安定的な暮らしを求める時に思うこと
noteに投稿をし始めて、しばらくになりますが。読んでくれてる人いるのかな??? と、思いつつ書きます。
安定的な暮らしは、誰もが望んでいると思います。
昭和のバブルの時期は、波乱万丈な人生の方がカッコいいという風潮もありましたが。それでも、大勢の人は、安定した生活を望んでいたはずです。
わたしは、失われた30年の世代ですが。最近になってようやく「不景気」というボヤきを聴かなくなったことにホッとしています。
この記事の趣旨は、安定した暮らしを求めるには、安定した社会が必要だということを書こうとしています。
たとえば、北斗の拳のような 世紀末の崩壊した世界で、上場企業のサラリーマンなんて、望めるわけがないということです。
たいてい、自分のこのさきの安定した将来。いまの安定した収入を勘案しがちですが。 そのエネルギーの1割ほどを 安定した社会を勘案するために使うと投資になるのではと思うのです。
自分以外の、自分がいま立っている社会に投資をするということです。
といっても、ロシアが核ミサイルを使い始めるかもしれないことまで面倒みきれない となりますが。
半径5mの外をよくすることに関心をもって、自分の安定した生活のための、安定した社会や世の中であることを監視できるか? という考え方に着想したわけです。
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