大森 翼|𝐓𝐒𝐔𝐁𝐀𝐒𝐀 𝐎𝐌𝐎𝐑𝐈
自己紹介/TSUBASA OMORI
新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンについては、必ず1次情報として厚生労働省首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。
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自己紹介/TSUBASA OMORI

大森 翼|𝐓𝐒𝐔𝐁𝐀𝐒𝐀 𝐎𝐌𝐎𝐑𝐈

はじめまして!ライフアーティスト&表現アートセラピストの大森 翼です!


僕は昨年、出身地で20年間以上暮らした神奈川県を離れ、
現在は沖縄県へ移住し、自分の好きな場所で好きなことをして過ごしています。(現在は、神奈川へまた戻ってきました)


"自分の思考の箍を外し、心と身体を解放し、ありのままの本質の自分で生きることをアートの力でファシリテート"をコンセプトに、


表現アートセラピスト/アルコールインクアーティスト/自己肯定感カウンセラー&メンタルコーチ/ハーバリウムエブリデイ・アーティスト/クレヨンアートセラピスト/アルコールインクアート講師 など肩書きは多岐に渡るので、現在はわかりやすいように、一つにまとめて、「ライフアーティスト」としています。


とはいえ、「ライフアーティストってそもそも何なのか?」「実際にどんな活動をしているのか?」「アーティスト?カウンセラー?どういうこと?」と一見、ツッコミどころが万歳なのではないかと思い、今回、僕の過去ー現在ー未来という流れで自己紹介をnoteにまとめてみます。


noteを最後まで読み終わった頃には、この一見正体不明の、謎の人物である【大森 翼/TSUBASA OMORI】とは一体どういう人物なのか、"自分の思考の箍を外し、心と身体を解放し、ありのままの本質の自分で生きることをアートの力でファシリテート"ということについて、一口では飲み込めなかったものが上手に咀嚼でき、喉元を違和感なく通り、腹に落ち、一つの満足感が得て、思わず「ご馳走様でした!とても美味しかったです!」と言わんばかりの気持ちになるのではないかと思(以下省略)


この世に産まれた日。産まれた瞬間から変わり者だった。

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僕は、神奈川県秦野市という木々や田畑、森や山などの大自然に囲まれた盆地で幼少期は育ちました。両親の話によると、僕はこの世に生を授かり産まれてくる瞬間、肘を立てながら腕の方から産まれようとしたらしく、途中つっかえたりして、危なかったそうです。イメージとしては、「父親が休日、床に右肘を立て横に寝そべりながら野球観戦をしている」そんな姿を思い浮かべて下さい。いかにも偉そうな赤ん坊。産まれた瞬間から変わり者だった。そんなこと記憶に微塵もないけど。



(※ちなみに自分の名前である「翼」も僕が母親のお腹の中にいる時、偶然テレビで大人気サッカーアニメ「キャプテン翼」が放送されていて、それを見ていた母親が「翼ね〜」と口に出した瞬間、僕がタイミング良く母親のお腹を蹴ったのが決め手だったらしいです。どうやら産まれる前からすでにゴールを決めていたみたい)



幼少期はテレビの歌手や芸能人の物真似をしておどけて見せたり、とにかくふざけることが好きで破天荒だったらしいです。感受性が鋭く、感情表現が豊か。単純に影響を受けやすい子だったんだと思います。ちなみに大人になるまで、幼少期は「物静かであまり人と話さない大人しい子」とすっかり思い込んでいたので、自分の思い込みって恐ろしいってこの話を聞いた時は鳥肌が立ちました。


小学生になると、身長もクラスで一番前か二番目なくらい低く、声も高い、見た目は女の子のような自分で言うのもおかしいけど、可愛い感じの子でした。それゆえに「可愛い」と周りから言われることが多かったのですが、身長が低いことから弱く見られることも多く、「早く身長を伸ばしたい!」とその当時は牛乳を毎日飲んでいた時期があったのを今でもうっすらと覚えています。男の子としては「可愛い」も嬉しいけど「カッコイイ」そんな自分でありたかったんだと思います。


