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平成最後の夏だから、ぼくは離婚をしようと思う。

何かが終わるとき、別の何かが始まる。

それは結婚・離婚だけでなく、全てのことに通ずる。

ぼくたちは幼い頃からこうやって、

「終わりと始まり」

を繰り返して生きてきた。

幼稚園や保育園を卒業すれば、小学校へ入学する。
小学校を卒業すれば、中学校へ入学する。
中学校を卒業すれば、高等学校へ入学する。
高等学校を卒業すれば、大学へ入学する。
大学を卒業すれば、当たり前のように企業へ入社する。
企業を退職すれば、また別の企業へ入社する。

こうやってぼくたちは、

「終わりと始まり」

を繰り返す。

そこに1ページ、結婚と離婚という紙が挟まったにすぎないだけのことに、
少し、いや、とても心を動かされる。

結婚と離婚も、何度も繰り返してきた「終わりと始まり」の一部でしかないことは、頭ではよく分かっている。

でも何故だろう?胸がソワソワするのは。
でも何故だろう?自分で決めたことなのに、胸を張れないのは。

結婚したことの後悔も、離婚をするにあたっての迷いも、離婚をして得られる安堵感も、ぼくの感情を構成する大事な要素だ。

そのどれもが密接にかかわりあい、そのどれもが切っても切り離せない関係になっている。

でもぼくは、平成最後の夏に離婚をしようと思う。

そして、お互いの親を交えて離婚の話をとりまとめ、離婚の日にちに関しても合意がとれた。

あとは、その時が来るのを待つだけ。

長かったような、短かったような。
悲しいような、嬉しいような。
未来は暗いような、明るいような。
合理的な判断なような、感情的な判断ではないような。

色んな気持ちが交錯するたびに、ぼくはこう思う。

「繰り返される”終わりと始まり”の一部だ。」と。

この選択が吉と出るか凶と出るか、

頭の中では吉と出ると理解しつつも、
凶と出るんじゃないかと思い続けてきた。

きっと、凶と出てほしいんだと思う。

でも、これ以上婚姻関係を続けていくことが、
不可能だと思ってしまったのだ。

共働きで、家事を一切することがなければ、家賃を1円たりとも払わない。

それは、精神的な面でも、金銭的な面でも、パートナーと呼ぶに値せず、
今後子どもができた場合の話や、両親の介護が必要になったとき、

何をしてくれるのだろうか?いや、きっと何もできないだろう。

結婚したら、1+1が1.5になり、お互いで負担しあえば1が0.75になると本気で思っていた。

だが実際は1+1は確かに1.5だったが、1.49は自分が負担していることに気がついてしまった。

改善の要望をどれだけ本気で、何度伝えようと、この1年間変わる見込みが全く見えなかった。

「終わりと始まり」

結婚生活が終わり、独身生活が始まる。

数年ぶりの独身生活なので、身の振りようが全く分からない。

そして恋愛の仕方も全く忘れてしまっている。

だけど今ぼくは26歳で、人生まだまだこれからだと思っているし、

離婚してからやりたいことも山ほどある。

これも一つの、「終わりと始まり」。

平成最後の夏だから、ぼくは離婚しようと思う。

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週刊金融日記読者歴5年。 noteでは主に恋愛、転職、スマホMNPについて情報発信をしています。 noteは有料が多いですが、ブログは無料で読めます。 ブログ:https://www.no-more-inaka.com/
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