頭と心の回復速度は違うー僕の鬱病療養日記-18-

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。

※記事は全文無料でお読みいただけます。


日常

2019年12月10日(火)朝10:00頃

今日はいつもよりも少しだけ遅い時間に書き始めている。というのも、昨日は久しぶりに夜に寝付くことが出来なくなってしまった。23:00過ぎには眠ることが出来ていたけれど、夜中の3:00頃に一度目が覚めてしまったのだ。最近は睡眠のリズムも非常に整っていたため、途中で目が覚めてしまうと、「ああ、またやってきたか」と少し残念な気持ちになった。そこからまたすぐに眠ることが出来れば、たいした問題にはならないのだけれど、僕の場合は、一度目が覚めてしまっては眠れなくなってしまう。仕方がないので、真夜中に読書をしていた。一人の孤独の時間は、いつも本が側にいてくれる。

この数日少し無理をしたことが眠りに影響を与えたのだろうか。鬱々とした気分に襲われることがだんだんと少なくなり、状態が良くなってきたため、徐々にだが、社会復帰に向けてのリハビリも進めている。

先日は、母の友人が音楽ライブをするということで、一緒についていくことにした。23歳になって母親と一緒でなければ、大勢の人がいる場に出ることが出来ないというのも、少し恥ずかしい気持ちもあるのだけれど、今はそんなことは気にしない。非日常を味わえるならば、人と接することが出来るのであれば、どこへでも行こう。

場所は大阪の大日。小さいがおしゃれな空間のバーだった。その場には母と同じくらいの年齢か、それ以上のおばさま方が大勢いた。お店に入った瞬間に、自分が浮いた存在であることを感じた。この空間に、若い男性は完全に場違いである。自意識過剰かもしれないが、注目を集めてしまった。お店に入った瞬間に「なぜここにいるの?」と数人の方の顔にハテナマークが浮かぶのが見える。

その後は、やはり珍しい存在であったからか、話しかけられる話しかけられる。ぐいぐいぐいぐい。さすがは大阪のおばちゃん、遠慮がなさすぎる。最初は笑顔で話すことも出来ていたし、僕も楽しかった。けれどまだまだリハビリ中の僕の体力はそんなに長くは保たないのだ。

しばらくしてくると、だんだんと自分が疲れてきているのがわかった。ライブが始まってしまえば、話しかけられることもほとんどなくなったため、ゆっくりと過ごすことが出来たが、ライブが終わった後もしばらくお客さんは残り、また僕にも話しかけてきた。

その頃にはすでに僕の精神的な体力ゲージは残りわずかになっていた。だんだんとパニックを起こしそうになってきていたので、これはそろそろまずいと思い、席を立つ。しかし、おばさまに声をかけられる。「1曲歌わないと帰ったらあかんで」

その頃お店では、残ったお客さん達によるカラオケ大会のようなものが催されていた。僕は歌わずにさっさと帰ろうと思ったのに、まさかの強制的に歌わされることに。早く帰らせてほしいと思いつつも、歌うこと自体は嫌いではないので、とにかく歌って、さっさとこの場から退散させてもらおうと決めた。誰でも知ってるであろうと思い、絢香の「I believe」を選曲。パニックになりかけてる状態で我ながらよく歌ったと思う。少ししんどかったものの、人前で歌うことが出来たのは良い経験だった。

歌い終えた僕は、観客からの拍手を受けつつ、その余韻に浸ることもなく、上着を着て、お店を出る。マスターは「またおいで。」と言ってくれた。ごめんなさい。僕も本当はもっと居たかったんです。楽しい空間でした。けれど、今の僕の精神力では、ここまでが限界です。


愛用のクロスバイクに乗り、一人で帰り道を漕ぐ。すでに外は真っ暗で、12月の夜の空気は、僕の肌を冷たく刺す。動悸が激しくなっているのは、運動のせいだろうか、それとも、人前で歌うなんて無茶をしたからだろうか。とにかく家に帰って一度落ち着かなければ。

以前までならなんてことのなかったこと。知らない人が大勢いる場に出かけること。人前に立つこと。どれもむしろ好きなぐらいだった。それが今は出来なくなっている。無性に悔しかった。

「どうして。」「なんで。」「ちくしょう。」

また孤独感が襲いかかってくる。涙が出そうになる。もう鬱からは脱しつつあると思っているのに、どうしてこんなに人と会うことが怖くなってしまったのだろう。

思うに、鬱から抜け出すにあたっては、最初に頭から回復してくるのだと思う。鬱のどん底にいるときには、とにかく頭の中が不安になる。自分なんてダメだと思い続け、死にたいという気持ちにとらわれる。けれど、だんだんと回復してくると、そういった思いにとらわれることが減ってきて、あれをやってみようか、これをやってみようかと、だんだんと「死にたい」以外のことを考えられるようになってくる。頭が先に回復するからこそ、こうしてnoteで文章化することが出来たりもするのだろう。けれど、心はまだまだ回復していない。だから、人と会うことが怖くなったり、実際に会ったとしてもものすごく疲れてしまう。

僕は、「もうこれだけ冷静に考えられるようになってきたし、鬱の状態に沈むことも減ってきた。本当はもう動けるんじゃないか。何もしていない自分はただ怠けているだけなんじゃないか」と思ってしまっていた。けど、そうじゃない。きっと頭が回復しただけで、心がまだ追いついていないのだ。

きっとこの状態でいることもまたしんどさを作る要因の一つであると思う。頭ばっかりはすっかり元気になってきているから、もう自分は大丈夫なのではないかと思う。けれど実際に行動してみるとなかなか上手くいかないため、「やっぱり自分はダメなんだ」と自己嫌悪してしまう。そんな失敗体験はまた自分を落ち込ませる。

だから僕は自分に言い聞かせることにした。

「頭と心は別物だ」

まずは頭が回復してきたことを喜ぶ。褒める。よくここまで耐えた。
けど、心のほうはまだもう少し時間がかかるらしい。でも、きっと追いついてくるから、ゆっくり待ってあげよう。仲の良い人と会う時間を増やしたり、自分のできる範囲でリハビリを重ねて、疲れたらまた休んで。そうしていればきっと心も回復する。

また、初対面の人だって楽しく話せるときが来るはず。
頭と心の回復速度が違うだけだ。

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終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございました。

はじめましての方ははじめまして。
いつも読んでくださってる方は、ありがとうございます。
お久しぶりの方はお久しぶりです。少しずつ元気になってます。

全文無料でありながら、有料記事とさせていただいたのは、路上ライブのような気持ちで文章を書きたいと思ったからです。
街中でたまたま聴こえてきた音楽に、足を止め、お金を支払うように、
このnoteというプラットフォームの中で、偶然読んでいただけた文章かもしれませんが、もしも「なんだか良いな」と思っていただければ、お気持ちをいただけると嬉しいです。

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ではでは。
今日という一日が皆様にとってより良い一日でありますように。

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