そして、小学3年生になった頃。とある事件が起きます。それはクラスにおける「いじめ問題」でした。当時、僕は毎下校時にいつも「一緒に帰ろう!」と誘ってくれた男の子のお誘いをいつも断っていました。その行為が次第にその男の子にとっては「避けられている」と思い、クラス中の問題へと発展していったんです。


その当時、僕は家にも学校にも精神的に休まるような「心の居場所」がなかったのだと今振り返ればそう感じています。両親はとても優しく温かい家庭であったのは間違いないのですが、母親が仕事や家庭のことで疲れ、不満や愚痴をよく聞いていた記憶が鮮明にあります。父親は頑固で意志が強く、「男が弱音を吐くなんて情けない」というような根性論一貫だったため、心の内を素直に話して理解し合えるような関係ではないと当時は感じ、目に見えない距離を小さいながらにして感じていたのかもしれません。そのため、無意識に人の顔色や雰囲気から目に目えない色々なエネルギーを受け取ってしまったり、自分が自分であるためにエネルギーを充電できる時間が「学校の放課後の帰り道の一人になれる時間」だった。


その頃から自然と「自分が自分の本音を我慢すれば、誰かに迷惑をかけたり、誰かを傷つけたりしない」というような固定観念が無意識に僕の中で育まれていきました。その固定観念を叶えるかのように、自分よりも他者へ意識の軸が移っていき、中学生、高校生と進学していくにつれて、「誰にでも好かれるような自分」を演じることである一方の方向から見ると「人気者」「誰とでも仲良くできる人」「空気を読める人」だけれども、ある一定の方向から見ると「八方美人」「誰かに嫌われたくない」「いい人」のような偽りのアイデンティティが完成していったんです。


(✳︎ここで言う「偽りのアイデンティティ」とは、本来の自分が解放できずに囚われてしまい、本来の自分を抑え閉じ込めて、自分の本音に嘘をついている状態、自分らしく生きれていない状態のことを総じてこう呼んでいます)


とは言え、その当時はそんなことをあまり感じないほど、無意識に自分の感情を抑圧し、自分の本音に鈍感になり、「なんだか生きづらいな」くらいにしか思っておらず、感情の起伏が激しくて情緒が不安定になったりするのも、それが自然だとくらいまでしか思っていませんでした。生きていく上で誰もが感じていることだし、そんな弱音を吐くくらいだったら前を向いて歩こう精神だったんですよね(この時点で色々と麻痺しているし、麻痺していることにすら気づいていない)



流されるままに生きていく中で見つけた本来の自分を取り戻すためのパズルのピースたち。

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僕は、東京都にある明治大学商学部という大学を4年次に中途退学しています。高校から大学に上がる当時、現役で合格した大学もありましたが、どうしても明治大学に行きたい理由があり、一年浪人をして合格し入学したんですね。そこまでして行きたい理由の一つに、明治大学には文学部演劇専攻科という演劇を専攻する学部があったことがありました。当時は俳優を目指していた時期があったんです。そのために演劇を学びたい、というのが純粋な理由としてありました。「自分が表現すること」への興味関心がこの時からあったんだと思います。


しかし、その当時の僕は「自分が好きなこと、やりたいことをやる」ということに関して自信がなく、「文学部演劇専攻科に入ったとして、将来自分が役者として食べていけるのだろうか」「それなら商学部に入学した方が将来の選択肢が多くて、男だったら文学部より商学部の方がいいんじゃないか」そんな固定観念や自信のなさから「将来、安定するのではないか」という安易な理由で商学部に入学しました。両親の言葉や世間や常識やルール、固定観念に囚われた自分に流されたんです。結局、大学生2年時に恋愛関係のトラブルから人間不信になり不登校。実家でベッドに死んだように横たわりながら天井を眺める毎日でした。「自分は何のために生きているんだろうか」その問いがけが頭の中を何回、何十回、何百回、何千回も反芻しました。その後、何とか復学し必死に勉強しましたが、進学するも単位が足りず、卒業することよりも早く社会に出ることを選択しました。


