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砂がなくなったことに気づくのはおしまいの頃だ

音楽が好きだ。
中学生のころから洋楽に目覚めロックを聴きまくり、19歳の時にジャズでも聴くかと何げなく手にしたジョン・コルトレーンの『Blue Train』にやられ(下手なロックよりロックしてた)、20歳の時にリリースされたロバート・ジョンソンの『The Complete Recordings』でデモニッシュなその世界に魅了されブルースにどっぷりハマって今に至る。

音楽を聴く手段がレコードやCDを買うしかなかった頃は金銭的にも限界があるので、購入するにも優先順位があったのだが、これだけサブスクが充実してきた昨今、新しいジャンルを開拓している。クラッシックと現代音楽だ。

20代の頃DVDをレンタルしてルキノ・ヴィスコンティ71年の監督作『ベニスに死す』を観た。人生の黄昏を迎えた老作曲家が避暑に訪れたベニスで貴族の美少年に出会い心奪われ自らを滅ぼしていく。ザ・耽美。
伯爵であるヴィスコンティの「これが貴族じゃ」という映像美も素晴らしいし、タージオを演じたビョルン・アンドレセンの美少年ぶりもすごいし、ヴィスコンティ映画について語り出すと長くなるのでまた別の機会に書こうと思うが、この映画のテーマ曲がマーラーの交響曲第5番第4楽章『アダージェエット』だった。

大誤差じゃなくこの世にある美しい曲ベスト5に入るんじゃないかと個人的に思う。
映画のラストは疫病が流行するベニスの街をタージオを求めて老作曲家が彷徨う。その様子は今の世界と重なって見えてしまう。三軒茶屋も夕方に感染予防のアナウンスをする代わりに、アダージェットを流した方が個人的には盛り上がるんだが。

映画といえば79年のダスティン・ホフマン主演『クレイマー・クレイマー』のテーマがヴィヴァルディのマンドリン協奏曲・ハ長調.第一楽章だった。可愛い曲だな、いい曲だなと思ってたけど、ヴィヴァルディ作曲のクラッシクだと知ったのはずいぶん後になってからだった。

バロック・古典・ロマン・近現代とあるクラッシク音楽歴史の中で近現代となると、ストラヴィンスキーやドビュッシーなどだいぶ聴きやすく、坂本龍一が影響受けてるなーといった曲も多く楽しい。それにこの頃の曲はJAZZにも影響を与え、お互いに相互作用していく様子が面白い。
有名なのはチャーリー・パーカーが弟子入りを希望したというエドガー・ヴァレーズとかね。ロックでもフランク・ザッパがヴァレーズに傾倒していたそうだ。

興味があったけどなかなか聴けなかったものが聴ける今、楽しくて仕方ない。自粛期間中もいろいろ聴いたな〜。

しかし、僕は全然マニアじゃないけどね。浅い知識でこんな文章を公開するのもどうしようかちょっと考えたのだけど。
と、いうのもJAZZミュージシャンの菊地成孔さんの名言に

「音楽ファンはヤバイ人が多い。JAZZファンもマニアックでヤバイ奴が多いけど、一番ヤバイのはクラシックファンだ。」

と、いうのがあって、けだし名言だと思う。マジで共感する。

なぜならクラッシクの曲はとにかく情報量が多い。解像度が高いというか。この世界にどっぷり浸かると、どっかに連れて行かれそうになる気がする。作曲者やプレーヤーもやばそうだしね。ロックミュージシャンやラップミュージシャンが可愛く見えるほどだ。僕が何を言いたいかというのはモーツァルト殺害を描いた84年の映画『アマデウス』や、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し精神を病んでしまうピアニストを描いた96年の映画『シャイン』を観てもらえればわかると思う。特にアマデウスのモーッアルトは酷いぞ。とてもじゃないがこんな内容はポプラ社の伝記には載せられない。

いい距離感を保って呑気に楽しめれば、と思い今日もアップルミュージックをチェックする。狂気の世界を遠巻きに見物するのは楽しい。深みにはまりませんように。

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