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私の親友M君のお話し 001

彼は今年で27歳になるのだが、彼の考え曰く「人間27歳で一度転職や転機を向かえている」と話している。周囲の人が環境を変えているのを見て、感化された言葉だと思うのだが、実際のところ私にもそう思う節はある。

自分の能力を生かしきれない、新たな環境で実力を発揮したいなど。
それは若気の至りなのかもしれないが、まだ失敗しても良い人生のなかにいるのかもしれない。

新たな環境を見据えているのかいないのか。
そんな親友M君の10年間を振り返っていきたいと思う。

2010年、彼は毎週深夜ラジオを聴いて生活をしていた。
当時、3つの番組にネタメールを送っていた彼は「1番組につき、毎週最低10通はメールを送る」ということを目標に生活をしていた。なので、毎週30個は考えていたことになる。

私が思うにさすがに毎週1番組10通は言い過ぎだと思っているが、それでも何かしらメールを送っていたのだと思う。数は送っていたようなので、1ヶ月に1回は読まれる頻度だったという。


なぜ、彼がラジオにネタメールを送るようになったのか。
それはある芸人さんの影響だった。

2008年のM-1グランプリ。
当時、実力派揃いの芸人さんがたくさんいる、群雄割拠しているなかで敗者復活枠から勝ち上がってきた芸人さんがいた。

それがオードリーさんである。

彼がオードリーさんを知ったきっかけは、2008年元旦にやっていた『ぐるナイ番外 おもしろ荘へいらっしゃい!』で始めてズレ漫才を見てからだったという。「こんなに笑ったことはない」と当時を振り返っていたM君。

そして、この年末に行われたM-1グランプリに釘づけになっていた。
テレビ画面越しで敗者復活枠を見ていた彼。「絶対にいける」と思っていたらしい。

「それでは発表します・・・敗者復活を勝ち上がったのは・・・」
「4431番、オードリーです!」
その後、敗者復活枠から勝ち上がったオードリーさんは、この年のM-1グランプリで準優勝を果たしたのだった。

M君はオードリーのお二人を見て「こんなに面白い人がいる世界はすごいな」と思い、以降、オードリーさんの活躍ぶりを見ては、ずっと憧れの存在として今も生きている。

オードリーさんのラジオといえば、オールナイトニッポンである。
10年も続いた番組はニッポン放送の全番組中、平均聴取率1位、さらに全てのラジオ番組でも1位の平均聴取率を誇る番組だ。

しかし、この番組の先駆けとなった『オードリーのオールナイトニッポンR』という番組をみなさんは知っているだろうか。
オールナイトニッポンは1部と2部の構成に分かれている。
・25時から27時までの番組は1部。
・27時から29時までの番組は2部という分け方である。
そして、2部で評価の高かった番組が1部に昇格するというシステムだった。

2009年3月。オードリーのお二人は、オールナイトニッポンRの単発放送があることを知り、このためにM君はラジオを買い、その番組を聴いていた。基本フリートークがメインの番組で、お二人の話しに夢中になり、あっという間に2時間が終わったという。

そして、その2ヶ月後。
オードリーのオールナイトニッポンRは1部に昇格。
現在も土曜深夜を楽しませてくれているなかで、リスナーからネタメールを募集するコーナーがいくつかあった。

M君は、最初はそのネタメールを聴いているだけで、送ろうとは思わなかった。しかし、毎週聴いていくにつれてオードリーのお二人が笑い声や「誰だよこんなふざけたメールを送ってくるやつは」とイジられているのを聴いて、「自分が送ったネタでも笑ってもらいたい」という思いから、ネタメールを送ることとなった。

M君もまた私と同じで、会話より書き起こした文字で気持ちを伝えることや、考えをまとめることが好きだった。高校生の頃は、ノートにあれこれネタメールに送る内容を書き込んで、授業はほとんど聞いてなかったという。


毎週、深夜ラジオにメールを送るM君。
彼の人生は始まったばかりだった。
ここから人生を大きく変える、新たな出会いをするのだが・・・

・・・この話しはまた次回。
彼のことを思い出しながら、また書いていきたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
そして、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

                            文責  いぬやま

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