とは言え、そんな中でも今の僕の活動の原点につながるような体験もしていました。実は当時、大学を不登校になり、精神的に辛く、どうにか立ち上がるきっかけはないかと実家でネットサーフィンをしていた時、偶然、某芸能事務所のオーディションページを発見し、半ば諦め半分で応募したところ、書類審査が通り、第二審査の演技部門も合格、最終面接まで通過してしまったんです。


今でもうる覚えだけど記憶に残っているのが、その最終面接で面接官の方に言われた「あなたは正直、演技力で言ったら0。他の子と比べて全くなかった。だけどね、あなたの人間性に輝かしい未来の可能性を感じた」という言葉。どんなにどん底で絶望の状況だったとしても、ありのままの自分を見てくれている、受け入れてくれている、認めてくれている、そんな言葉が、そんな人の存在が、どん底の自分の自己肯定になった。また前を向いて生きていける、自分に自信を持って歩いていける、そんな支えになったんです。


とは言え、大学を中途退学してから、特にこれだ!というような自分の好きなことややりたいことが見つからず、21歳あたりから25歳くらいまでの間は、仕事を転々としていました。カフェのホールスタッフやキッチン業務、ホテルスタッフの派遣社員、アパレルのピッキング業務や冷凍肉の仕分けなどの日雇いアルバイト、ヤクザや警察が出入りするような深夜勤務のカラオケバイト。日々の生活代のために稼ぎ、なんとなく時間が過ぎていく、さすがにこのままではダメだ、と思った矢先、都内にある某ハウスメーカー(コンクリート系)の営業職に就職することになりました。


当時は「接客業を経験していたこと」と「空間」や「居場所」に対して自分自身が興味関心があることから、「人+空間・居場所=住まい」という結論に至り、インテリアコーディネーターの資格取得の勉強をしながら、営業マンをしていました。入社1ヶ月ほどが経ち、初めて住宅展示場内の接客当番を任されるようになったある日、一組の20代後半のカップルが来訪してきました。なんとそのカップルはつい最近、土地を購入して、男性の方が中国人ということでコンクリートに興味があり、結果として初接客したお客様が初契約となったんです。運が良いとしか言えませんでした。50年以上続く会社の歴史の中で異例のスピード契約だったそうです。でも、なぜその時、僕からお客様は購入してくれたのか正直わかりませんでした。後にそのお客様から聞いたことなのですが、「翼くんだから」と。その言葉が今でも忘れられないくらい。とにかく嬉しかった。


そして、その2ヶ月後、本社に新たに増設された新部署に引き抜かれ、異動となりました。今まで大変だったけれども、会社に貢献できるように、お金を早く稼いで両親を安心させることができるように、と、とにかく多忙で1日が過ぎる時間があっという間でした。



「やっと自分の人生を自分の足で生きれるようになってきた」と思った矢先、思いもよらない出来事が起こる。

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某ハウスメーカーの営業職として勤務し始めて1年半経った頃。いつものように朝起きようとするとなぜか胸が重い。ずっしりとする感覚。頭も痛く、立とうとすれば目眩がするようなくらくらする感じ。吐き気もする。とてつもないほどの無気力感と脱力感に襲われ、「まさか」と思い、病院へ診断しに行くと「うつ病」だと診断されました。正直、信じられなかった。自分は「うつ病」とは無縁で、自分のことを比較的ポジティブな人間だと思い込んでいたので、自分が「うつ病」と聞いた時は驚きがありました。でも同時に、ほっとした感覚もあったんです。


一人カーテンを閉じ光もささない真っ暗い部屋の中、両親に「ごめんね、また迷惑をかけて」と電話した時、電話越しに両親が「迷惑なんてかけていいんだよ、とにかく家に帰って来い」と言ってくれた時は涙がとめどなく溢れ出したのを覚えています。「迷惑をかけちゃいけない」と思っていたから。「自分には帰る場所がない」と思っていたから。


