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矛盾した気持ちを内包している~僕の鬱病療養日記⑥~

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。


日常

2019年11月27日(水)朝8:30頃。

 今日はいつもよりほんの少しだけ早い時間に書いている。とは言っても、いつもより早い時間に起きたわけではない。むしろ今日はいつもより遅く起きてしまったので、朝はランニングではなく散歩にした。そのため、シャワーを浴びたりする必要もなく、朝ごはんを食べて、少し読書をしたら、この時間になっていただけである。

 今日は曇り空で朝日を浴びることが出来なかったのもあるのかもしれないが、まだ頭がぼんやりとして、起きていないような感じがする。いつもは、朝、陽の光を浴びながらランニングをして、熱いシャワーを頭から浴びせかければ自然と目が覚めてくるのに。

 毎回、この文章を朝のうちに書いているから、どうしても始まりは、朝の寝起きや、散歩のことについてばかりになる。何か別の書き出し方はないものだろうか。何も書くことを決めずにとにかくnoteを開いてしまうため、凝った書き方や、面白い書き始めが出来ない。まあ、そんなことをそもそも求めていないのだけれど。

 この日記を書き始める前には、療養日記②で紹介した「坂口恭平躁鬱日記」を読むことにしている。

 すでにこの本は図書館で借りてから3週間ほどが経っている。遅くても3日に1冊は読む僕にしてはものすごく時間がかかっている。たしかに分厚く、文章量も多い本ではあるけれど、読み終わるのに時間がかかっているのには別の理由もある。なぜだかわからないけれど、この本は一気に読み終わりたくはない。

 内容は本当にただつらつらと坂口恭平さんの日常が書かれているだけなのに、とても面白い。飾り気のない文章。坂口恭平さんの頭の中の言葉がそのまま書き出されているのだろうなと感じる。日記形式で書かれているので、読んでいるこちら側も、時間をかけてゆっくりゆっくりと、1日1日を追いかけたくなる。

 この本を読んでいると、何でもいいからとにかく、思いつくままに文章を書いてみようという気持ちが湧いてくるので、朝、noteを書き始める前に読むことを儀式にしている。書くことに対する肩の力が抜けてくるのである。

 さてさて、鬱病療養日記を書き始めて今日で6日目。連続して毎日書くことが出来ている。鬱になる前も、半年ほど毎日投稿を続けていたので、やり始めてみると案外抵抗感なく、楽しく続けることが出来ている。けれど、やっぱりこんなことをしていていいのだろうか?という思いが心の奥からむくむくと顔を出す。

 別に文章を書いていることは悪いことではない。事実こうして書くようになって、また少しずつ自分の中にエネルギーが溜まってきている感覚もある。今週はようやく、自分が参加できそうなボランティアなどを調べることも始められた。どうしてもまだ、人と会うことが少し怖いという気持ちもあるけれど、何か行動していこうという気持ちも徐々に湧いてきている。それはこうして、何か新しいことを始めてみたからというのもあるだろう。

 けれど、こんなことをしていていいのだろうか?と思うのは、もっと根本的なところで、「何かをしていなければ落ち着かない」という問題と向き合ったほうがいいのではないかと思うからだ。

 鬱になる前もそうだったけれど、僕はいつのまにか、ただ、ダラダラと過ごすことが苦手になった。何もしていない時間があると、何かをしなければという気持ちに襲われる。それは鬱になった後もそうだった。今はゆっくりするときだと何度も言い聞かせているのにも関わらず、結局焦って何かをやろうとしては、パニック症状に襲われるということを繰り返していた。

 今は元気も出てきているので、パニック症状が出ることはなくなったけれど、こうして毎日noteに文章を投稿してみているのも、「何かやっていたほうがいいんじゃないか」と思うからだ。でも本当に大切なのは、「何かをする」ことではなくて、”将来に向けて”何もしていなくても、自分はちゃんともう一度やり直せるという「安心感」を手に入れることなんだろうと思う。それは本当の意味で自分を信頼するということと繋がるはず。正体のわからない不安や恐れから目を背け続けるために、何か行動をすることは、結局の所、何度も精神のバランスを崩している根本課題の解決にはつながらないと思う。

