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【ブッダ】死んだ子供の薬を求めて歩き回った結果。

さて、

今回は私の好きな話を。

「手塚治虫のブッダ」

で、私が離婚しうつ病になるんじゃないかくらい
精神薄弱状態の時に救われた教えの一つです。

多くの人の中には

「私はなんて不幸なんだ」

という方もいます。
そういう人は自分を特別な人間だと
自負しているのですが
世の中に不幸ではない人間などいないのです。

みんな平等に幸も不幸もある中で
各自がどのように感じて生きるのか
各自の人生を作ります。

そんなお話です。

昔インドのサーヴァッティーの町に、
キサーゴータミーという若い女性がいました。

貧しい家の娘で、げっそりとしていましたので、
“やせっぽちの(キサー)ゴータミー”
呼ばれていました。

困窮した少女時代を送った彼女でしたが、
財産を失った大金持ちを助けたことで、
その長者の息子と結婚して40億もの財産を
譲り受けることができました。

それから彼女は子供を身ごもり、無事に
かわいい男の子を産みました。

ところが、その幸せのさなかのことです。
よちよち歩きができるようになったばかりの
最愛の子が、不幸にも亡くなってしまいました。
一人息子を失い、キサーゴータミー
悲しみに打ちひしがれます。

それまでに人の死を見たことがなかった彼女は、
皆が火葬に連れ出そうとするのを拒み、
子供の亡骸を抱えて、
「薬を探しに行きます」と言って
家を飛び出していきました。

「誰か、この子の薬を知っている人はいませんか!」

家々を尋ね歩く彼女に、何人かの人はこう言いました。
「お母さん、あなたは正気を失っておられる。
死んだ子供の薬を求めて歩き回っているのだから。」

しかし彼女は答えました。
「いいえ、私は必ずこの子の薬を知っている人を見つけ出します!」

この様子を見たある賢者は、彼女を憐れに思って話しかけました。

「お母さん、私は薬のことは知りません。
でも薬を知っている人なら知っています。」

「どなたがご存知なのですか?」

「師が知っておられます」

「行きます。お尋ねしてみます」

こうして彼女は、紹介されたブッダのもとを訪ねました。
師に近づいて礼拝すると、彼女は尋ねました。

「尊い方、あなたは私の息子の薬をご存知だとうかがいました」

「そうです。知っています」

「何を手に入れたらよろしいのですか?」

「ひとつかみの白いカラシ種(白マスタードシード)をもらってきなさい」

「どこのお家からいただいてきたらよろしいですか?」

「息子も娘も、誰も亡くなったことのないお家からいただいてきなさい」

「わかりました、師よ!」

キサーゴータミーは子の亡骸を抱きかかえると、
再び町に戻っていきました。
最初の家の前に立って、彼女はさっそく尋ねます。

「お宅に白いカラシ種はありますか? 息子の薬になるそうです」

「ありますよ。ちょっとお待ちなさい」

カラシ種を持って出てきた家の人に、
キサーゴータミーは尋ねました。

「お宅では息子さんも娘さんも、
どなたも亡くなった方はおられませんか?」

「何をおっしゃいます。うちでは今生きている人よりも、
死んだ人間のほうがずっと多いですよ」

「それなら、これはお受け取りください。
この子の薬にはなりませんから」

そのあとも、彼女は家から家へと尋ね歩きました。
しかし、どこでもカラシ種を手に入れることは
できませんでした。

カラシ種(マスタードシード)は
どこの家庭にでもある、ごくありふれたものでした。
現代でもインド料理には必ず使うものです。
日本でいうと塩や胡椒のようなものでしょうか。
そのようにカラシ種はどこの家庭にもあったのですが、
死人を出したことのない家は一件もなかったのです。

町中の家々を尋ね歩いたキサーゴータミーは、
夕刻になって冷静になり、そして気づきました。

「ああ、なんと恐ろしいこと。私は今まで
自分の子供だけが死んだのだと思っていた。
でもどうでしょう。町中を歩いてみると、
死んだ人のほうが生きている人よりずっと多い。」

正気を取り戻した彼女は、息子の亡骸を置いて、
ブッダのもとに戻りました。

「カラシ種は手に入りましたか?」と問う師に、
彼女は自分の気づいたことをお伝えしました。

ブッダは彼女にこう教えました。

「誰にでも死は必ずやってきます。
永遠でないものに望みをかけるならば、
死(終わり)というものが大洪水のように
その人を飲み込んで、
苦しみの海のなかに投げ込んでしまいます」

その時にブッダが説いたことが、
今も詩の形式で残されています。

子供や家畜 財産に 気を奪われて とらわれる 人を死王は
さらいゆく 眠りに沈む 村々を 大洪水が のむように

キサーゴータミーブッダの教えを聞き、
悟りを目指す決意(発心)をしました。
そして出家して弟子になることを願い出ました。

尼僧となった彼女は、月2回の僧たちの会合で、
あるとき灯火の係になりました。そしてそのとき、
灯火がチラチラと点滅するのを見て、
生じたものは滅びるのだという道理を悟り、
ニルヴァーナ(涅槃)の境地だけが不滅であると知ります。

ブッダは彼女に、そのニルヴァーナの
不死の境地を悟ることこそが、
本当に求めるべきものであると教えました。

その教えが、これも詩の形式で残っています。

不死の境地を 見ることなしに 百年間も 生きるより
不死の境地を 見て生きる 一日これに 勝りうる

この教えを聞いたキサーゴータミーは、
心にあった理解の妨げがすべて取り払われ、
これからのち、悟りの境地へと至ったそうです。


以上です。

私は無宗教ですが、有力な宗教の教えは
やはり万人が人生の救いを求めて集うだけあり
人生の本質をついているものだと思います。

そこに集客や勢力拡大のための他宗教徒の争い
利権関係などが発生すると魅力が粉砕するのですが
教え自体は本当に素晴らしいです。

特にブッダの考え方その教えは深く共感しますし
あなたも感じるところがあると思います。

あなたは、まだでしたら

「手塚治虫のブッダ」

読まれて見てはいかがでしょうか。

人生最大の教科書です。

特に響くのは、うつ病など心の病にかかっていたり
かかりそうだったり、生きる意味がわからなかったり
自殺したかったりと

人生の希望の火が消えかかっている人に対してです。

ブッダが生まれ生存した時代は、そういう人が多かった。

だからその時代の人々に響いた。

今の時代も、ものは溢れ便利にはなりましたが、
「人の心」は幸せなのかどうかと言える時代ですから。

鈴木正行

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