ふと、岡倉天心の「知的セクシーな言葉」に酔いしれたくなった夜
春のこの時期、「花」を見て思い出すのは
知的セクシーの代表格である、岡倉天心の「茶の本」にある一説だ。
たまらない、たまらないよ、この言葉のセンス。
知性とセクシーの同居とは、まさにこの事である。
最高。何度読んでも、最高。
これほどに美しくて、優しくて、ロマンチックで、知性溢れる文章を見たことがあるだろうか。
岡倉天心と聞いて、まず、あなたが想像するのは、
日本近代美術の発展や、東京藝術大学や、日本美術の思想・価値観の世界への発信など。そんなイメージだと思う。
普段の彼の文章って、理路整然としていて、なんだか小難しい。
知性はあっても、セクシーは感じられないはずだ。
しかし、この「花」の冒頭文は、それらの文章とは違う。
「茶の本」の中で、唯一この第六章だけは、彼の内に秘める、情熱的でロマンチックで、愛に生きる感じが、溢れてしまっている。
例えば、こことか。
それに、こことか!
なんて、秀悦な表現なのでしょう。
天心の他の文章には見られない、醸し出される知性とセクシー。
きっと、あなたにも届いていると思います。
彼はピュアなままに、愛を言葉で表現することができる天性の詩人。
彼は50歳のとき、生涯最後の恋をする。
お相手は、インドに住むバネルジー夫人と言う女性。
2人は文通を重ねて、美しい言葉で愛を交わす。
これは、インドから日本に戻り、離れ離れになった切なさを言葉にした天心の手紙の一節。
50歳の、日本を代表する思想家が、ピュアに恋している感じ。
そのギャップ、たまりません。
実は、2人の手紙のやり取りが、一冊の本に纏まっているのだけど、
それはもう、天心の、ピュアすぎる真っ直ぐの愛が表現されており、恥ずかしくなること間違いなしレベルの、超絶たまらない文章なのだ。(表現が稚拙すぎて申し訳ないけど、もう、そんな感じなのだ)
岡倉天心のラブレターが気になる!と言う超マニアック方がもしいらっしゃたら、こちらの本をぜひお買い求めください↓
岡倉天心は、もう、本当に最高なんです。
あ、、、そう言えば。
以前も、このテーマでブログ書いたことがあったっけ。
2年前も、おんなじ事言って、天心に興奮してた自分がいてウケる。
当時とまったく同じ気持ちだな。
何ら変わってないや、わたし。
本当に好きなものって、歳重ねても変わらないものなのかもね。
やっぱり、岡倉天心の言葉のセンス、最高だよ。
ただ、ただ、それを言いたかった夜。
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