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#39 栗の渋皮煮にココアパウダーまぶしたやつの話

ふいに思い出してしまったバイト先の定番。無性に味が恋しくなって蘇った、料亭での思い出話。やつとの出会いは4年前の、アルバイト初日までさかのぼる。

キノコだろうか?トリュフだろうか?

はじめてそれを目にしたとき、正直何か分からなかった。

元アルバイト先の料亭で出す会席料理の前菜は、基本的に旬の五点盛りだった。そしてアルバイトに初めて行った日、やつはその五点のうちの一点を担っていた。見たこともない見た目で異彩を放って。

結論から言うとそれは、タイトルにもなっている通り、栗の渋皮煮にまんべんなくココアパウダーをまぶした料理だ。私が例の料亭でアルバイトを始めたのが大学一年生の秋、確か10月だから、旬の五点盛りの一つを彩っていても何ら不思議ではない。後から知ることになるのだが、これは秋の前菜の定番で、1カ月毎に微妙に変えていく前菜においても秋の間はたいてい使われていた。

初めてそれを食べたのは、もう一通り仕事を覚え、厨房の板前のリーダーでもある板長さんとも打ち解けてきたころだったと思う。お客さんには出せないような小さく欠けてしまったものの一片を、食べてみな、と私にくれた。

正直、期待値もさほど高くなかったのだけれど、これが感動するほど美味しくて、感動しながらココアパウダーでちょっとむせた。渋皮煮は、甘露煮の味付けで想像すると分かるくらい、栗本体は甘くなっている。そこに、純ココアパウダーがまぶされている。それだけで一気に味が引き締まる。栗の旨味も、カカオの味もしっかり引き立つ組み合わせ。料理にも味にも全くの素人だけれど、きっとあれは口うるさい評論家も黙らせる味だったなあ、なんて今になっても思う。

ただ、扱いはすごく難しい。私も盛り付けでよく苦労させられた。ココアパウダーが皿に落ちると見た目が悪くなってしまう。しかもそれが他の料理にくっついて、その料理がむやみに拭いたり洗ったりできないものの場合、たちまち使えなくなってしまう。そんな扱いづらいところも含めて、もはや愛着なのだけど。

アルバイトも板についてきた頃には、欠片を見つけてはこっそり食べていた。自分でいうのもなんだけど、いくら使わないものとはいえ、はしたないという理性も持っていたから、誰にも見えないところでこっそり、そしてたまに食べた。いわゆる背徳感というやつを感じながら。ただ、一度でいいから前菜として出たものを、きれいな和室で食べたかったと思う。

前菜で出てきて食べるなら、絶対に最後だ。最初に山菜系の一品を食べる。そして肉や魚といった主菜類にうつる。最後に、やや油が広がった口を落ち着かせるように渋皮ココアに手を付ける。ここまでイメージは出来ている。もう、むせずに食べる方法も知っている。

「仕事が落ち着いたら、一度顔を出します」

ついこの間の3月。大学卒業とともに、バイト先ともお別れの時が来た。家族のように温かかったバイト先との別れは、思っていたよりもちょっぴり辛かった。

顔を出す。軽く放ったその一言が、未だに達成出来ずにいる。
アレが登場する秋口には、東京に行けるだろうか。


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