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「カジノとはパチンコ屋である」の巻

 博打は苦手だ。パチンコも2、3回しかしたことがない。競馬も馬券を2回ほど買ったことがあるだけだ。元金保障の博打があれば話は別だが、そもそも、博打と言うのはビジネスなのだから、客は儲かるようにではなく、胴元の側が儲かるようになっている訳で、素人がそんなモンに手を出すと、エライ目に遭うのは目に見えているではないか、と思うのだ。
 アメリカ時代、筆者の周囲にはカジノによく行く人がいた。ラスベガスに住んでいたMもそのひとりだ。仕事でベガスに行ったときに一緒にカジノに遊びに行って、彼がポーカーテーブルに座って賭けるのを見ていたのだが、1枚1ドルのチップが数秒のうちに何枚も消えていくのを見て、1回1セント~25セントのスロットマシーンでしか遊ばなかった筆者は、自分の金でもないのに胃が痛くなるような思いをしていた。「勝つときは勝つよ」と、その日の前半の儲けを結局スッてしまったMは言ったが、その勝つ周期が問題じゃないか。毎日のように博打場に入り浸っていたMは、グアムに引っ越すことでその病気を克服したが、実際、アメリカでは「カジノ中毒」は一種の病気だと捉えられている。
 カジノというと、賑やかなイルミネーションを思い出すのが常だが、地味なカジノもたくさんある。写真(2009年07月06日撮影)は、中央カリフォルニアの小都市、クローヴィスのダウンタウンにあるカジノだ。ネオンさえない。
 たぶん読者は、こんなカジノが存在することすら信じられないだろう。しかし、カジノ都市ラスベガスやアトランティック・シティは別格なのだ。地方都市には、インディアンへの補償として経営権を認めた、ミニ・ベガスのような「インディアン・カジノ」があり、そしてさらに、この写真のような、本当に博打場のようなカジノがある。
 カジノというと、古い言い回しだが、「紳士・淑女の社交場」のようなイメージだが、実際にはそういう場所は、会員制で庶民は目にすることもできない隠された場所にある。
 この記事を最初に書いたころ、メーセド(UC Mercedがある田舎町)に小奇麗な日本食レストランができた。オーナーはもともと心理学者なのだが、ベガスで800万ドル儲けて、その金で店を開いたのだという。やっぱしそういう人はポーカーが上手いのか? それはともかく、普通のポーカーテーブルではもちろん800万ドルも動かない。このオーナーは多分、別室でひそかに行われている、ハイローラーだけの、「紳士・淑女の社交場」で勝負していたのだろう。
 日本にはカジノがないので、その実像はわかりにくい。しかし、カジノとはアメリカにおけるパチンコ屋だと思えばわかりやすい。ベガスやインディアンカジノはパチンコ屋の横にホテルや芝居小屋や遊園地がある総合娯楽センター。昔各地に「ヘルスセンター」というのがあったが(筆者の地元にも、「石切ヘルスセンター」というのがあった)、まぁ、そのようなモンだ。余り健康的だとは思えないが。
 ただ、街中のこういった小さいカジノは、基本的にはカードゲームしか行われていない。スロットマシーンを期待して入ると、拍子抜けする。ショーや他のアトラクションを楽しみたいのならベガスだが、本当に博打だけをしたいのならば、インディアン・カジノが一番お勧めらしい。ベガスよりもはるかに当たる確率は高いらしい。同じベガスでも、ストリップ(通りの名前、勘違いしないように)よりも、旧市街のカジノの方が当たりがよいというのと同じ傾向だ。
 まぁ、博打音痴が書いているので、話半分としておいてもらった方がよいとは思うが。

拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「カジノとはパチンコ屋である」(2009年07月20日12:26付)に加筆修正した。

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