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【記念日掌編】生活

 今日は私の生活記念日です。
 皆さんこんにちは。私は五十嵐道人、二十八歳、独身です。地元の求人広告の会社に勤めています。精神障害として双極性障害二型を患っていますが、それを隠して働いています。精神障害者には仕事はありません。障害者雇用ですら見つからないのに、一般雇用は尚更です。この世の中では、精神障害を持つ人間は死ねと言われているに等しく、実際どうしようも無くなって自死に至った知り合いもいます。私自身も大分障害を拗らせてしまっていますし、最早どうしようもない状態になっているのは自覚しています。
 そろそろ三十歳を迎えるにあたり、自分の将来が不安になっています。契約社員で落ち着いてしまっているのも、自分自身の病で短期離職を繰り返したせいである事は間違いありません。おかげで本当に碌な仕事につけず、なんとかまだマシな今の職場にしがみついているのが現状です。この現状を障害のせいにして割り切れと言われそうですが、それが出来ません。私の中に存在する、ほんの少しのプライドが邪魔をするのです。けれども生活は続きます。生きていかなければいけないという気持ちも薄れ始め、そろそろ終止符を打ちたくなってきたのですが、やはり自分の中の小さな部分が、まだ生きていたいと叫ぶのです。なので私は計画を立てる生活を止めました。何歳までに結婚をして、何歳までに子供を何人作るなんて大それた事は言いません。ただ毎日を必死に生きて、その結果終わる事があっても、それは仕方のない事だと思う事にしたのです。どうにかその日を生きる事だけに注力する。それが私にできる生活です。

◇◇◇

 スマートフォンのアラームが鳴っている。起こされた私は画面を一瞥して、時間を確認する。六時三十分。いつも通りの起床時間。薬のせいか、少し呆けた脳をなんとか動かしながら、朝の準備を行うためにキッチンに向かう。キッチンには昨日洗って放置していたシェイカーが洗い物かごの中に適当に置かれていた。そのシェイカーにプラスチック製の計量スプーンですりきり一杯分のプロテインを入れたら、二〇〇ミリのメモリまで牛乳を入れる。蓋を閉めたら適当にシェイクして、ある程度振ったら蓋を開けて一気に飲み干す。今日もバナナ味のプロテイン。いい加減飽きてきたなと思いつつも、惰性で同じ味を買い続けている。飲み終えたら朝の薬を飲む。エチゾラムを二錠、エビリファイも二錠。これで朝食は完了。そして二〇分ほど横になり、また起きる。そうすると少し頭の中が鮮明になる。そうしたら適当な服に着替えをして、歯を磨く。クリアクリーンのお徳用の中身が無くなったので捨てる。数分口の中をシャカシャカと磨く。その後顔を洗う。三回は水で顔を叩く。そして軽く拭き、そのまま髭を剃る。フィリップスの電気シェーバーを使わないと負けるくらい肌が弱く、すぐに出血してしまう。なんならフィリップスでも出血するので、もう選択肢が何も無い。祈りながら髭を剃り終えたら、次に髪を濡らす。独立型の洗面台で、シャワーで水が出せる。服を濡らさないよう慎重に髪全体をしっとり濡らす。そしてドライヤーで半乾きくらいにしたら、ヘアワックスを手に取り伸ばす。ヘアワックスはいつも十円玉くらいのサイズを出している。そしたら後頭部の髪の毛を適当に揉みこんだりして三〇秒くらいワックスを馴染ませる。終わったらトップスから順番に根本を立ち上げていき、全体を立ち上げたら、両手の指を使って、櫛の要領で立ち上げた髪を下ろしていく。その時に前髪にもワックスを馴染ませる。そうしたら髪の毛全体を揉みこみ、ひし形のシルエットを意識しながら整えて完成。パーマをかけているのでこれくらいの感じで簡単に決まってくれる。大体終わると出る時間の五分前なので、カーテンを閉めたり部屋の確認をしていると、すぐに時間になる。通勤用のリュックサックを背負って、家を出る。この日は空に雲一つない快晴だった。夏の暑さを感じる日差しに少しうんざりしてしまう。
 一〇分くらい歩くと地下鉄の駅に辿り着く。後方車両に乗ると、会社最寄りの出口に近くなるので、後ろから二両目くらいの車両に乗るようにしている。柱の陰に隠れるようにして二列で並んでいる人達の後ろに並び、大体四分くらいすると地下鉄はやって来る。乗り始めはそれほど混んでいない。それでも道中の駅で乗ってくる人で車内は九割くらい埋まる。腐っても政令指定都市なのだなと思う。今日は少し生乾きの臭いのするおじさんの隣に押しやられていた。中心駅から二駅ほど先の駅に着く。大分減ったけれどそれなりに降りる人がいるので、その流れに乗って進む。そして前に背負っていたリュックサックを後ろに背負い直す。階段を上り、改札を抜け、また階段を上る。そして数分歩くと会社に辿り着く。これが私の朝の流れだ。崩れることは無く、崩す事も無い。このようにして、私は社会人になりきって生きている。毎朝仮面を作っては、それを被る事で日々を過ごしている。

