようになりました。

あなどれません、おっぱいマッサージ!!

日々おいしいおっぱいの出る食べ物を研究をしそれを食べるように心がけました。

おっぱいのおいしい食べ物とおっぱいのまずい料理をメモに書きだし冷蔵庫に貼りつけて料理作りに気を付けました。

第5章:まとめ~そしてこれから~

子供も10歳になり大分しっかりしてきました。

息子の親離れが始まってから慌てないように自分も第二の生きがいを見つけてこれからも楽しく生きていきたいです。

今は、オンライン日本語講師として、好きな時間に外国人と楽しくおしゃべりする仕事に夢中です。

今現在はオンライン日本語講師、家庭教師、結婚相談所のライターの3本のお仕事をしています。全部在宅です♪

やっぱり仕事が楽しいです。そして徐々に海外旅行にも行けるようになってきました。

仕事が楽しくて子供を産むのを躊躇している方にお伝えしたいひとこと!

♡仕事も楽しいけど、子育てはもっと楽しい♡

♡息子に専念した10年間は私の宝物♡

この2つの言葉を捧げたいと思います。

私のつたない出産記録を読んでくださり本当にありがとうございました。

読者の方には感謝の気持ちでいっぱいです。

良かったら私のブログも読んでくださいね♪

第六章 追記

2019年9月に私は突然子宮腺筋症という病気になりました。2週間経っても生理が止まらずトイレで貧血になり
立ち上がれなくなってしまいました。

すぐに病院に駆けつけました。
先生から3つの解決法を提示されました。

①リングを挿入して止血する
②一生薬を飲み続ける
③子宮摘出手術を受ける

私は③にしますと即答しました。
『子宮摘出手術をしたら子宮がん、卵巣がんになるリスクがなくなる』という言葉が心に響いたからです。

人生何が起こるかわかりません。
『絶対に子供は欲しくない』と思っていた私が
今は息子が生きがいなのですから。
人は変わるものですね。
振り子の法則というのはこの世の真実だと思います。


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