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東北は植民地なのか?

福島県での講演依頼があった。講演日は偶然にも3月11日。震災から10年が経つその日に福島に呼んでいただけることに、なにかしらのメッセージを感じた僕は、二つ返事でその依頼を受けた。

せっかくなので福島市でBooks & Cafe コトウという古書喫茶を営む友人、小島雄次くんにも会いに行こうと3月10日に福島に前乗りして、編集者ながら僕のマネージャーを兼任してくれている、はっちも加えた3人で原発のことについて語るトークイベントをオンラインで行った。

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と言ってもこれは僕が主催するオンラインコミュニティ『Re:School』でのイベントだから、ある種の安心を伴った空間のなかで行われた。さらに、こけし好きな3人が、こけしだけを画面に写して、まるでラジオのようにお届けした。僕は少し、いとうせいこうさんの『想像ラジオ』を意識していた。

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震災当時県庁職員だったという小島くんは、有事の際、人々のために働かねばならない公務員の使命を体感して、自分はどこまでそれに徹することができるのだろうかと自問自答し、職員としてその対応に追われつつも、一つの区切りを感じた時に、県庁職員をやめた。そして古書店の店主になった。4年前のことだ。

当時のさまざまから今現在の気持ちまで、彼の言葉ひとつひとつに、原発という馬鹿げたものを日本人は何故作ってしまったのかという、もはや怒りを通り越したやりきれなさを感じた。

広島、長﨑への原爆投下から9年後の1954年、アメリカ軍の水素爆弾実験で発生した多量の放射性降下物を浴びた遠洋マグロ漁船、第五福竜丸。その乗組員23人が被爆し、その約半年後に、無線長だった久保山愛吉さんが亡くなり、人類初の水爆被害者となった。この事件を機に、日本でもいよいよ反原子力の声が高まり、そして広がっていった。

そんななか、日本に原発が出来るなんて本来ありえない。それを覆したのは、当時、衆議院議員に当選した読売新聞社主の正力松太郎だった。新聞そして日本テレビ、巨大化していくメディアを活用し、クリーンで安全な原子力という虚飾に塗れたイメージを国民に定着させていく。この正力松太郎の原発誘致工作とそれに乗ったかつての日本人の罪を、僕たちはいつまで未来に押しつけ続けるのか?

宮城県の村井知事が女川原発の再稼働を支持するなど、僕は本当に信じられない。それもこれもみんな原発マネーと言われる「お金」のせいだ。そこからまたどんどん分断が産まれている。

そんな話をしているなかで、小島くんが『THE BIG ISSUE』vol.402 特集「ふくしま 10年という時間」を読んだ話をしてくれた。そこに掲載されている、東北学で有名な赤坂憲雄さんのインタビュー記事が衝撃的だったという。

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赤坂さんは震災以前から「東北は植民地だったのか」という本質的な問いをぶつけ続けてきた人だ。そんな赤坂さんが「ふくしま会議」という勉強会の場で、電力業界で働いていたという1人の参加者から「東京電力や関西電力以外の電力会社の人たちは、東電や関西電力に対して、『植民地があっていいよね』と言います」と聞いたそうだ。自社の電力供給エリア外に原発を置くことを「植民地」と呼んでいたという衝撃的な事実。さらに、また1人、同じく電力業界界隈にいた人が「みなさんはご存知ないんですか。当たり前に業界で言いますよ」と発言したという。

この話を聞いて怒りを覚えない東北の人はいるんだろうか? 僕など、いますぐ東京への電力を止めてしまえばいいと、極端なことを思ってしまうくらい、腹立たしい気持ちになった。赤坂さんもさぞ怒りに震えただろう。

このインタビューのなかで赤坂さんはさらに、ある外交官の言葉を引用している。『市民を対立・分断させて、利益の不平等下に置いて抵抗させず、統治するのが、植民地政策の基本だ』と。

女川の再稼働をめぐる分断など、まさにそれだ。東北は、地方は、いつまで植民地化されたままでいるのか。

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翌朝、ホテルまで古書買取用の荷台の大きな車で迎えにきてくれた小島くんは、「10年で一番天気の良い3.11だってラジオで言ってましたよ」と言いながら、僕を飯坂温泉に連れて行ってくれた。車内で小島くんが「行き先は二択です。趣はあるけど、入れないくらい熱い湯船が一つだけあるところと、風情はまずまずだけど、熱いのと、入りやすい温度と二つ浴槽があるところ。どっちに行きたいですか?」と聞いてきて、僕は迷わず前者と言った。

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到着したのは鯖湖湯という公衆浴場。脱衣場と風呂場の間に仕切りがなく、真ん中に湯船だけがあるシンプルなお風呂で、洗い場すらない。常連さん達がお風呂のまわりで、桶を器用に使って体を洗っていた。僕は朝一番ホテルでシャワーを浴びていたので、早速掛け湯をして湯船に浸かろうとしたのだけれど、これが、ほんっっっっっっっとに、熱い! なんと温度は46~48°だという。

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サウナ好きで、温冷交互浴好きな僕は、各地の銭湯にも良く行くので、爺ちゃんたちが好んで入る熱い風呂にも多少は慣れているつもりだったけれど、それでも手先がジンジンと痺れてくる熱さ。案内してくれた小島くんにいたっては、足を入れるだけで精一杯という感じだった。しかし僕はなんだか、福島の人たちの抱える理不尽と我慢を思い、歯をくいしばって浸かり続けた。上がった体は真っ赤になっていた。

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その後、3年前も小島くんに連れてきてもらった信夫山に向かった。道中、以前は大量にあった除染土が、市外の中間貯蔵施設に運ばれているそうで、少しばかり減っていた。

「福島のなかに置いておくしかないと思うんですけどね」と小島くんは福島の人らしくそう言ったけれど、僕は東京に置けばいいと思った。このまま植民地化されてたまるかと、自民党本部や東京電力のビルの前に積み上げたいくらいの気持ちだった。

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さすが10年で一番天気のいい3.11。信夫山のてっぺんからは福島市が見事に一望できた。この信夫山も当時は放射線量がとんでもなく高かったそうだ。いまも線量が表記された看板を背景に、小島くんが3年前と同じようにコーヒーを注いでくれる。

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都会の人たちは、知らずこんな風に、福島の街を高みから見下ろしているのだ。そして綺麗だ、素敵だ、復興だと、体のいい言葉を放って帰るのだろう。自分だってそうだ。こんなにも美しい街で暮らす人々の生活を犠牲にするような原発なんていらない。

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東北は植民地なのか? その言葉が離れないまま飲む珈琲は人生で一番苦かった。

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藤本智士(Re:S)

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編集者。1974年兵庫県在住。『Re:S』『のんびり』『なんも大学』編集長。著書に『風と土の秋田』リトルモア、『魔法をかける編集』インプレス。『アルバムのチカラ』(共著:浅田政志)赤々舎。その他、『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』(佐藤健)など、手掛けた書籍多数。