仕事はうつ病が回復するまでは休職し、実家に帰ってからは自然の中をぼーっと散歩してみたり、今まで生きてきてほとんど興味がなかった本を読み始めたり、少しずつ自分の内面に意識を向けるような、そんな時間を取るようになりました。思えば、仕事では「目標!ノルマ!達成!」そんな目に見える外側の世界の結果ばかりに意識が囚われてしまい、自分に意識を向けるなんてことをしていませんでした。


「自分に生きている価値なんてない」「自分には自信がない」そんな自己肯定感がどん底でうつ病になり、何度も道路に出ては車に轢かれようと悪魔の囁きが聞こえたこともありました。自分の内側の世界に意識をゆっくりと戻せたこと、自然に触れる時間が増えたこと、本を読み、自分の今の状態を客観的に少しずつ捉えられるようになったこと、カウンセリングを受けていたこと、家族と過ごしていたこと、少しずつ心がまた落ち着くようになり、何度かリハビリを得て、数ヶ月振りに会社に行くことになったある日。僕は復職をせずに、辞職届を提出しました。理由はいくつかありますが、自分の人生は自分で決める、その意思が強かったと思います。



実績も貯金も0。何もない状態からのスタート。

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会社を辞めてからは嘘のように心が軽くなりました。もちろん、仕事はどうするのか、お金はどうするのか、将来的や経済的にも不安な要素は沢山ありました。だけれども、今まで自分が囚われていたしがらみのようなものから解き放たれ、自分の人生は自分で決めると決意したこと、それが何よりも心を軽くしてくれたんです。



よく心理学や自己啓発、スピリチュアルの世界でも「手放すことで、入ってくる」といったような言葉がありますが、これは僕の経験上もまさにそうで、自分が執着していたり、囚われていたりするものを手放さなければ、新しい何かは入ってこないんですよね。だから、目の前の現実を変えたいともし思ったのなら、何かを手に入れようとコントロールするよりも、自分が執着していたり、囚われているものを手放すことによって自然と目の前の現実が変わっていきます。


例えるなら、人生は一本の川のように本来の自分の魂が輝くように自然と流れているのにも関わらず、流れている途中で出会った岩にずっとしがみついていたら、そこから先へは進めませんよね。岩にしがみついてしまうのは、今の状態に無意識に安心していたり、宇宙の流れを信頼できていない時によく起こります。これは自分の意識でも自覚がなかったりするのでなかなか自分だけでは気づきにくいです。


とは言え、0の状態からのスタート。0の状態とは言うけれども、今まで僕が経験したことを生かしてまずは「コミュニケーション専門家」という肩書きで、人間関係や恋愛・パートナーシップ・仕事などにおける悩みや相談を解決するということから始めました。僕にとって「生きづらさ」を「生きやすさ」へ変えるお手伝いがしたいと思ったのが率直な理由でした。その当時はコミュニケーションや話し方や伝え方の本など何百冊と読んでいましたが、色々な方のお話を聴いていく中で、すべての心の悩みや問題はある一つのテーマに辿り着くことがわかってきました。それが、「自己肯定感」というものです。「自己肯定感」とは、今では「ありのままの自分の価値を受け入れて認めてあげること」を言いますが、僕は「生きるエネルギーそのもの」だと感じています。


🔻個人事業主として独立して3ヶ月後に初めて行ったセミナー風景🔻

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🔻「自己肯定感」をテーマに都内でWSをした後の交流会にて🔻

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僕はその時に自分がなぜ、生きづらさを常に抱えていて、突然うつ病になったのか、人間関係・恋愛・パートナーシップ・仕事・お金・人生全般に大きく関わってくるのがこの「自己肯定感」だということを知り、「自己肯定感」について独学で学び始めました。その頃から心理学や脳科学、精神世界やスピリチュアルなど、徐々に自分の内側の世界に関する探究心や目指すべき方向性を感じ始めていました。目に見えない心の土台が整ってこそ、本来の自分を解放し、ありのままの自分を表現し、自分らしく生きていけるのではないか、と。



