⑤独学で仲間達と宇多田ヒカルのバックダンサーなった物語(全6話)

ダンス界に激震!?初バックダンサーの優越感

こうして僕らは、無事に宇多田ヒカルのバックダンサーを射止めた。

初めての大物バックダンサー。
初めての武道館。
初めて何千人の前で踊る気持ち。

ダンサーでもこの経験をできる人は数少ない。
しかも、カリスマアーティスト「宇多田ヒカル」のダンサー経験人数は極小だろう。
なぜなら、バックダンサーをレギュラーで付けるようなダンス系アーティストではないから。

この話は狭いダンサー界ですぐ広まった。
初めて大きな仕事を取れた時の優越感を初めて感じた瞬間でもある。

「これか、優越感というのは・・・」

イベントのゲストレベルの優越感ではない。
それは他のメンバーも同じだったであろう。

そうして、武道館の当日まで打ち合わせとリハの期間は刻々と過ぎていった。

踊る曲はどのくらい?気になるライブ内容

ライブで踊る曲は何曲だったろうか。
8~9曲だったか、中にはメドレーも入っていた。

ライブ時間は比較的短く3〜40分程度だった。
海外アーティストもいるのでそんなもんだろう。
そのうち半分以上がダンス曲である。

内容的にはバックダンサーなら普通だが、大舞台を未経験の自分たちにはかなりのボリュームだった。

クラブイベントのショーでもたかだか5分程度。
体力配分をしっかりしないと、後半でヘロヘロの姿を見せることになってしまう。

そんな個人的な課題も取り組みつつ練習をこなしていた。
肝心の「振り付け」だが、「構成」「演出」に関しても何の指定もなく全て任せてもらう形。

僕らは年齢的には22〜3歳の若造だ。
ダンス経験もまだまだ浅い。
自分らはどんな要望でも応える姿勢だったのだが、よく任せたなと今更ながら感じている。

そして、ある程度ライブの全体が固まった時期、ついに宇多田ヒカル本人と合流する日程が決まった。


・・・合流当日。


スタジオに向かいながらメンバーでワクワクトークをしていた。
スタジオに着くが、まだ本人は来ておらずリハーサルまで振りの確認をする。

ゆっくり扉が開かれ、そこには宇多田親子!

「キター!」

ミーハーではないのだが、この時だけは凄い興奮する瞬間だった。

本人はテレビで見たまんまモジモジしていた(笑)
そして、気を使ってもらい僕らと「ヒカルちゃん」だけの交流タイムができた…。

ちなみに通常バックダンサーはこんな感じではない。
与えられた仕事を淡々とこなすだけなのだが、彼女との年齢も近いので交流を持たせてくれた父親としての配慮だと思う。

これを含め、凄いレアなバックダンサー経験なのかもしれない。

「ここだ!ここで、どんだけ打ち解けるかだ!」

彼女にとっても、全てが初体験となる。
ライブ・武道館・ダンサー・生バンド…

良いライブにするには打ち解けることが大事だ。

しかし、そんな僕らの気持ちも空振り!
シャイな彼女は大して打ち解けずに、失敗したお見合いみたいな感じで終わった・・・。

がっくし。
「しょうがない、ライブで頑張ろう!」

僕らは気持ちをライブに切り替えたのだった。


その交流タイムを経てバンドリハーサルに入るのだが、宇多田ヒカルの生歌で初めて振り合わせをした時の感動!
アレは忘れられない。

しかも生バンドで踊るのも自分達は初体験だった。

生バンドだと「ニュアンス」「タイミング」「ピッチ」なども変化する、この経験もダンサーとしての幅を広げてくれた。

月日は流れゲネプロ期間へ

ライブや舞台などは、本番同様のゲネプロというリハーサルを行う。

ゲネプロとは…
本番同様にすべてを通してやる。

ゲネリハとは…
本番直前の総合予行練習。


お客として!ダンサーとして!初めての武道館!

ゲネプロは今はなき東京ベイNKホール。

現在は夢の国でおなじみオリエンタルランドの敷地となっている。

1ライブのためにNKホールを1週間押さえたというから今では考えられない規模感。


ヤバいよ!ヤバいよ!ライブ衣装

そういえばライブ衣装に関しては、実は黒歴史となる。

なので逆に書いておこう。
さぞやカッコいい「テカテカ」「クール」な衣装だろうとイメージしただろうか。

少なくとも衣装は決まってる!

と自分含めメンバー全員が思っていた。
クラブのショーでさえ衣装は重要なのだから….。

「そうさ!カッコいい衣装で武道館に立つに決まってるさ!」

もうフラグでしかないw

そんな衣装、実はなんと驚くなかれ初武道館の衣装は、

私服!しかもリハ着!

リハの時に来ていた私服に決まったのだ。

この「私服衣装」の経緯はこうだ。
ある日リハーサルを観ていた照實さんがこう言った。


【良いねぇ、このままでいこう!】


「なにを!?」

最初なんのことを言っているのか理解できなかった。

【衣装はこのままいこう!】

僕らは耳を疑った。


殿!ご乱心!?


クラブイベントでさえ衣装は色やコンセプトを決めてこだわるポイント。
さすがに武道館にリハ着の私服は…。

さすがにこれは僕らも大丈夫か!?と思った。
むしろ若干引いた。

そう、この衣装を決めたのは宇多田ヒカルの父親なのだ。
決して衣装費をケチった訳ではない。
イメージは「アメリカンスクールの仲間達」という事だった。

「あるいみ斬新!」
「さすが視点が違う!」

と、その時は思ったのだが…。

この続きは次の最終回にお伝えしよう。


では、ゲネプロの話に。
本番同様にお客さんを呼んでライブを行うのだが、呼べる人数は限られていた。
「関係者席」「マスコミ席」そして「出演メンバーの招待枠」だけの数百人規模である。

そんな自分は誰を招待したのか?
もちろん親。

「ダンサーの親孝行」

当時はこれぐらいしかできなかった。
子供の仕事場を見せることで安心させる意味もあった。

ゲネライブの素直な感想

ゲネのライブ開始は刻々と近ずいていた。
自分たちは裏で待機をする。
あくまでリハーサルだが、もちろん本番同様の緊張感がある。

振付は大丈夫!
衣装もしっかりチェック!

(だが私服)

そしてライブ時間になり会場が暗転しライブが始まった。
バンド演奏が流れ、さすがに興奮してきた。

しかし、思ったほど盛り上がりはない。
そりゃお客さんは関係者と招待者だけだしね。

まばらな拍手…。

そして40分ほどのライブは終了。

こんなものか…。

宇多田ヒカルといえど、お客さんでこうも違うのかと感じた。
まだクラブイベントの方が盛り上がっているぞ…。

しょうがない、みんな経験値高い大人だもんね。
でも本番のイメージはできたし特にミスも無かった。

そして本番当日。

この時の思いを大きく裏切られる…。

続く。

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