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《小説》 夢(未完)



   ありきたりな夢の話をしようと思う。

  私は夢の中にいた。

  そこで私は、デパートの最上階にある書店に行こうとしていたのだ。私は繁華な道から少し入った、細い路地にあるエレベーターを見つけた。私とほとんど同時に3人の女性が来て、ボタンを押してすぐに来たエレベーターへ一緒に乗り込んだ。
  私は最上階、つまりこのエレベーターだと11階を押した。2人の女性は3階へ、もう1人の女性は6階へ行こうとしていた。ただ、このエレベーターはとても速かった。3つのボタンが押されたときには、すでに6階を過ぎていた。そして、間もなく9階で止まった。この時、なぜ9階で止まったのか、私には分からない。9階はどういう訳か、屋上の様なところだった。いや、もっと正確に言うと、箱根の例の谷のロープウェイの乗り場の様なところだった。1人の女性が降りかけて止めた。確かに3人とも降りなかったように思う。私は、その時にはもう不安しかなかったのだが、とりあえず11階に行くはずだと思っていた。

  エレベーターが11階に着いたとき、それに乗っていたのは私だけであった。そんなはずはないと、いまなら思い返せるのだが、確かに私以外の誰も乗っていなかった。私は外に出ると、予想していた通りに、そこにデパートのおもかげはどこにもなく、なにか古そうな建物があった。私はそれを見て、崖の上の病院といった感じを受けた。建物の中に入ったがすぐに思い直し、エレベーターの方へ戻った。しかし、もうエレベーターの、何故かロープウェイの様に透明な扉は閉まり、私を置き捨てて行ってしまった。私はとても不安になった。

  もちろん、すぐに降りるつもりであった。私はエレベーターのボタンを探した。しかし、それはなかった。私は困惑しながらも、建物の裏手の方へ歩いて行った。そこには墓場の様なものがあって、不吉な予感がした。その墓場の反対側は暗い森の様な場所になっていて、やはり私を安心させてくれはしなかった。私は早くここから降りたくて仕方がなかった。ここにいてはいけない気がしたのだ。建物の方へ戻ると、中年の女性が花壇の前にしゃがんでいた。そこにどんな花が植わっていたかなんて、どうして覚えていよう。私は少しほっとして、女性に話しかけた。看護服かOLの制服かを着ていたその女性はどことなく生気が感じられないふうだったが、かといって恐怖感も感じなかった。つまり、世の中にはこういう人もいると私は思った。

 ここのエレベーターのボタンはどこですか。私は聞いた。すると、女性はなにやらポストのようなところを開けて、紙を取り出し、私にそれを見せながら言った。ここのエレベーターにはボタンがないので、下にいる友達に連絡して迎えに来てもらうようなのです。私は困惑した。確かにボタンは見当たらない。しかし、行きはボタンを押してエレベーターを呼んだのに、帰りはボタンがないなんてことは一体あるのだろうか。私はもう、その不思議な女性とは話さず、携帯を取り出すと、ひとつしか登録されていない番号へ連絡をとった。忘れないでもらいたいのだが、これは夢の中でのことであって、実際私にはもう少し知り合いがいるのだ。

  少しすると、エレベーターが上がってきて扉が開いた。私は安堵の気持ちを感じながら、ゆっくりとエレベーターへ近づく。しかし、急に後ろへ引っ張られる。先程の女性が私を建物の中へ連れ込んでいたのだ。私は何が起きたのか分からず、だんだん怒りが湧いてきた。せっかく、知り合いが迎えに来てくれたのに。やっと、この変な場所から地上へ戻れるのに。私は女性を無理に引き剥がして、エレベーターの方へ駆けるために前を向いた。すると、エレベーターの前には1人の男性が近づいてきていた。彼も下へ行くのだろうか。私の呼んだエレベーターにちゃっかり乗って行くなんて、調子のいい奴だな。私がこう考えている間にも、男性は私の知り合いの乗るエレベーターの前まで来ていた。扉が開く。知り合いも特に何事もなく男性を乗せる。と、男性は私の知り合いに襲いかかった。知り合いは喰われている。私は恐怖した。いつの間にか、女性が建物を出て、エレベーターにいるその化け物にショットガンを撃ち込んでいる。化け物は崩れ、エレベーターが私の知り合いと化け物の血で赤く染まっている。私は何も分からなくなった。私は戻ってきた女性の肩を掴むと、激しく揺すり、詰問した。返り血で所々を赤く染めた女性は何もなかったかのように、何ものにも興味を示さないかのように無気力な無表情な眼を私の後ろの空間に向けていた。

   私は何がなんでも下に降りようと思った。ここにいてはまずいという事は分かり切っている。だが、私が女性の肩から手を離して、建物の入口の方へ目を向けたときには、あの中の赤い箱は下へ降りていた。
 
女性は、私のことなど、まったく気にせずに後ろへ振り向くと、ショットガンを手にしたまま階段を下へ降りていった。私は自分が無視されたことを幸いに、女性から逃れ、建物の外へ出ることにした。この建物は、不思議な建物で、さっきまでいた階には、少し広い玄関のほかに、上りの階段と下りの階段があるだけであった。廊下も部屋もないのだ。