運命的な出会いにより、人生が180°変わり始める。

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人生で間違いなく僕の人生を大きく変えた出会いがこの時期にありました。1人目は僕のパートナーであるかのちゃん。そして、もう一人は、心の恩師であり、自己肯定感の第一人者である中島 輝先生です。


僕が「自己肯定感」について学んでいた矢先、「自己肯定感の教科書」というとある本に出会ったのをきっかけに、普段はあまり著作者に意識が向かないのですが、これも本当に偶然、たまたまホームページをネットで調べたら、「自己肯定感カウンセラー」という職種があることを知り、パートナーの後押しもあり、中島 輝先生のもと、「自己肯定感カウンセラー」として活動することを決意しました。


「自己肯定感」を学んでいく中で自分が「HSP=Highly Sensitive Person」という気質を持っていることを知りました。感受性の豊さや繊細さ、人一倍外的要因に影響を受けやすい部分があったり、思い返せば思い当たる節がいくつもあり、「自己肯定感」「HSP」この2つのテーマに、本来の自分を解放し、ありのままの自分を受け入れて表現していく、生きづらさを生きやすさへ変えるヒントがあるのではないかと研究し始めました。


🔻自己肯定感カウンセラー養成講座にて恩師である中島 輝先生🔻

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「自己肯定感カウンセラー」として自己肯定感を高める活動の一環として、これまでに多くの専門家の方との対談や講座、クライアント様との個別セッションを通じ、その過程で僕自身も自己肯定感が高まっていきました。沢山の方との出会いを通じて自分自身が気づくことが多々あったからです。個人として独立したその年の夏頃には出版社でのトークイベントにも招待していただけたり、その当時発信活動をしていた音声SNS「PitPa」のユーザーとしてAbemaPrimeに出演したりなど、今までの自分からしたら思いもよらないような素敵な体験をさせていただきました。どれも独立して1年経つか経たないかの出来事だったと記憶しています。


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独立してからの1年間はここでは書き切れないほどの体験や気づきが沢山ありました。この1年前の自分では想像も付かなかったことだと思います。数年前までは接客業でも「いらっしゃいませ」という言葉を吃ってしまいまともに言えず、他人の目ばかりを気にして自分の言葉で人前に立ちながら話す、ということでさえ自信がなくて怖かったからです。もちろん、一人ではここまで来れなかった。いつも隣にいて支えてくれたパートナー(かのちゃん)、そしてこれまでに関わってくれた人たちがいたからこそ前を向きながら進めた。もちろん悩んだりもがいたりすることも沢山あった。だけれど、少しずつ自分と向き合うことで自分の外側の世界が変わっていきました。


アートセラピーとの出会い。目に見えない自分の内側の世界と目に見えるアートの世界。今の活動の原点。


僕は現在、「サプリメントアート」というセッションを通して、"その人の目に見えないエネルギーの状態や自分自身を肯定し受け入れるために必要不可欠な色、本来の自分の色を解放し、心の豊かさや魂が輝く自分になるための色"などをインスピレーションを得て感覚的に"目に見えるアート"として視覚化して描く、という活動をしているのですが、この活動の原点となるのが「アートセラピー」との出会いからでした。

それは自分が描いた一枚の絵から、自分の深層心理の本音(心の声)を知ることができる、という「クレヨンアートセラピー」というものを体験し、その時に、アートは自分の心を投影する鏡のような役割も果たしてくれる、というアートに対しての見方がガラリと変わったんです。どうしても僕たちは「言葉」を使うとその「言葉」に対して時に固定観念や思い込み、言葉を発する側と受け取る側での解釈の違いなどが生まれてしまう。絵というビジュアルで、アートで言葉の領域を越えた領域で、自己肯定(自分で自分の価値を受け入れ認めてあげるということ)を起こせないか、という未知の領域に一種の使命のようなものをその時、感じたんです。



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昨年に第一回、今年に入ってからは第二回、個人起業家向けのビジネスコーチングをされている加藤幹央くんことみっきーと共同企画した「アートとセラピーのオンライン展覧会」では、アートセラピーをご自宅にいながらもオンラインで体験できるという趣旨のもと、素敵なアートファシリテーターの皆様にご協力いただき、沢山の方がこのコロナ禍の中、参加してくださいました。


