節分と言えば、福とか鬼じゃなく、「しず子さん」なんだ

今年も、節分がやってきた。

暦のうえでは、冬の終わりを意味する日。
新しい春が始まる節目の日。
そして、祖母が”最期”に 選んだ日。

これは、祖母が亡くなったときに、感情剥き出しで書いたブログ。

あのとき強烈に感じた「祖母と繋がった感覚」を取り戻すために、
このブログを繰り返し、繰り返し、読む。

あれから3年。
また、この季節がやってきたなあ。

しず子さんと言えば

祖母の名前は、しず子さん。
いつの頃からか、母と2人の姉は「しず子さん」と呼ぶようになった。
末っ子のわたしは、そのハードルをなかなかクリアできず、1人「おばあちゃん」と呼んでいた。

でも、なんだろう、今日は、「しず子さん」と呼びたい気分。

しず子さんと言えば、
小学校の国語教師であり、歌人でもあった。
江ノ島にいったときも、松島にいったときも、歌を詠んでいたっけ。そう言えば、江ノ島の老舗旅館に泊まった際は、お礼の手紙を送っていたね。その後女将さんとやりとりが続いていたような気がする。
「言葉」を大切にしているのが素敵だなあって思ってた。

しず子さんと言えば、
身長140cm台の超小柄、いつも笑顔でノリが良く、みんなの人気者だった。
イタリア人とインドネシア人の男性が自宅に遊びに来たとき、2人に囲まれてとっても嬉しそうにはしゃいでいたっけ。言葉が通じなくても、楽しもうっていうオープンマインドな感覚は、グローバル人材そのもの。
歳を重ねても、ボーダーを引くことなく楽しんでいる姿勢が素敵だなあって思ってた。

しず子さんと言えば、
手先がとっても器用だった。毛糸の帽子、コースター、ぬいぐるみなどカラフルなデザインの作品をたくさん作ってくれた。お手製の帽子をかぶっている姿もとってもかわいかった。一方で、掃除や料理は苦手だったね。しず子さんの家の整理整頓は、おじいちゃんがやっていたイメージ。
カワイイもの・クリエイティブなことを好み、苦手なものは苦手。そんなありのまんまのしず子さんがとても魅力的だなあって思ってた。

しず子さんと言えば、
忍耐強く、頑張り屋だった。転んで足の骨を折ったときも、地道なリハビリをがんばって自力で歩けるように回復した。1回ではなく何度もだ。
わたしも膝に怪我をしていたので、しず子とはリハビリ仲間でもあった。「リハビリ辛いけどさ、一緒にがんばろうね」なんて言い合って、弱音を吐きつつも松葉杖で一生懸命歩いてた。
70代、80代でリハビリをするってかなりのエネルギーがいるはず。それを何度も繰り返しやり遂げるしず子さんは、とても強い人だなあって思ってた。

しず子さんと言えば、
祖父のことが大好きだった。祖父は、同じ小学校の校長先生で、長身のイケメン。専門は歴史。厳格で、口数も少なくて、貫禄のある感じ。身長差もさながら、2人のキャラクターはまるで違っていた。違っていたからこそ、惹かれあったのだろうなあ。

祖父への愛の深さは、しず子さんが亡くなってから知ることになる。ブログにも書いたけど、しず子さんは、祖父への鎮魂歌をまとめた短歌集「思慕」を自主制作しているのだ。

孫には知らされていなかった短歌集。

画像1

祖父の亡くなった後の病室で、自宅の遺影の前で、近所のスーパーで、夜ふと目覚めた布団のなかで、家族との旅行の途中で、思い出の遊歩道で…… ここには、さまざまな日常のなかで、祖父を想ったしず子さんがいる。

ページをめくるたびに、しず子さんから溢れ出た祖父への愛がブワァーっと蘇り、わたしの身体に入ってくる。

悲しみ、喪失感、感謝……、いろんな感情が複雑に絡みあっているのがわかる。
愛するって、こんなにも大きくて、深くて、切なくて、あたたかいものなのか。

祖父を愛したしず子さんを、誇らしくもあり、羨ましくもある。

そう、結局わたしは、しず子さんに憧れているんだろうなあ。


さて、お線香の代わりに、素敵な香りのお香をたこう。


ねぇ、しず子さん
今日も、おじいちゃんと仲良くしてますか。


= おわり =
最後まで読んでいただき、ありがとうございました☺︎

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