アサシンクリード

『アサシンクリード』をクリアした(4/21)。

2007年にUBIソフトから発売された本作。
12世紀末のエルサレム一帯を舞台に、暗殺教団の一員『アルタイル』として敵対者を殺害するといった任務を遂行していく。

発売以来ずっとやりたいと思っていたが、ようやくプレイし、一気呵成にクリアした。発表当時のゲーム誌でも大きく取り扱われていた記憶があり、画面写真の狭い路地や民家の並び立つ風景に、とても興味を持ったのを覚えている。

このゲームの導入は現代から始まる。
『デズモンド・マイルズ』という男が、暗殺者(アサシン)だった先祖の過去を巡る装置の実験台として、施設に拉致されてくるというものだ。

その過去こそプレイ時間の多くを占める12世紀のアサシン篇。以降過去では『アルタイル』として任務を遂行し、ひとつの章が終われば現代篇で『デズモンド』を操作する。

この現代篇は歩き回る、調べるといったごく簡単なアドベンチャーゲームになっている。やれることは多くなく話を進めること以外の役割はあまりなく、発売時から否定意見の多い要素だった。

ただ、厄介なこの現代篇なくしてはこのアサシンクリードというゲームは成立しないのでは、とも思う。

アサシンクリードは暗殺者になるゲームだ。
自分にとって12世紀末の暗殺者『アルタイル』は縁遠い存在だが、表面上はまったく関係なさそうな現代の『デズモンド』が介在することが自分にとって橋渡しになった。そして同時に『アルタイル』という人間に他人としての距離を感じた。
自分にとってはここがよかった。

ゲームではプレイヤーが動かしている人物に操作にしろ物語上にしろ一体感を感じるのが良いとされることが多いと思う。
このゲームでは『アルタイル』はアクションゲーム然とした軽快な動きをし、操作の上で違和感を感じることは少ない。押さえるボタンをひとつ変えるだけで、パルクールアクションにゲームの振る舞いが変わるところなどは驚いたし、建物の上を登る、戦闘、調査などやれることは数多くある。

反対に『デズモンド』を操作する現代篇は先にあげた通りやれることは少ないし、動作も鈍い。

しかし現代篇で操作のわずらわしさを感じるほどに、プレイヤーである自分は現代篇の側の人間だと思わされる。アサシンの教義に懐疑的で、特別な力も持たない『デズモンド』の存在は一歩引いたところから過去を見させる起点になる。

その視点があって『アルタイル』が時間も空間もまったく違うところに生きた人間だったと感じられたことが、このゲームがふたつのパートに分かれていることの効果を最も自分が感じたところだ。

一作目『アサシンクリード』はどことなく実験作のような扱いを受けているように感じている。
そして『アサシンクリードII』から非常に人気が高まり、その後のシリーズ化の足掛かりとなったというような印象がある。

『II』と比べて、振り返られることの多くはない一作目だが、半オートマチックなアクションや場面に応じてアドベンチャーゲームのように探索や調査の要素が大きくなるといったところなど後のゲームに与えた影響は少なくないと思う。
またほぼ同年代に出た『Mirror'sEdge』とは操作感覚は異なるものの、どちらもパルクールを取り入れていたのがおもしろいと思った。

その後のシリーズも高い評価を受けているので、いまからそれらをプレイするのが楽しみだ。

…なんて書いていたら新作『Assassin's Creed Valhalla』が発表されてしまった。
それでも順番通り『II』をやってみたいと思う。

冒頭にこういった宣言が入るのは、制作者たちの気概の表れかそれとも保険なのか。自分は前者だと思う。

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