🔻「第二回 アートとセラピーのオンライン展覧会」🔻

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28年間住んでいた神奈川を離れ、運命に導かれるように沖縄へ移住。アルコールインクアートとの出会い。スピリチュアルへの目醒め。

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そして昨年。2020年4月。全く予想していなかった。色々な偶然が重なり、何かに導かれるように沖縄へ移住。自分が沖縄に住む日が来るなんて夢にも思わなかったし、この1年前までは頭の片隅にもなかったんじゃないかと思う。そして、現在に至るまでの間にも劇的な変化があった。その一部を少し話そうと思う。


沖縄へ移住してからある変化が起きたのは移住後2ヶ月経った日のことだった。組み立て式の机の天板を組み立て中に右指が挟まってしまい、骨折までには至らなかったものの怪我をしたことで利き手ではない左手だけの生活を少しの間、送ることになりました。思い返せば左手をよく使うようになってから、段々と目に見えないエネルギー感じ取れるようになり、これもまた偶然に偶然が重なり、目に止まった「オラクルカード」を購入し、リーディングをし始めるようになりました。


同棲しているパートナー(かのちゃん)も沖縄へ移住してから四柱推命や西洋占星術などに興味を持ち学び始め、オラクルカードでのリーディングや占いと呼ばれるものを通して、より自分のことを深く知るようになり、スピリチュアルへどんどん目醒めるようになったんです。目に見えるものばかりに囚われ、執着してしまって上手くいかなかった過去の自分を体験したからこそ、僕にはこの目に見えないものが現実に与えている影響を肌で感じ、信じることができたんだと思います。


沖縄移住して5ヶ月ほどが経ったある日。偶然、ネットを眺めていたら目に留まり心を奪われるものを見つけました。それが「アルコールインクアート」でした。今までも生きていた中でアートを見る機会は何度もありましたが、「アルコールインクアート」だけはなぜか気になったんです。調べてみると、「風で描く」「偶然できる模様を楽しむ」「絵を描いたことがない人、自信がない人でも簡単に始めることができる」というものでした。僕はとにかく変わっているものが好きだったので、「絵を筆や指で描くとかではなく、風で描く?!何それ!」とすぐに好奇心がそそられました。


「アルコールインクアート」とは、簡単に説明すると、一般的にはユポ紙やキャンバスなどにアルコール・インクを垂らし、風を使い描き、色の広がりや滲み、色同士の混ざり合いなどから偶然できる模様を楽しむアートのことで、上に貼ってある動画をクリックして視聴していただけると何となくどういうアートなのかを知っていただくことができるんじゃないかと思う。


「アルコールインクアート」は正解も不正解もない、上手い下手もない、成功や失敗もない、こう描かなければいけないといったルールや規則があるわけでもない、ただ自由にありのままに自分を表現することができるアート、それ故に、自分自身の今のエネルギー状態がアートにありのまま投影されるし、自分の無意識の行動パターンの癖のようなものを気づかせてくれる。


今でも鮮明に覚えているのが、真夜中に自分が描いたアルコールインクアートの作品を見た時、涙が意味もなく溢れて止まらなかったこと。その時はその涙が何を意味しているのかわかりませんでした。ただただ、「あなたはあなたのままでいいんだよ、あなたは素晴らしいんだよ、ありのままでいいんだよ」そんな受け入られているような感覚と聞こえるわけのない言葉が僕を優しく包んでくれている気がしたんです。アート自体が僕自身のありのままの存在を肯定してくれたんです。


その後、「アルコールインクアート」を描いていくうちに、自分の心の状態や目に見えないエネルギーの状態や色などから、幾度となく自分の心の変化に応じてアート自体が見せる表情やエネルギー状態も違うということを確信しました。自分の今の心の状態、選ぶインクの色、インクの垂らし方、インクの垂らす量、アルコールの垂らし方、アルコールの垂らす量、ドライヤーを持つ力加減や風を当てている時の心理状態、風の当て方など一つ一つの動作で完成する作品は全く違うものになります。偶然できる作品だからこそ、そこには必然的にその作品に成し得る意味があるんだと。