◇◇◇

 朝の挨拶を粗方済ませ、自分のデスクでノートパソコンを立ち上げる。そしてデスクトップ画面が映ると同時に起動する勤怠ソフトの出勤のボタンを押す。これでようやく出勤が認められるので、一息つける。時間を見ると八時四十五分。あと十五分はゆっくりしても大丈夫だ。とりあえずメールチェックでもするかとメーラーソフトを立ち上げる。起動のロゴが出た瞬間、左肩を叩かれたので、おもわず振り向く。そこには上司の真山さんがいつもと変わらぬスーツ姿で柔和な笑みを浮かべながら立っていた。
「おはよう! 早いね!」
 私は愛想笑いを浮かべながら、いつも通りですよ、と言った。そうだっけ、と続けて聞いてきたので、そうですよと視線をノートパソコンに戻す。メールが数件来ていた。全てデザイン修正。ゆっくりしている余裕は無さそうだ。ふう、と一息吐くとillustratorを起動して、該当の求人広告のデザインの確認から入る。色変え、文言の差し込み、等々、クライアントの要望は無限大だ。締め切りは今日の昼まで。大分しんどいが頑張るしかない。とりあえず一番最初に来ている居酒屋の求人の修正から行う事にした。
 結論から言うと、決定稿を出したけれど、いつも通り締め切りを越えて修正がやってきた。真山さんや他拠点のデザイナーさん達と協力しながらそれらの修正を処理していき、何とかなったのが十五時くらいだった。一旦休憩しようと真山さんと私は仕事場の三階から二階の休憩室へと降りてきた。そしてお互い遅い昼食を取る。真山さんは「みっちゃん」と私の事を呼び、気さくに話しかけてくる。五十五歳で、あと数年で定年だという事を微塵も感じさせないくらいに若々しく、ハツラツとしている。どちらかと言えば、私の方が年甲斐もなく老け込んでいるとも言える。今日も真山さんは元気に喋っていた。
「みっちゃんさあ、田島さんの話知ってる?」
 急に出てきた田島さんという名前。彼女は私と同時期くらいに入ってきた障害者雇用の人で、私と年齢はそこまで変わらなかったと思う。仕事は主に庶務と総務の雑務全般。私たちのデスクの近くで常にバタバタしているのでよく見かけている。
「何の話ですか?」
「田島さんさ、引っ越すらしいよ、実家から」
 私はへえ、と思った。障害者雇用の賃金で一人暮らしはまず無理だから、誰かと一緒に住むのだろうな。
「いいことじゃないですか」
「うん、二人で住むんだって」
 やっぱりなと、口には出さずに一人納得した私。真山さんは、いいよな同棲生活、と懐かしむように独り言ちていた。すると、お疲れ様ですと聞き覚えのある声がして、振り返ると田島さんがいた。おそらく新聞紙をまとめて捨てに来たのだろう。それを真山さんが呼び止め、こっちへと寄って来させる。
「田島さん、引っ越しおめでとう」
「ありがとうございます」
 見るからに田島さんは困っていた。真山さんはこういう時に人の顔色とかを気にしない。今日も例に漏れず話しかけ続けていた。
「いやー、なんか懐かしい気分になったよ、同棲なんてさ」
 真山さんと話し続ける田島さん。田島さんかは最初に見えていた戸惑いの色が徐々に消えていくのが分かる。その代わりに隠しきれない喜びの色が滲み出ていた。もう準備とか済んでるの、だとか、面倒くさそうな質問にもちゃんと答えていたし、何より常に口角が上がっていた。相手は大手企業の会社員で、駅前辺りの賃貸マンションに暮らすのだという。部屋の大きさは2LDKで、結構広めらしい。
 田島さんへの質問攻めは、真山さんが呼び出される形で強制終了した。なんだよ、ゆっくり休ませてくれよとボヤきながら上の階に戻っていった真山さんの後ろ姿を見送ってから、田島さんは会釈を私の方にして、まとめていた新聞紙を持って下へ降りていった。フロアには一人だけになり、私はコンビニで買ったおにぎりの封を開けた。上手く海苔を巻くと、一口食べる。海苔の乾いた音が響いた。それを噛み締めながら、私は先程から心の中を侵食しているものは何か考えていた。大まかな事は想像がついている。それは嫉妬、恨み、その他色々と考えうるものだと思っている。
 種類は違えど障害を持ちながら、総額十七万円の障害者雇用と大して変わらぬ賃金を貰い、細々と一人暮らしをしている私。一方、金を貰ってる男を捕まえて、幸せな二人暮らしをしていくであろう田島さん。この格差よと口角を吊り上げ笑った。私は人並みの生活を送りたかった。だから障害のことを隠し、一般の人と同じ労働を行っている。それはもしかしたら言い訳で、ただ診断から数年経った今でも受け入れられないというのが本音かもしれないが、それでも「普通の人」であり続けようとしている。けれどそれはしんどい事ばかりで、とても辛く、苦しい。障害者として幸せを掴み取る事が出来た彼女との差はなんだろうと思った。障害を開示してようがこれは関係ないだろうし、あるとすれば男女としての性差くらいしかない。けれどそれはどうしょうもないものだ。私が生まれ変わるくらいしかそれを曲げる方法はない。割り切れない。ただ、人並みの幸せを掴んでるあの人が羨ましい。そんな事を考えてたら、なんだか心に影が落ちてきて、真っ暗になってしまった気がする。ただでさえ躁鬱の鬱期なのに、こんな事を考え始めると負の思考に支配されてまともに動くことが出来なくなる。襲ってくる吐き気。それと若干のめまい。今日はもうだめだ、帰ろう。こんな日もある。上の階に戻り、真山さんに断りを入れて早退した。帰ってからは泥のように眠った。
 目が覚める。アラームが鳴る。また朝が来る。そして生活は続く。毎日が生きているだけの日。毎日が生活の記念日。

【伊達】

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