Sugarpractice、日々の写真と徒然_町と自然を考える

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こんにちは、Redsugarです。

2019年10月からtwitter上で行っているsugarpractice、前週から引き続き日本写真史と畠山直哉さんの図録を眺めながらの練習という形になりました。正面から被写体を捉えて、時間関係なく物事を捉えるというためにはどうしたらいいのかなーというアプローチで練習を続けました。

杉本博司さんの作品であるシアターなど決定的瞬間の考え方ではなく、時間概念を越えて本質に迫ろうとする、ニューカラーのその先みたいな考え方などを読みながら、練習をした1週間です。読みはしたものの、少し考えた程度では技術は身につかないなぁと思ったものの、何事も練習かなと思い続けることとします。

今週も基本的に撮って出しです、あとから思うことがあればNX-Dで調整をしますが、基本的にピクチャーコントロールのパラメーターの振り直しで写真をしばらくは作成することとしています、なので、ここに載っている写真は撮影段階で同じものを作ることが理論上可能です。

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とにかく街を撮り続ける、センターに楔となるラインを立てて、それの位置によりどう構図が安定するのか、この場合は写真下、つまり前景。

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これは正面中景、日の丸構図。画面内の力が一点に収束するように、まだ力が全然弱い。

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これは中心はないもの、アノマリーとなるおばさんと都市の空っぽの景色の対比などを考えて撮影をしていました。

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前景の黄色いラインなのですが、車が二台同時に走るとちょっとシュールです。視覚的にちょっと面白い瞬間があるのだなとこれを撮影していて思いました。

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こちらは赤のラインですね、こうやって楔を打っていくと画面が静止する感覚が強くなっていくのがわかります。

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こちらは街灯、一見ごちゃついているんですけども、なぜか安定感があるのは横一線に走る線路の屋根と街灯がT字で安定しているからだと推測しています。

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晴れた日はビルをモノクロで撮影していました、モノクロは物の本質に迫りやすい、抽象化しやすいという特徴があるようです。いつもビルを下から眺めているのですが、これは結構練習になります。箱をデッサンするのに近いですね。

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街灯とビルを組み合わせて絞りを22に、画面全体にピントを合わせると平面的にオブジェクトが抽象化されると考えています、こういう表現手法で絵画写真を撮ってもいいですし、建築の持つ超然性などを表現することは出来そうです、というかタカウエさんがそれか。

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こちらは影を撮影したもの、日が傾き始めた時間帯はレーキングライトの状態になると思いますが、影も撮影しやすくなります。画面中央上部の木の幹とゴーストがかかる部分にアイキャッチが落ちるように考えてみたのですが、いかがでしょうか?

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モノクロの練習が終わったら再びカラーで、ニューカラーのような色がなるべく出るようにカメラの設定をいじりながら練習を続けました、参考にしているのはジョエル・マイロヴィッツとリチャード・ミズラック。ただ全然色味が違う、まだまだ練習の余地があります。

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センターに大きく走るラインを入れると途端に構図を安定させるのが難しくなった気がします、これは最終的に右上の人影に視線が行くように考えました。

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前景に光が当たった木、中景にマンションの影、遠景が光という考え方です、光の階段というキーワードが、日の傾きが激しい時のほうがとらえやすいのではと思って歩いた一日。

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こちらは黄色ですね。

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日が傾いた時間帯の畑は撮るものがいくらでもあるので楽ですが、日が傾いた時間という強力な魔法を利用しているため、非常に楽に被写体を見つけれてしまうという問題点があります。日が傾いていないと、光が良くないと撮れないというのは景色に撮らされているのであまりよくないというのがナショナルジオグラフィックなどの教本の考え方のようです。とはいっても、私のようなレベルではまずはとらえやすい時間から始めないと厳しいなと感じるところがあります。

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ネギ畑などは線の力が強く、前景の誘導にはちょうどいいラインの構築の仕方をしているかと思います。

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日が傾いていると撮りやすいのはこのような一枚ではないでしょうか、画面内に3つの層がきちんと取り込めるのでとても良いかと思います。

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基本逆光で太陽を捉えるよりも、太陽を背負ったり、光を浴びているオブジェクトを撮影するという考え方にシフトしたほうが良いなというのが最近の考えです。場合によるとは思いますが。

こちらも画面を空、ネギ、枯れ葉と平面的な3層で考えています。

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正面からとか3層以外にも純粋にきれいだなと思った瞬間にカメラを向けるのも練習です、空が入ったり遠景が入りすぎると草と影に視線が行かなくなるので、奥に来る遠景をカットするためにカメラを下に傾けています。

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オブジェクトにストーリーを発生させるコントラストが足りないので、ただ3要素入れただけという感じがしています。山だと花と山頂を超広角で写すやつに近いイメージ。ただ構図としてはあるんですよね、ギャレンローウェルも最初の見開きでこのタイプの写真を一枚入れて、そこから各説明に移る感じの構成で写真集をエディットしていました。

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傾く日の生み出した立体感。

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千葉は街が広いのですが、どことなく北海道とは違い窮屈な感じがあります、それはきっとニュータウンが極端に清潔だからかもしれません。整備されすぎた自然が広がっている町は、つくりかえられすぎた何かを感じざるを得ないのかもしれないですね。

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削られた石灰岩の山、ビルを砕いてすりつぶしてスプーンで戻せば、元の山に戻るだろう、僕らは山だったものの中に住んでいる、というのは畠山直哉さんの弁。人と自然のかかわりというニュートポグラフィックス的な観点で日本を捉えたときに、自給率100%といわれていた石灰岩の工場と、その延長にある都市を交互に撮り続けていたというテーマ性、なんで写真撮るのっていうことの答えがちゃんとしている世界があるんだなというのは大きな発見でした。

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千葉は完全に来訪者の視点でしたが、素晴らしくきれいな街だがどことなく、田舎から来た人間にはそのクリーンすぎる見た目が興味の対象になりえるものだなと思いました。

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最終日は疲れていたのか、70-200を持ち出し開放の練習に当てることとしました。それまでの正面から撮ることやなるべく画面いっぱいに収めることを忘れて、思うがままに撮影をする。ただ、以前よりも絞りの選択に関しては上手になっている気がしています。

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縦構図を撮るのは横構図を撮影した直後、というのを実践してみる。

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縦構図のほうがいいですね、主題に自然と視線がフォーカスするようになったと思います。

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画面の中に色の層を重ねる、できればフィボナッチの3・5・8で、これはいくつだろう?

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斜めのラインに垂直のラインを当てて楔にする、まず景色を見て、一度正面から棒を捉えた後にそのまま左にカメラをパンさせて構図を決めるという方法で構図を決めてみています。

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「朝方の光なのか、夕方の光なのか、見る側からしたらそれを判断する手段はない」ってマイケルフリーマンが書いてるけど本当だろうか、これはどっちの時間に見えるのだろう。

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光の階段というか、物体は側面の光と上面の光により構成されるというデッサン的な考え方から見つけたオブジェクト、確かにいつもよりも立体感が生まれているように思える。手前から光→影→影の中の光→後ろに光→その後ろに影と何層も重ねていきます。こういうのは光が傾いてないと生成されにくい景色ですね。

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そんなわけで、正面からとらえる、ニューカラー的な時間のとらえ方、色を考え、最後に傾く日の中で光の階段を考えたのが今週でした。

水曜日からは新しい勉強が始まります、スーザンソンタグの写真論など、現代美術系の写真の読み方を強めながら、前田真三やミズラックの写真集を見ていくこととなるでしょう。始めたころよりも少しはうまくなりたいものです。

登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。