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ずっと自分がやりたいことをやるのが怖かった。自分と向き合う中で見えてきた"自分の好きなことをして生きていく"本当の意味。

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ずっと自分のやりたいことをやるのが怖かった。自信がなかった。正直、自己肯定感カウンセラーとして活動していた傍ら、自分の中にはまだ向き合わなければいけない課題がいくつもあった。沖縄へ移住してからというもの、そんな自分の中にある課題と向き合う機会が増えた。まだ、僕はしがらみの籠の中に囚われている。


振り返れば、僕は昔からやりたいことをやる、ということから無意識に逃げてきたような気がする。「お金が」「環境が」「両親が」「将来が」そんな言い訳を並べては自分がやりたいことよりも「すべきこと」「しなければならないこと」を優先し、そんなやりたいことをやるということから逃げている自分ですら許せなかったんだと思う。


「お前はいつも中途半端だ」「何か一つでも続けられるものやできることはないのか」「本当にそれでやっていけると思うのか」「本当にできるの?大丈夫?」「弱い」「男らしくない」そんな言葉が頭の中を反芻し、自分のやりたいと思うことよりも、誰かにとっての正解ばかりを選んできたから。


でもこの沖縄へ移住してきてから自分と向き合い続ける中で、本当の「弱さ」とは何かわかったんだ。それは、「自分のやりたいことをやる、自分が好きなことをする、誰かの常識やルールや現実なんで言葉に囚われずに、自分自身を信じて進んでいくこと」それができていなかったことが本当の「弱さ」なんだと。


冒頭でも話したけれども、家庭環境にはとても恵まれていたと思う。両親も優しかったし、経済的にも極端に不自由な生活を強いられていたわけでもない。ただ、両親の考え方や価値観と僕の考え方や価値観は真逆なところがあった。小さい頃の僕は○の愛の形を求めていた。だけど、両親の愛し方は□だった。愛されていたのは事実、だけれどもその□の愛の形を受け取れていなかった。そこに精神的な距離感や寂しさなどが生まれてしまったのかもしれない。ただ、それだけのこと。


人生を語るにはまだまだ知らないことだらけで、向き合う必要のある課題がまだあると思う。でも確実に言えるのが、目の前に起こる出来事、出会う人、今目に見えている現実、全てに意味がある。全て今の自分の人生をより良くしてくれるために、本来の自分を解放するために起こっていることだと。だから+も−もないんだよね。ポジティブもネガティブも自分自身が投影している一つの解釈だから。だから自分が感じるままにやりたいことをやること。自分の生き方に嘘をつかないこと。僕もまだまだ未熟なとこばかりだから、悩んだりする時だってもちろんある。


でももうわかってる。自分なら大丈夫だって。
そして、そのことを一番近くで見守ってくれたパートナー(かのちゃん)に感謝。
本当にありがとう。言葉では言い表せないほどの愛と感謝しかありません。


だから伝えたいんだ。あなただって大丈夫だって。
心が豊かになれば、現実は自ずと変わる。





ここまで長い文章を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます。まだまだ書ききれていないところ、伝えたいところは山ほどありますが、それは随時、また更新していきたいと思っています。


個人事業主として独立してから約3年間ほど。なぜ、今になってこのnoteを書こうかと思ったのかは不思議ですが、きっとこのタイミングではないと書けなかったんだと思います。そして、このnoteはこれで終わりではなく、これからどんどん新しいページが追加されていくんだろう。少しでも何か気づいたことや感じたことがあればシェアしていただけたら大喜びです。真っ先にコメントさせていただきます。


最近、絵を描くばかりで文章に触れていなかったので1万字以上書くのにも物凄いエネルギーを込めた気がします(笑)でも、こうして自分の気持ちを文章で言葉で表現することも楽しいと改めて感じました。また近々、更新しますね。それでは。



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