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⬛︎佐柳島(香川県仲多度郡多度津町)を訪問。島全体がネコカフェか(笑)⁉︎ 島民70名、ネコ100匹、イノシシ100匹⁉︎ 島内の生の声も聞いた!

2019/12/17

2019/11/13 水曜日 晴れ

🔴香川県仲多度郡多度津町沖にある佐柳島、通称 ネコ島を初訪問。佐柳島は、さなぎしま と読む!

佐柳島 (さなぎしま)は、島全体が猫カフェみたいやった 笑! 島の方々から問題点もお聞きした‼️

🔴佐柳島の定期船の待合室の方と話してたら人口70数名、ネコ100匹、イノシシも100匹いるとのこと(^。^) えっ、100匹ですか? 聞き返したが、猟銃会の人たちがイノシシの足跡を見て100匹くらいはいる、ということらしい! イノシシの被害は深刻な問題だと言う。さっき会ったおばさんも、イノシシが100匹いると言っていた。ここは、ネコ島でもあるが、イノシシ島でもあるのだ! 作物を作っても、すぐに食べられるそうだ。そう言えば、最近、高松のサンポートでも島から泳いできたイノシシが上陸できないように黄色い網が張られていたのを思い出した。

🔴1860年に浦賀からサンフランシスコまで航海した咸臨丸の日本人乗組員96名、アメリカ人乗組員11名の計 107名のうち、この佐柳島からは、2名が水夫として乗船した。28島ある塩飽諸島全体では、本島 12名、広島 11名、高見島 3名など計 35名が勝海舟を艦長とする咸臨丸に乗り込んだ。佐柳島の水夫 一人はサンフランシスコへ行く途中で亡くなり、帰れなかったようだ。

佐柳島の本浦港から長崎港へ行く途中で会った おばさんと話をしていると歴史好きの方で、生まれは、佐柳島、育ちは本島だと言う、咸臨丸や海援隊のお話しを聞けた。

※佐柳 高次(さなぎ たかじ、天保6年9月28日(1835年11月18日) – 明治24年(1891年)1月27日)

幕末の志士、海援隊隊士。前田音三郎の子。本名は前田常三郎。浦田運次郎の変名を用いた。

讃岐国塩飽佐柳島の出身。嘉永4年(1852年)江戸に出府し、安政2年(1855年)長崎海軍伝習所の水夫に採用される。1860年(万延元年)勝海舟らとともに咸臨丸で渡米(太平洋横断)を経験する。文久2年(1862年)勝の紹介で坂本龍馬と知り合い、神戸海軍操練所、さらに亀山社中(後の海援隊)にも参加した。

幕末の頃、数名の佐柳島の島民が咸臨丸の乗組員に選ばれ勝海舟らと共にアメリカ合衆国サンフランシスコに渡米。航海中に病を患い客死した平田富蔵の墓が乗蓮寺に残る。 また坂本龍馬率いる海援隊の志士として活躍した佐柳高次は「いろは丸沈没事件」当時のいろは丸の航海長を勤め、長崎奉行所占拠事件にも参加している。


🔴佐柳島の両墓制と咸臨丸水夫の墓

🔴朝一でエサやったら飛び猫も撮れた‼️ しかしながら、私たち観光客はエサをやるのみで、糞尿の掃除はしない‼️ これは、問題だ! 待合場などで、ネコのエサを販売し、それを清掃費に充てることはできないものか? しかし、ノラ猫は、健康管理もできないため、肥満になったり、また、繁殖しすぎるといけないため去勢処理なども必要になってくる。数年前に、フロリダのキーウェストにあるヘミングウェイ旧宅を訪問した際、指が6本ある多指症のネコをみたが、近親相姦による奇形も危惧される。

🔴ネコの糞尿の掃除は島民の方々がしている。行政は佐柳島をネコ島として宣伝はするが、島の掃除はしないと聞いた。多度津町の招き猫課で清掃費を予算として捻出する案は出ないものか? 佐柳島だけ優遇されるべきでないなど反対意見が上がり、問題視されるようなら、佐柳島を猫の島として、解決策なしに宣伝するのは止めるべきだと思う‼️

以下、下記ブログに続く


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