  私は建物から出ると、墓場の方へ向かった。暗い森へ行くよりは見通しが良いと思ったからだ。墓地は入口から見渡せる程度の広さだった。そこに数十区画の墓があった。ただ、普通ではないのは、人の多さだった。すべての墓に人がいて、場所によっては五六人にもなった。何故すべての墓に人がいるのだろう。それは墓参などではなく、生活にみえた。そこに人が住んでいる。私は入口から先に進むことに躊躇した。

  私は気を取り直して、森の方へ入って行った。化け物に会うのではないかと恐れ、慎重に奥へと進む。ここには音もなく、何かの気配もない。それがかえって不気味である。しばらく進むと、数軒の家が見えてきた。なんの変哲もない家である。家があるということは人がいるはずだ。きっと、墓の住人よりはまともな誰かに会えれば、私はもとの場所に戻れるに違いない。このとき、私はそう信じていた。期待を持ちつつも、やはり慎重に、私は一つの家のドアを開けた。いま思い返してみると、なぜチャイムを押すでもなく、ノックをするでもなく、そのままドアを開けたのかは分からない。非常識のなかで、常識にこだわる気も失せていたのかもしれない。家の中に人の姿はなかった。しかも、生活感がなく、とうの昔に空き家となったようである。私は誰にも会わなかったことに、安堵の気持ちと、残念な気持ちとを感じた。家の中に入ると、家具がある。埃を被った家具。埃の匂い。それにカビの匂いがした。ふと、机の下を見ると、頭蓋骨が落ちている。そのとき、私はひらめいた。墓は家であり、家は墓である。奇妙なところへ来たものだ。私は他の家を見ることもなく、引き返すことにした。

  暗い森から出ると、眩しさを感じる。さて、どこへ行けばいいのだろうか。 ここには、「家」と「墓」と、あの建物しかないのだ。そして、私がみていないところといえば、もう建物の上の階と下の階しかない。上に幾つあるのか、下に幾つあるのか。そんなことは知らない。とにかく、もとの場所に戻らなくてはならない。私は足早に森を抜けると、建物の方へと近づいていった。建物はあまり大きくない。だから私は、正直、この建物に戻った時点では、これからの困難を予想していなかった。あのあまりにも広い空間、あまりにも長い道のり。 建物へ入ると、私はまず、下の階へ行くことにした。理由はただここから地上へ降りたいという、単純なものであった。ただ、また女と会うだろうことは私を不安にさせた。それでも、もしかしたら女が下へ降りる方法を知っているかもしれないという一縷の望みもある。

 階段は普通の建物より少し多い。地下に着く。更に下の階というのはなさそうだった。非常口を開けて中に入ると、そこには学校の教室ほどの広さの一部屋があった。一部屋しかないのか、と思いながら部屋を見渡し、奥のベッドの上に腰を掛け、本を読んでいた女と目があう。気まずい沈黙。何故、鍵のない部屋に住んでいるのだろう。ノックもせずに入った自分がいけないのに、そうやって誤魔化す。ここはあなたの住まいですか。私が尋ねる。女は飽くまで私を無視しようと努めているようだ。本から顔をあげることもない。あなたはここから下へ降りようとは考えていないのですか。また私は質問を浴びせた。女はようやく顔をあげ、私を睨めつけた。降りようとしたに決まっているではありませんか。私だって降りたい。そして、女は話し始めた。

 女の話によると、ここにいる全ての人間はエレベーターで上がってきて降りられなくなった者なのだそうだ。そして、彼らは何故墓に住んでいるのかという私の疑問をぶつける。最初は皆森のなかの家に住んでいました。しかし、ここは不思議な場所で、ここにいる人間は誰も年を取らないのです。ただ、その代わりなのかは知りませんが、誰もが急に死にます。だから、皆は森の家を捨てて墓に住むようになったのです。私はまだ理解しきれなかったため、女に向けて軽く頷くにとどめた。

 女はなおも話し続ける。この建物の上の階にも人が住んでいます。それは夜外に出たときに窓から灯りが見えるので気付いたに過ぎず、私は彼らの所へ行ったことはありません。またしても、女の話に疑問を持った私は彼女の話に口を挟んだ。何故あなたは上の階の住人に会おうとしないのかと。女ははっきりと言い切る。下に行かないと降りられないのに上に行くような愚かな人たちに会う必要はないからです。私にはもう、目の前の女に訊くべきことはないように思えた。私は女に会釈をすると、扉の方へ歩いて行った。と、もう一つ聞き出すことが浮かんだので、また振り返る。私は訊いた。あの化け物は何なのかと。女は考えをまとめているのか、少しの間目を閉じていた。そして、女が話した。あの化け物はもちろん墓の人たちとは別です。そして、私たちがエレベーターで降りようとする度に、何所からか出て来るのです。私は尋ねる。では、なぜ私が降りようとしたときにそう言わなかったのか。わかっていれば友達を殺されることもなかったのに。女は平然として言い放った。いつの時にも希望というのは抱くためにあるからです。そして、彼が来たことは私にとって希望でした。私は女に背を向けてドアを開けた。

 1階の玄関ホールに戻る。玄関の入口には少し血が垂れていて、私はまた無意に殺してしまった友達のことを想った。彼のためにも私は下へ降りなければならない。降りたところで、彼の非現実的な最期を人に伝える勇気を、私は持ち合わせてはいないのだが。私は上の階へ行ってみることにした。とりあえず行ってないは上の階だけだった。だから、そこに降りる手がかりがあるかもしれないと期待したのだ。まずは2階へ行った。

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