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昔の恋人に出会う空想交差点/真野愛子

青空の下、駅前の交差点にあなたは突然現れた。
胸が張り裂けるかと思った。
あの頃とちっとも変らず、あなたがそこにいたからだ。
信号が変わると、あなたはわたしに向かって歩き出した。
わたしも、あなたが現れたことで一時停止してしまった映像を再び進めようと一歩を踏み出す。
 
それは、横断歩道での再会だった。
けど、次の瞬間、青空がサッと曇ったのを感じた。
あなたはわたしに気づかず、その横を通り過ぎて行ったのだ。
 
「バカ……」
 
それは彼に対して言ったのか、それとも自分に対して言ったのか、よくわからない。
きっと自分に言ったのだろう。
彼は1年前まではわたしの特別な存在だった。いわゆる、元カレだ。
大ゲンカして大嫌いになったのに、突然現れたものだからそんなことは全部忘れて、あなたに目を奪われてしまった。
ひとめ見てすぐにわかった。あなただと。
 
けど、期待していたわたしがバカだった。
 
1年たって多くのことが変わってしまったのだろう。
いっけん彼の外見はあの頃のままだったけど、中身はきっと……。
何より一番変ったのは、あなたの隣にわたしの知らない女性がいたことだった。
 
横断歩道を渡り切ると、これ以上惨めになりたくなかったから、彼の後ろ姿を振り返ることはしなかった。
わたしだけがあなたに引きずられているみたいで不平等だ。
視界がぼやけてきた。
 
「泣くな」
 
わたしの頬に雫が落ちて、その数秒後に大きな雨粒が激しい音を立ててアスファルトを叩いた。
傘を持っていないおかげで、わたしは涙を見せずに済んだのだ。
無抵抗に濡れるのは、今のわたしにはちょうどいい気分だと思った。
 
 ◆ ◆ ◆

君はこの1年でずいぶんときれいになっていた。
最初、交差点の向こうに君を見つけた時はドキッと胸が高鳴った。
一瞬でわかった。そんなの見間違えるはずがない。
 
「おっ、元気だったか?」
 
本来なら、そんなふうに声をかければよかったのかもしれない。
けど、君はこの1年で本当にきれいになっていた。
肩にかかっていた髪をさらに伸ばし、ゆるりと巻いた螺旋を揺らしながら歩く姿はとても優雅で、もはや僕の知らない君だった。
あの頃が遠い過去のように感じられた。
何より、君は僕に気づかず、その横を通り過ぎて行ったのだ。
 
「マジかよ……」
 
でも、まだ大丈夫。今なら。
横断歩道を渡り切ろうとしたところで僕は振り返った。
その時、この季節特有のにわか雨が一気に降り出した。
君は傘を持っていないのか、雨に打たれている。
せっかく巻いた髪が台無しだ。
僕はカバンから折り畳み傘を取り出すと、同僚の女性に「ちょっと先に行っててくれますか。すぐに用事を済ませて合流しますから」と声をかけて、君を追いかけようとした。
 
が、信号は赤に変わり、立ち往生。
横断歩道の向こうでは、誰かが君に傘を差し出していた……。
 
僕はタイミングを逃した間抜けな男だった。

 ◆ ◆ ◆
 
あの時、わたしに傘を差し出してきた男はこう言っていた。
「よかったらそこのスタバまで入れてってあげるよ。いっしょにお茶でも……えっ、君、泣いてるの!?」
わたしはこの男を拒んで目の前のビルまで走った。
 
以来、わたしたちが再び会うことは二度となかった。
 
それから半年ほどしてたまたま神保町に仕事で行き、取引先との会議が早めに終わったので古びた喫茶店に立ち寄ったことがあった。
その喫茶店は以前よく待ち合わせに使っていた場所だ。
会社に戻らなければならない時間まで、まだちょっとある。
わたしはコーヒーを飲んで過ごした。
 
「今日はあの人の誕生日か……」
 
もちろん、関係を終えた今となってはそんなことはどうでもいいことだった。
ただ、コーヒーの味だけはあの頃と何も変わりはなかった。
わたしは会社に戻るために席を立った。

 ◆ ◆ ◆
 
午後のミーティングに備え、昼食を終えて店を出ようとしたら、同僚の女性が僕にこんなことを言ってきた。
「今日が誕生日なんですか? だったら、ここはご馳走してあげますよ」
ありがたくご馳走になったが、妙なことを思い出した。
この喫茶店は以前よく待ち合わせに使っていて、その時に彼女が大きな遅刻をやらかしては「ここは出すからチャラね」と奢ってくれたことがあった。懐かしい。
 
東京の街は数年もするとすぐに変貌してしまうが、こうやって昔ながらの喫茶店がそのまま残っているのは貴重だ。
『変わりゆく街に、変わらない味を』
その店のブラックボードにはそんなキャッチコピーがチョークで書かれていた。

 ◆ ◆ ◆
 
確信のようなものがある。
わたしたちはもう二度と会うことはないだろうと。
そう思うのが自然なくらいに時はそれなりに流れた。
今やタイミングも生活圏も行動パータンもすべて歯車は別々のところで回っているような関係だ。
わたしも、あなたも、歩み続けてお互いにどんどん遠ざかっていったのだ。
 
ではなぜ、あの時、あの交差点でわたしはあなたに出会ったのか?
 
まだ少しだけ歯車が重なり合っていたのかもしれない。
そして、きっとあれが最後の痛みだったのだ。
その痛みを刻んで、あとは忘れなさい――運命にそう言われた気がする。
世の中には昔の恋人に再会して、赤い糸で結ばれていると確信するふたりもいるようだが、わたしたちの場合はそうはならなかった。
 
わたしの中のあなたは、もはやあなたではなく、わたしにとって都合のよいあなたでしかないだろう。
現実のあなたはもっと生き生きとしていて、今を精一杯に生きているに違いない。
 
すべては変わっていく。
コーヒーの味は変わらなくても、わたしが変わっていくのだから感じ方も変わるということだ。
最近はもうあなたの顔もよく思い出せない。
悲しいけれど、わたしは忘れていくことでしか前に進めない女なのだろう。
 
今、もし仮にあの交差点を挟んでお互いが向き合ったとしても、あの雑踏の中、わたしはあなたに気づけなくなっているのかもしれない。
もしそうなら、それは今を精一杯に生きている証だと思うことにする。

人が前に進もうともがく姿は、どこか悲しみが滲む。
人々が行き交う交差点は、そんなヴェールに包まれている。
だから誰もがそこを上手にすり抜けて次の目的地を目指すのだろう。
その向こうに新しい出会いがあると信じて。


胸の奥はまだチクリとするけれど、前に進むと決めたんだ。
天気予報は、しばらく晴天が続くと伝えている。
信号は青に変わった。


 【真野愛子 プロフィール】
フリーライター。超インドアですが、運動神経はよい方だと思ってる20代。創作ストーリー『暗闇で愛が咲く』に出演。料理と猫が好き。将来の夢は、お嫁さんw

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