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登山にハマって新卒3年目で退職して長野へ移住した話。退職時の葛藤?の話

新卒3年目、山が好きで会社を辞めて長野県へ引っ越した話。やりたいことは全力で!

やまにちは。赤い女ライダーまっつん(@red_mattsun)です。


私は新卒で採用していただいた会社を3年目に退職しました。
理由はハマっていた登山をより本格的にやるために長野県へ引っ越すためと言うものです。

この時点で登山にハマって二年目、私の中で登山とは趣味の域を超えたワイフワークとなっていました。
長野に引っ越して2年目になったことですし、ここで少し当時の考えをまとめてみたいと思います。

退職を切り出したときの上司の反応は

退職を切り出したのは実際に退職を予定していた時期(勝手に予定していただけですが)の
4カ月ほど前でした。(有給消化・引き継ぎの期間も含めて)

私はしがないメーカーの社内システム部門で働いていて、その時の上司(グループリーダー)に話をしました。
定時後に「お話ししたいことがあります」と言って会議室に入りました。

それまでの3年、私は会社に何ら不満はなく、仕事も頑張りたいと思って毎日過ごしていました。
人間関係も良好で会社内でも期待されていたような気がします。(評価も悪くなかった)
そんな中「仕事を辞めます」と切り出すのは本当に心苦しかったです。

少しまごついてようやく「実は仕事を辞めます」と切り出しました。
実はこのタイミングですでに引っ越し先の長野で仕事を確保していたので仕事を辞めるということは私の中で決定事項でした。

上司は「えっ!!??!」と驚いて「どういうこと?!」と言う感じで目を見開いていました。無理もありません、予想だにしなかった唐突な申し出です。
それまでそんな素振りは一切していなかったので。

それから頭を抱えながら理由を尋ねられました。
素直に「山を本気でやりたいから長野県に引っ越したい」と言う理由を伝えました。
暫く頭を抱えていた上司は「まさかそういう話をされるとは全く思わなかった」と言いながらも
「いつからそういう考えを持っていたのか?」と聞かれたので、
素直に数か月前からそういう意思を持って活動していたと伝えました。

そうして、「夢があるならとめることはできない・・」と認めてくださりました。
その後は仕事に何の不満もないこと、上司にはすごく気遣ってもらっていたことを感謝していることなど話しました。

「あなたには仕事で嫌な気持ちにだけはなって欲しくなくて、それにはとても注意していた」
と話してもらって、すごく胸が苦しくなりましたし、実際にそういう配慮は感じていたし、楽しく仕事をしていたので、自分で決めたこととはいえ本当につらかったです。

退職とは裏切りなのか。さまざまな葛藤

私は大学院での研究を諦めて(挫折して)急遽就職活動をしたこともあり、普通の人の就活時期とは外れた時期に就職活動を開始していました。そのため普通の就活よりはやりにくい時期でした。

なので、その会社に拾ってもらえたことは本当に恩義を感じていました。
新卒で入った社員として大切にしてもらっていたし、色々な部署の人とも仲良くしていました。
色々な研修も会社のお金で受けさせていただいていて、今後の会社のために成長して欲しいと期待されていた気がします。

よく退職に迷ったら「自分が会社に必要とは思うな、いくらでも変わりはいる」と考えろと書いてあります。
サラリーマンは会社の「駒」であり「部品」でしかありません。
組織としてみた場合、経営者や上層の人から見ればそれこそ取るに足らない人間ですし、変わりはいくらでもいるでしょう。

それでも、自分を育てようとしてくれたり、頼ったり頼られたりして一緒に問題を解決しようと仕事をした仲間がいます。そういう人や一緒に働いた経験は私にとって大切ですし、お互い尊重して仕事をできるメンバーなのです。

退職するということはそれまで積み上げてきたそういう関係をすべて捨てるということ。
退職と言う言葉を出すということはすべての信頼関係に亀裂を入れることなのです。
退職と言う言葉を一度でも出してしまえばその後もし退職しなくてもそれまでとは違った目で見られることでしょう。

だから仕事自体に不満を持っていなかった私にとって退職するという意思を告げることには本当に迷いました。

これは「裏切り」なのだ。私はそう思いました。

今までお世話になった人の思い、会社から投資してもらった時間やお金、すべてを裏切る。
それも自分のやりたいことのために。
そこまでしてやりたいことなのか?そう、やりたいことなんだ。

そうやって自分に言い聞かせました。

人生は一度きり。葛藤を超えて

このように退職して長野へ移住することを決めるまでにはさまざまな葛藤がありました。
関西にいても山はできるしなぜ仕事を辞めてまで山をやるのか。

古巣である関西を出て長野に引っ越すなんて生活面でも人生においてもリスクも高いものです。
新しい環境になじめるのか?
知り合いも家族も、人間関係に難のつながりもない長野県へ一人で引っ越して天涯孤独になるわけです。

山をやりたくて長野に住みたいという想いは何よりも大きかったですが不安も少なからずありました。

人が唯一手に入れられるもの、それは経験・体験


人生は一度きり、この世で絶対的に時間だけは取り返しがつかないのです。
今やらなければ、いつやるのか?(林先生じゃないですが)

人が生きている中で唯一自分のものにできるものは「経験」。
それだけだと私は常々思っています。
経験は時間を消費して得るものです。

生き物が真の意味で自分のものとして得られるのは、経験・体験、感情そういった自分の脳に直接刻まれるものだけだと思います。
何を手に入れようとどれだけ富を得ようと、本当の意味で自分のものにはならないような気がします。

だから私は新しい経験・体験を常に求めるし、そのために新しい場所に行きたい。
新鮮な体験ほど刺激的で、その体験が経験として自分の中に蓄積して新たな体験をするための礎になります。

登山とはそういう新たな体験を常に得られるもの。山と言うのはそういう体験を得る過程だと思うが、その過程そのものが簡単ではないのでよりやりがいを感じるというものです。


人生は一度きりは「言い訳/正当化」か?


私は今長野県でやりたいことに全力で取り組んでいると思っています。
(と言ってもやりたいことはまだまだありますが)

しかし犠牲にしているものも多いです。
人生は一度きりだから、と言っていろいろやっていますがこの言葉が言い訳のようにのしかかってくることもあります。

人生は一度きりだから何でもやっていいのか?
そういうわけではないですがもしやりたいことがあってそのために何かを変化させたい、
そんな時に迷いがあるのだったらそれこそプラスの意味で言い訳に使ってもいいと思います。
何かを大きく変えるのはリスクがあり、エネルギーがいります。
仕事を辞めるのだって変えるのだってそうです。
仕事をやめられないから、引っ越しできないから、家族がいるから・・
そんなしがらみや変えられない現実があっても「人生は一度きりだから」と言う強烈なワードですべて一掃してしまいましょう。

人は何かにすがらないと前へ進めないこともあります。
やりたいことがあって、変えられない何かがあるなら、それらを天秤に欠けましょう。
一番重たいものが一番重要なもの。重要なことが何か考えてください。

私にとっては今と言うときを全力でやりたいことに費やすこと、それが一番重要なことだったというわけです。


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