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欲張り(2020年4月27日)


私は欲張りだ。その性格のせいで、自分で自分の首を絞めることも多い。例えば今も、やりたいこといっぱい両手に抱えて、結局ゆっくりとぼとぼ歩くしかなくなっている感じが、今日はすごく強くて、なんだかすごく寂しくなってしまう。自分の必死さが、ものがなしい。

そんなに欲張って、わたしは卑しいな。


欲張りといえば、思い出す、ホームビデオ(を見ている自分)のワンシーンがある。

私が多分5歳か6歳くらいのときのビデオ。それを見る自分は、多分15歳くらい。ビデオデッキを手放すとかで、整理のためにいろいろと古いビデオを家族で見ていた。


推定5歳の私は、家族と一緒に公園で遊んでいる。けろけろけろっぴが描かれたビニールシートが、乾いた土の上に広げられている。その上には若々しいお母さんが、まだ赤ちゃんの妹を抱いて座っていて、手作りお弁当と子供用のお菓子が目の前に置かれている。そのお菓子をぱくぱく食べている女の子が私。

小さな私は、多分普段は来ない公園の特別なブランコにいち早く乗りたくてそわそわしながら、同時に、特別な外で食べるポップコーンを少しでも多く食べたくて慌てて口に詰め込んでいる。はち切れそうなくらい、口いっぱいにこれでもかと詰め込んで、そのままろくに飲み込みもせず立ち上がると、口をいっぱいにしたまま遊具の方へと走っていき、ブランコを漕ぎ出す。

ビデオを構えているお父さんに「そんな焦らんでも」と言われるけど、もう聞いてない私は、口を膨らませたままブランコを漕ぎ出す。口にあまりにも詰め込んだものだから、咀嚼できないのだけど、「やりたいことはやったぞ」というはれやかな顔で。

それを見た15歳の私はつい泣いてしまった。今より何倍も小さなその、自分らしいけれど、今の自分には記憶のない時を生きる子供の、必死な姿に胸を打たれて。でも今の自分も同じような必死さで生きてるということに、はたと気がつかされて。


この卑しさは25歳になった今も、困ったことに健全だ。

居酒屋でもずっと食べてるし、職場でもらったお菓子はすぐに食べちゃうし、いくらダイエットのためと言われてもご飯を残すのは罪悪感がある。将来が不安で、とにかく時間があくと何かしなくちゃと思ってしまう。


そんな自分をふとした瞬間に俯瞰しちゃうと、ああ、なんて私は必死なんだ、なんて、自分に没入している時間をたくさん持ちながら日々を孤独に送るいち人間の小さな存在を自覚して、頭の中で抱きしめて、頑張ってるね、としかいえなくなっちゃうんだよな。


今日はそんな日でした。

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