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人をダメにするソファ製造会社を相手取り訴訟するやつ、元から割とダメな人の可能性高い話

今日はまじめに書いていく。


ぼくは過干渉な親の元で育った、と思っている。ぼくが何をするにも、親が何かしらの関りを持てるように仕向けてきたのだった。今振り返ると、赤羽に溶け込む林家ペー・パー子師匠並みの自然さであって、本当に、当時はあまり気づけていなかったのかもしれない。


そんな少年ぼくに、中学3年生のとき事件が起こる。

自我が爆発した。エゴ・エクスプロージョンだった。


ぼくは小さい時から頭もよかったし、何より精神が大人びていたから、早い段階で「恥」を獲得していた。仲の良い友達の親とは距離をとって接していたし、大人には必ず敬語だった。しょうもない空想遊びをしているときも、親たちが見ているときだけは恥ずかしくて、思考も表現も固まってしまった。さらには、人を欺くのが最も得意で、道を誤れば今頃『天才詐欺師』だっただろう。間違いないね。

まぁ、そんなことは本筋ではなくて、こんな風に大人びてはいたものの「自我」の目覚めは遅かったように思う。

「自我」が何を指すかは実に複雑であるように感じるが、この記事内においては『15の夜 by尾崎豊』あるいは『僕が僕であるために by尾崎豊』であると定義しておこう。

幼少期より社会性に目覚め、同様に社交性にも目覚めた僕は、その「事件」が起こるまでは「社会的動物」に過ぎず、福沢諭吉先生が仰るところの『独立自尊』の存在ではなかった、ということなんだと思う。

でも、その事件をきっかけに、「自分は何者であるか」「何のために生まれたのか」「何をして喜ぶのか」「わからないまま終わるのか」「そーんなのーはいーやだ♪」というアンパンマン的精神世界を生きることになる。



おっと、ここで予防線をはっておくが、今回は「その『事件』とは何か」はとり扱わない。簡潔に述べれば、『ぼくはモノじゃない。消費される対象じゃない。生かされているわけではない。生きているんだ。自分とは何か?その答えを、人生を賭して生産するんだ!』と思わされる、親との激しいやり取りがあった、ということだ。


エゴ・エクスプロージョンしたての僕が、その日の夜、神様に対して願ったことはただ一つ。『すべての責任を自分でとれますように』


「責任」という言葉は重い。「覚悟」と言い換えてもいいし、「決死」ともいえる。他人の人生ではなく自分の人生を生きるということは、すべての決断を自分の責任において下し、責任の名のもと自由を謳歌することなんだ。


ぼくは過干渉な親のもとで育った。と言った。ここで干渉とは「責任を取らせてくれない」ということであって、先回りしていくつものリスクを取り除いたり、リスクマネジメントしてくることである。


転ばない、躓きもしない、それで何が人生か。



さて、明日は投票日だ。

本来、政治と人生には通底するものがあるように思うし、一方でいまの日本の政治の在り方は人生と鏡のような存在になっているように思う。

他人(ひと)を生きず自分を死ぬにはまず何が必要だろう。

考え行動し責任をとる。それしかないのではないか。ぼくはそう思う。




勘違いして欲しくないので、ここで重要な引用を

“ 歩かないのも自由です ” 

” まったくその通り、流れに逆らえ ”






説教は一人前のぼくも実は一度も投票に行ったことがない。

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