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ベストを尽くす。

 7月が終わる。永遠にも感じる長い1ヶ月間だった。お腹にいた赤ちゃんとお別れすることが決まったあの日、からもう4週間も経った。振り返っても人生で一番きつい地獄のような日々だった。何に対してもモチベーションを持つことができない。身体はそんな早くには変わらないので、まだ妊娠中のままで、ただただ、半身がなくなったようなそんな感覚で生きていた。自分にとって楽しいことや人への関わり方とかがわからなくなってしまったような。理解されないと思うが、なぜか「恥ずかしい」とか「うまくできなかった」というような恥じる気持ちも自分の中に感じていた。ただその中でも自分自身と向き合い続けて、自己分析を繰り返しては自分を奮い立たせ、毎日
を生きようとしていた。
 
 悲しみは結構早々に自分の中からなくり、むしろ無気力に包まれた。出勤は法律上、8週間の休みとなったが、これで仕事までしなかったら気が狂いそうになるので家でメールやリモートミーティングには復活した。皆から口を揃えて「休んで」と言われた。自分の人生で、ゆっくり休んだことなどないので、まずその休み方がわからない。ベッドで横たわって「休んでいる」と、自分の存在価値がますます感じられなくなっていった。私はこんな身体でなんのために生きてるんだろうか。
 
 段々と出かけられるようになって、数ヶ月ぶりにお酒を飲んだり、人に会えるようになった。でも7月以前の自分が思い出せなくて、楽しむことができない。自分をクラゲやゾンビみたいだなと思った。空回りしている。
準備をしていたこと、楽しみにしていたことを全部一気にキャンセルしてしまったことも、自分にとってしんどかった。暗闇の中にいると「自分には何もない」そんな感覚に陥って悲劇のヒロインでいることに慣れていってしまっていった。

 私は「ベストを尽くしている」人を見るのが好きだし応援していたい。そして自分もいつもそうでありたいと思っている。そんなことを考えていた7月の最後の数日、とあることをきっかけに、自分に対する強い怒りとイライラが自分自身の中にあることを見つけた。それと同時に自分が「悲劇のヒロイン」でい続けることは実は楽で、儲けがあることに気付かされた。その在り方は他人を力付けず、私自身も力付けない。自分の人生を勝ち組にするのか、負け組にするか、幸せにするのか、不幸にするのか、それを決めるのは自分自身以外ではでき得ない。私は今、喪失感で辛いのではなくて、この「既に負けている自分」で在り続けていることが、心底しんどいのだ。それがわかった時、涙が止まらなかった。もうとっくに枯れたと思っていた涙がとめどなく溢れてきた。

 自分の人生劇場は、監督、主演、キャスティング、脚本、全て自分だ。それと同時にその人生劇場を見ている観客も自分しかいない。この壮大な悲劇を見ながら、「かわいそうに」って泣いているのは、結局自分だけなのだ。
こう書くと本当に馬鹿馬鹿しいな・・。起きていることと解釈の違いを完全に区別した。今は今回のことはそれを真に知るためのギフトだったと思っている。ありがとう。7月で悲劇の主人公でいることは手放し、自分の人生を楽しむことに私はベストを尽くす。

 (私のnoteを読んだ友人が「私も実は過去死産したんだよ」と連絡をくれた。彼女にそんなことがあったなんて全然知らなかった。その当時の投稿を読ませてもらって、入院中すごく勇気づけられた。残念ながら同じ経験をした人にしかわからないことがあって、その時の体験をシェアしてくれたことに感謝しかない。辛かったことを共有することは勇気がいることだ。私も今後、同じような経験をする人や、苦しんでいる誰かの力になれればと思って、今noteを書きつづけている)



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