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小学校教員のぼくが「困っているエネルギー」を出すようになったわけ

昨夜、ZOOMでWebおしゃべり会をした。関西や関東の大学の先生や英会話講師の方々と。
そんな中で「子供が主体的になる瞬間」のエピソードを伝え合う場面があった。


主体的というとややこしくなるかもしれないが、
ざっくり言うと、子供側から「○○やってみよう」という提案の起きる瞬間ってどんなときかということだ。
その話題の中で、ビビッときたワードがあった。
 
 
先生が「困っているエネルギー」を出す。ということだ。
 
 
 
 
 
先生自身が困っていることを包み隠さず、みんなで考えようというスタンスに立つことで、子供から「○○したらどうかな?」、「○○やってみよう」という主体的なエネルギーが生まれる。人はそもそも人を助けたいとか、自分の知っていることやアイディアを伝えたいという欲求がaるからだろうか。
子供が主体性を発揮する上で、先生の「素直さ」ってめちゃくちゃ大事だなあ、と思っている。
「○○しなさい。」
「〇〇しましょう。」
のようないわゆる、教師教師した言葉ってなかなか主体的にはなれない。もちろん、テンポよく知識を獲得したり、集団が整然と動く上ではこうか的な言葉だと思うから、大切ではあるんだけれど。
自分の現場での感覚的に、年齢を問わず、「素直さ」のある先生のクラスは主体的な雰囲気が生まれやすかったり、暖かい雰囲気を感じる。
この「素直さ」、「困っているエネルギー」を出すことって、まだまだAIにはできない分野だと思う。
AI「あー、困ったー。どうしよー。」
子供「よし、〇〇してみたらどうかな?」
とは、なかなかならない。AIは嘘くさい。感情が乗らない。
先生側に素直な感情が乗っかると、子供も感情エネルギーが乗っかる。
でも感情が乗っかっていない先生より、全然ましなAIもあるかもしれない。
自分は小学生時代、RPGのドラゴンクエストをやっていて、ストーリーを進める中で感情移入をして、「助けたい」という思いになったことがある。
ストーリー性を帯びたり、AIのキャラクターに愛着を持つことで、主体的に学ぶエネルギーが生まれるのではないかと思う。
なんだか話が少しずれてきたけれど、
人対人でやる仕事の上で、


「素直さ」、「一緒に考えてみようスタンス」を持ち続けたいなあと思ったZOOM会でした。

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