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怒るほうに軸足を置いてみるアンガーマネージメントのはなし。

アンガーマネージメント

 この言葉を最初に聞いたとき、怒ることも大事だし、そもそもマネージメントしたりコントロールしたりできない感情こそが怒りなんだから、そんなことできるわけないじゃん? くらいに思ったのだけど、よくよく調べてみると、アンガーマネージメントの意味するところは、別に怒るなと言ってるわけではなく、「怒らなくていいこと」か「怒ること」か、判断できるようになろうという話で、決して、怒りはよくないから怒るなと言ってるわけじゃないことがよくわかった。

 人の怒りやイライラのようなものは、大抵、価値観の相違からくる。「なんでそんなこともわからないの?」「なんでそんなこと平気でやるの?」と、怒りの背後には自分が信じる「ふつう」というものがあって、こいつがとてもやっかいだ。いわずもがな「ふつう」は多様なのに

 ジェンダーギャップやハラスメントに対する価値観など、自分たちが経てきた考え方と世の中の空気との違いが、ふとした瞬間に露呈する現代だからこそ、そもそも自分のなかにある「ふつう」を疑い、ひょっとするとこれは「怒ること」ではないかもしれない……。と認識し直すことで、「怒る」or「怒らない」を判断していく。それがアンガーマネージメント(ということらしい、たぶん)だ。それって確かにとても大切。

 と、そんな前置きの上でなお、マネージメントのしようがないほど怒りに震えそうなのが、自民党、特に安倍政権下における統一教会との最低な依存関係。これマジで怒っていい。マネージメントし、判断、選択した上でなお、怒るやつだ。

 まったく何が国葬だ。またもや電通に仕切らせて国費を注ぎ、なんの議論もなく強引に遂行するなんて、その有無を言わせなさは、もはや合同結婚式ならぬ合同葬式。電通で働く、志の高い友人たちがマジかわいそう。こればっかりはほんとクールでいることの恥ずかしさというかヤバさというかダサさというか。この後に及んで意識高いとか言ってるやつはシンプルに意識低過ぎるだけだ。

 と、そんな「怒り」の感情について考えているうちに、最近の僕はある意味、表面的なアンガーマネージメント空気にほだされすぎて、ほんと怒らなくなってしまってたなあと反省している。

 もちろん血気盛んな年齢を経て、知らず歳を重ねていくうちに、いわゆる「まるくなった」感は否めないのだけれど、最近、ふと気づいたのは、僕がずっと尊敬し続けている3人の偉人たちはみな、「怒りの人」だったということ。

 僕が常に指針とし、立ち返る存在とも言うべきそのお三方は、『暮しの手帖』の花森安治、『民藝運動』の柳宗悦、そして芸能界からはすでに引退されている上岡龍太郎さん。

 「占い師なら僕がこの後あなたを灰皿でなぐるか素手で殴るか占ってみろ」と言い「あなたは理性のある人だからそういうことはしません」と返答する占い師に「いいや、どつく」と、頭を小突いたという伝説エピソードが有名な上岡さんは、有象無象の超能力者や霊能力者を、すべからく真実のごとく伝え続けるテレビに対して、統一教会的なものが蔓延るのはメディアのせいだと怒りをもって、90年代のテレビのなかから業界と戦っていた。そんな上岡さんはもちろんのこと、『暮しの手帖』の花森安治さんは、雑誌の持つイメージからか、温厚な人だと思われる人も多いと思うが、とにかく完璧主義というか、自分が当たり前に出来ることを他人ができないということに対して苛立ちを隠さない人で、近しい人たちの苦労エピソードを読んでいると、およそアンガーマネージメントなど出来ないタイプの人だったことがわかる。また民藝運動の創始者である柳宗悦も、僕の中で典型的な怒りの人だ。怒りをもって自分の考えを表現することが命懸けだった時代で、柳は自らの進退を恐れず、まっすぐに怒りを表明する人だった。民藝とは、そのイメージから、しっとり美しい佇まいの印象を受けるかもしれないが、民芸運動とは明らかに反骨のカウンターカルチャーだった

 拒否拒絶反発不服従。怒りを露わにして物事を推し進める人たちに僕が常に憧れ、いつまでもリスペクトが消えないのは、こういう人たちは総じて、理想とするビジョンが明確だからだ。だからこそ、そこに到達しないことや、そこへの歩みが進まないことに苛立ちを覚える。僕は常々、「編集力とはメディアを活用してビジョンをカタチにするチカラ」のことだと言っている。つまりはビジョンが明確であるほどに編集は力を発揮するし、逆に言うとビジョンが明確でないものには編集の魔法は効かない。そういう意味で上述の3人は僕にとって偉大なる編集者の大先輩でもある。

 思い出してみるに、僕が秋田県にやってきて「のんびり」というフリーマガジンを編集し始めた頃、僕の一番の役割は良くもわるくも、怒りを表に出すことだった。

 互いに気をつかい合いながら、譲歩しあってものづくりをしようとする秋田の若いクリエイターたちを前に、怒っていいはずの場面でなお、なんで怒らないのか? なにを我慢する必要があるのか? と問い続けた。怒れないということは、つまりビジョンがないということだと言って、怒った。

 だから、色校正ひとつきちんと出せない秋田の大手印刷屋さんに対して、こちらは真剣にものづくりしているのに、なぜそんなテキトーな仕事をするのか? それでもプロと言えるのか? と印刷屋さんの会議室で怒りまくった。翻って秋田のメンバーたちに対しても、なにを勝手に仕方ないと諦めるのか? とまた怒った。あの頃は、ただただひたすらに一人怒り続けていたように思う。

 怒らないことは優しさでもなんでもない。怒るべきところで怒らないのは相手を切り捨てるようなものだし、何より、自分で自分を低く見積ることになる。怒らないでいることは、自分の今後のクリエイティブにストレートに影響してくるのに、それをしないのは決して美談なんかじゃない。そのことは、まさに怒りをもって伝えるしかないと当時の僕は思った。その瞬間、どんなに嫌われようとも、僕の使命はそこにあると信じていた。

 結果、秋田の若いクリエイターたちが当たり前に色校を確認してしっかり指示を出して印刷所に戻すという当たり前の行為ができるようになったし、印刷現場の人たちも職人魂の火を再び灯してくれるようになった。

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