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NICO Touches the Walls『QUIZMASTER』

ええええ?????となりました。とりあえずめちゃくちゃ良かった今年のアルバム『QUIZMASTER』のレビューをリリース時MUSICAに大きい枠で寄稿してたのでそちら転載します。

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温故知新、不易流行

「現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」

絶えず発表される新譜や新曲に追い立てられながら音楽を聴いているときに、ふとこの言葉を思い出すことがある(村上春樹『ノルウェイの森』の登場人物である永沢の発言)。「時の洗礼」というのは残酷で、大ヒットした作品のいくつかは「クラシック」となり、一方で残りの多くは「時代遅れの産物」として扱われるようになる。

それでは、「クラシック」と「時代遅れの産物」の境界線はどこにあるのだろうか?様々な要素が考えられるが、特に重要なのは「必然性」がどこまで意識されているか、ではないだろうか。流行りに流されるでもなく、逆に個々の好みに固執するでもなく、「時代のトレンドを踏まえて今やるべきこと(歴史における必然性)」を理解したうえで「作り手としてやりたいこと(自分たちにおける必然性)」をバランスよく混ぜ込んでいる。明確な基準を示すのは難しいが、長く聴かれる作品にはそのような共通項があるはずである。

フルアルバムとしては実に3年以上ぶりに届けられたニコの新作は、「歴史における必然性」「自分たちにおける必然性」が高度に両立している作品である。「アゲる」音楽としてのラップが世界的に広まっている中で、サウンド全体の雰囲気としては前作に比べてかなりオーガニックな方向に舵を切りつつ、ブルース、ロックンロール、ファンクといった「時の洗礼」を乗り越えたアプローチをうまく導入しながら、彼らがこれまでカバーしてきた戦後歌謡にも通ずる歌心溢れるラインも随所に散りばめられている。「今ロックバンドとして鳴らすべき音は?」「NICO Touches the Wallsというバンドとしてやりたいことは?」どちらにも回答している、素晴らしいアルバムである。

全10曲それぞれに聴きどころがあるが、白眉は中盤の流れ。冒頭の3曲に対してメロディアスなムードが強調された“ulala?”では、光村の高音がセクシーに響く(今作は全編を通して光村の「歌い手」としての魅力がかなり前面に出ている)。ラップ的なボーカルも新鮮な“サラダノンオイリーガール?”では、タイトル含めた歌詞の言葉遊びとロックンロール調のアレンジの組み合わせが「これぞニコ」と言うべきムードを放つ。そして、ギターのカッティングが印象的なバンドアンサンブルが映える“MIDNIGHT BLACK HOLE?”に登場する<考えたら負けだ>というプリミティブなメッセージには、非常に風通しの良い状態で音楽と向き合っている彼らの現状が凝縮されている。

メジャーデビューから10年以上経過し、「期待の若手」から次のフェーズに移行しつつあるタイミングでこんな魅力的なアルバムが届けられたのはとても喜ばしい。この先も息の長い活動を期待したい。 

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今読むと記事の締めが切ない。

アルバムマジでいい(今年のマイ年間ベスト候補の1枚)ので聴いてない方ぜひ聴いてほしい。


「あ、これはこの先ずっとリスペクとされるバンド(それこそくるりだったりバインだったり)になるな」という感じだったんですよね。あと、2013年から14年くらいかな、ちょっと停滞してる?と感じた時もあって、その時からここまで突き抜けたという感慨もあったりして。

これがバンドとしての終着点だったとは想像もしていなかった。

今は「各人のご活躍を期待しています」としか言えないけど、やっぱり残念ですね。こういう作品を出した後、どんなバンドになっていくのか追いかけたかった。

もし面白いと思っていただけたらよろしくお願いします。アウトプットの質向上のための書籍購入などに充てます。