 頭では分かっている。それでもこうして書いてしまう。良いことなのか、悪いことなのかもわからず。ただ、そんなことは考えてもわからないので、ひとまず続けてみる。しんどくなるようなら絶対に無理には続けない。今は楽しく書けているからそれでいい。

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読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

 三度の飯より本が好きとプロフィールに書いているほどに、毎日している読書と、趣味である映画鑑賞の中から、好きな作品・言葉を紹介するコーナー的。ときどきその他芸術と思われるものについても紹介します。

 今日紹介するのは、詩人、文月悠光さんの著作「臆病な詩人、街へ出る。」です。

「早熟」「天才」と騒がれた女子高生は、今やどこにもいない。残されたのは、臆病で夢見がちな冴えない女——。
「ないない」尽くしの私は、現実に向き合うことができるのか?
18歳で中原中也賞を受賞した著者が、JK詩人からの脱却を図った体当たりエッセイ集。
連載時、話題を呼んだ「私は詩人じゃなかったら「娼婦」になっていたのか?」を始め、初詣から近所の八百屋、海外からストリップ劇場まで、詩人の気の向くままに「街へ出る」体験記です。web連載に書き下ろしエッセイを2篇追加した決定版になります。
岸本佐知子・推薦の言葉
「これはコントローラーのないRPG。
冒険の最後に詩人が見つける宝石みたいな言葉は、
私たちの胸も明るく照らす。」

 こちらの本には、本屋をぶらぶらと歩いているときにたまたま出会いました。当時、新しく「詩」に興味を持ち始め、図書館でいくつか詩集を借りている時期だったので、目に入ってきた詩人という言葉に惹かれて読んでみました。

 文月さんのことはそれまで全く知らなかったのですが、どうやらこの本はかつて、「cakes」に連載されていたものを元に書籍化されたようです。

 言葉を操る詩人が書いた文章だったからか、とても読みやすく、一つ一つのことに臆病でありながらも、様々なことに挑戦していく姿、またその裏で揺れ動いている文月さんの思い・考えなどが鮮明に描かれていて、とてもすきな作品です。

 そしてこの本の中で特に印象に残った言葉を紹介します。

「臆病」という一つの言葉で自分を捉える必要はない。素の顔は強くて完璧に見える人も、場面によっては脆く心配性になる。人は「臆病さ」と「勇敢さ」のグラデーションを持って生きているのだ。「本当に臆病なんですか?」という質問に対しては、「臆病です。でもそれだけではないですよ」と答えよう。

 (ページ数を記録し忘れていたので、何ページに書かれていた言葉かはわかりませんでした…)

 ”人は「臆病さ」と「勇敢さ」のグラデーションを持って生きているのだ”

 なんだか、ストンと自分の中に落ちてくる言葉だと思いました。

 僕は、鬱になる前は、周りを巻き込んでイベントをやったり、不登校の子どもたちに向けて友達と一緒にライブ配信をやってみたりなどしていて、周囲の人からは、「行動的」や「活発」というふうに言ってもらえることも多かったです。
 けれど、一方で、自分で自分のことをとても臆病な存在だと思っていました。何をするにも、いつも新しいことを始めるときは怖いし、皆が当たり前にやっているようなことが自分には出来ないということも多く、その周囲が思う自分と、自分が思う自分とのギャップに苦しんでいました。

 でも文月さんが言うように、一つの言葉で自分を捉える必要はないし、臆病なときもあれば、勇敢なときもある。元気なときもあれば辛いときもある。それもどちらか二分出来るものでもなく、瞬間瞬間でも違うグラデーションの中にあるものなんだろうなと思います。

 鬱になる前とその後で、過ごし方も考え方も色々と変わってしまい、自分で自分のことがわからなくなってしまうことも多かったけれど、きっとどれが自分ということではなく、どれも自分なんだろうなと思います。
 文章を書いていていいのだろうか?と疑問を持つ自分もいるし、でも書くのは楽しいと思う自分もいるのは事実だし。どちらかに切り分ける必要もなく、両方の自分が存在している。

 鬱になったり、自分で自分をうまくコントロール出来なくなっていくと、結局どの自分が本当の自分なのかとわからなくなることもあるかもしれません。けどきっと、そのどれもが自分で、そういった矛盾した気持ちや曖昧なものを内包しているのが、私たちなのかもしれません。

グラデーション

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