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あとは心の健康だけだった。

先週のある日、突然久しぶりに心の調子を崩した。

特に何かがあったというわけではなかったのだけれど、その前日の夜から、なんとなく心がどんよりとする気分に襲われていた。その日はひとまず早めに寝ることにした。

その翌日。朝起きた時点では特に問題もなく、毎朝ルーティーンとしてやっているモーニングペーパー(自分がその時に感じていることを思いつくままに1000文字ほど書き続ける)でも、「昨日はしんどかったけれど、今の時点ではどうやら大丈夫そうだ」と書いていた。その後、自分で作った手ごねパンの生地を焼き、朝から焼きたてのパンを食べる。そして、ベランダにかけている干しバナナの様子を見たりするなどしていた。この辺りからだ。

また突然心がもやもやとし始めた。そこで気分転換をしようと思い、外へ散歩に出かける。それでも気分は晴れず、10分ほど歩いたところで、動悸も激しくなってきて、足を動かすことが出来なくなってきた。立っていられないほどの気だるさに、ひとまず腰かけられる場所を探し、近くの神社の境内にあったベンチに座る。昨年までの鬱の状態のときにはこうしたことがよくあった。けれど最近はあまりなかったことだったので、久しぶりの感覚に怖くなった。
そしてその気持ちを紛らわすようにして、Facebookに今の自分のしんどさを吐露する。本当は弱気な発言や、「今ボクは苦しいです」みたいな文章を書くことは恥ずかしいような気持ちがして嫌なのだけれど、そうしなければこの苦しさや孤独感のようなものに押しつぶされそうだった。

Facebookに文章を投稿したところで、時刻はすでに12:00を過ぎていた。ひとまず一度家に帰り昼ごはんを作ることにする。けれど、何かを調理する気力もなく、ここは無理をしないと決めて、非常食としてのインスタントラーメンを作る。鬱を通して、しんどいときにはとにかく無理をしないということを覚えた。「今日は何もしなくていい・何も出来なくてもいい。とにかくゆっくり過ごそう」そう思い、ただただ寝転がっていたり、普段はあまり食べないお菓子を出してきて、ボリボリと遠慮なく食べながら映画を見て過ごした。

結局その日は一日中気だるく苦しく、全く調子が上がらないまま時間が過ぎていったけれど、夜になってようやく少しだけ回復してきた。すると、バネと同じように、気分が沈んだあとは、その分の反発として、気持ちが前向きになってきた。「こんなことで負けてたまるか」「見ていろよ鬱の野郎め、徹底的に対策をしてやる」そんなふうな気持ちが芽生えてきた。

「具体的に何が出来る?」と考える。そういえば最近、以前まで行っていたヨガや瞑想をしなくなっていた。まずはそうしたメンタルのケアを怠らないようにしよう。他にも、低気圧が心の状態に大きく影響を与えるから、ちゃんと確認して、気圧が下がる時間帯はゆっくり過ごせるように一日の体力配分を見直そう。

そうしていくつかアイデアを出している間にふと思った。
今は生活コストを下げることで、働く時間を短くして、週に1,2回働けば最低限生きていける環境を作れている。おかげで今はやりたくないことは一つもやっていない。確かにアルバイトや個人契約の仕事ばかりで安定しているとは言えないけれど、なんだかんだでかなり自由な生活を送ることが出来ている。それならば「あとは心の健康さえ維持できるようになればいいのでは?」と。

結局の所、今回の体調不良は、低気圧の影響もあったけれど、これから先どうしていこうかという漠然とした不安からくるものだったと思う。
でも、自分はすでに自分が満足するだけの生活を送れているのだから、焦ることなく、心の健康を維持して、楽しく生きることを最優先にさえすればいいのだと思った。そうすることでとても気が楽になった。

そして翌日から、実際にヨガ・瞑想を行うようになり、何をするにも「どうすれば自分は心地よい状態でいられるか?」という視点を持つようになった。この生活に切り替えてからまだ1週間だけれど、調子はいい。むしろ、体調不良以降、自分の中で何かが開かれたような感覚がして、いい流れが来ているような気がする。きっと、一人暮らしに慣れてきて、さあこれからという前に、自分の中で停滞していたものや、毒素のようなものを吐き出す期間だったのだろうと今は思う。

このnoteを書いている今日は、ちょうど僕の誕生日。
鬱から回復して、新しい生活を始めようとしている今、この一年は自分の心の健康を保つことを意識して、どうすれば心地よく過ごせるのかを第一に考えたい。

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